1月 30, 2011

質実剛健の壁 2

前回に続いて、表現(ヴィジュアルやメッセージ)の必然性、つまり、
その表現が、そうでなければならない根拠となると私が考える、
”ブランディング”について、その重要性をどう説明すれば、
お客さんにしっかりと理解してもらうことが出来るのかのヒントを探し続けます。

前回、項目として出したものの中で、1、2、3番目に上げた、

”人はどうしても”見た目”でかなりの部分を判断しちゃう”

ということと、

”どんなオシャレな服でも、着ている人に似合ってなければ逆効果”

というもの。そして、

”どんな風に見えるのが好ましいのか?どんな風に話すのが好ましいのか?”

に関連して、注意しなければならないと思った部分を書きましたが、
今回も続けけて、その部分で気になっていることを、ちょっと。

”オシャレ=チャラチャラしてたり派手だったりということではない”

というのは、もちろん、そうなのですが

「じゃあ、どのようなものが適切なの?」

というところです。

発信者である企業が、”自分たちは中身で勝負している”、
”製品やサービスに対する自信がある”と思っていて、
その顧客やユーザーにも同様にそう思われたいと考えているのであれば、
それは、まさしくそのように

相手に伝わらないと意味がないですよね。

つまり、何が言いたいかと言うと、
例えば、発信者側の考える質実剛健なイメージが、
受け手の考える質実剛健のイメージと本当に合致しているのだろうか?

その受け手になる人たちは、発信者である自分たちと同じような感性・感覚・考え方を
持っていて、そのイメージを共有出来る人たちなのか?

ということなんです。

発信する側に、そういう問いが無いとスタートしないということなんですね。
だから、発信側である企業が、自分たちの好き嫌いで表現を決めることは、
正しくないと考えるわけなんです。

だって、同じ服を着て、同じ内容のことを、同じ話し方でしても、
会う人によって受け取られ方は、ちょっとずつ変わってきますよね?

まぁ、個人レベルではよくある、
「自分はこうでしかない」「私は私だ、私らしく」っていうのも、
企業レベルでも、場合によっては有りなのかもしれませんが。
でもその場合、個人レベルでの考え方と同様に、企業としても、
”自分”を好意的に受け入れてくれる人、理解してくれる人たちのみに
つきあってもらえればよい”と、宣言しているということも、
発信する側としては、きちんと認識していないといけませんよね。


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