7月 01, 2011

第三者に映っている ”あなた” こそ、本当の "あなた" ?

「ブランドは企業のものではなく、
 顧客が心に所有しているものだ」

という言葉を聞きますよね。


また、それと同様に、ある人間の本当の姿も、

他人の目に写っている "それ" 。

自分の意識の中にもやもやとあるだけで、外に対して表現されて
いないものは、本人の単なる理想・希望する姿、極端に言ってしまうと、
つまりは妄想の類でしかないと言う人もいます。

でも、どちらもいわゆる側面でしかないと思います。


前者のブランドの例でいうと "顧客の中に作られるもの" は、

ブランド・イメージと言われるものですよね?

同様に人間の例でも、相対する他人に映っているそれは、あくまでも

その人の "イメージ" ですよね。

上記の例では、


"企業" あるいは "ある人間" 自身のアイデンティティが
どちらも抜けてます。

簡単にいってしまうと、


それらが相手に対して "どう思って欲しい" と思っているのか?
の部分が
抜けて話されているのです。

「そんなものわざわざ言わないだけでわかってるよ!」と、思うかもしれませんが、

実際、その部分が完全に抜けているなぁと思うことが結構あります。
なんというか... "顧客志向" という都合のいい言葉の陰に隠れて、
その大切な部分を避けているようにさえ見えるといいますか。。

それらは企業にとっては企業名やロゴ・VIなどを、人間にしたら髪型や着る服を、

自己のアイデンティティ無しに、顧客や相対する他人の意見のみで決めているという
感じなのです。

まだ、皆と同じように目立たないように出る杭にならないように、という様な

そんな意識が残っているということなんでしょうか?
もしくは、相手に合わせてくるくる変える方が楽だし、確実だという
気持ちもあるのでしょうかね?
変なことを決めて責任を持たされる羽目にならなくていいって言うのも?

でも、考えてみて下さい。


相手と自分、どちらが主体でどちらが客体であっても、いずれにせよそれらは

相対的な関係に有る訳ですよね?どちらか一方が絶対的に存在するわけじゃありません。
だとすれば、

"企業" あるいは "ある人間" 自身のアイデンティティがなければ、

同時に相対する顧客や相手の人間もいなくなってしまう

ということなのです。

「いや、相対するのはロゴやVIなどのブランド要素のことであって、
アイデンティティのことではない」と言う方もいるかもしれません。しかし、
アイデンティティがなく相対するものの評価のみで作られた、それらの
ブランド要素は、その持ち主を表していないことになります。

そうです、何にしても


アイデンティティがなければ、そのものは無いに等しく、

よって相対する "顧客" や "相手の人間" も、おのずと存在しないことになってしまう

と。


それがどのような状態を指しているかは、それぞれ想像してもらうと

良いかもしれませんね。

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