大切じゃないか?と書いたんだけど、普段、私の周りでは
“専門性”のウケは、あまり良くないって感じですかね。融通が利かないのだそうで。
「ある専門性に特化すると、幅が狭くなるためニーズが少なくなり、
仕事の受注に障害がある」
と。 その思考の結果、何となくおおざっぱで曖昧に
「何でも出来ます」
と、なるべく競合と差別化しないようにして自分あるいは、自分たちを売る事に
なるんですが、それが正しいとすると、実際に自分あるいは自分たちの専門性を、
本当の意味で拡げないといけないと言うことになりますよね?
ま、本当にそうするのであれば何も問題ないんですけど。
選ぶ方だって、パートナーとしてプロフェッショナル、つまり“専門家”を求めて
いるのだったら、実際に違ったら気付きますよね? でも、
「また新しい人や会社を探したり、仕事の流れを説明し直すのが面倒だから」
「本当に専門性を持った人や会社は高そうだから」「融通が利かなそうだから」
などなど、そんな理由から惰性でつきあっているってことも有るかもしれません。
でもそれって、もともと
専門家なんか求めていなかったって事?
なんでしょうかね?
ところで、皆さんが仕事でつきあっているパートナーは、みんな“専門家”ですか?
というか、あなたは“専門家”が必要だと思っていますか?
自分が出来ないから「ただそれが“できる人”であれば“専門家”じゃなくても
いいんだけど」って感じ?
でも、自分に無い専門知識や専門技術、能力をその人なり会社なりが持っているから
専門家と組みたいわけですよね?
そういう意味では、何かのオペレーターも専門家ですし、
そのことに、ただ馴れてる人も専門家?
(ま、定義としてちょっと語弊が有るかも知れませんが)
ということで“専門家”にはいろんなレベルの“専門家”がいるって事で考えてみてください。“専門家”じゃない人や会社とつきあうメリットなんて、よっぽどじゃなきゃ無い
って事になりますね。
だってものを買うのに、わざわざ役に立たないもの買わないですよね。
でも、単なる何かのオペレーションの“専門家”が、企画や設計が出来ますかね?
専門家と組みたいわけですよね?
そういう意味では、何かのオペレーターも専門家ですし、
そのことに、ただ馴れてる人も専門家?
(ま、定義としてちょっと語弊が有るかも知れませんが)
ということで“専門家”にはいろんなレベルの“専門家”がいるって事で考えてみてください。“専門家”じゃない人や会社とつきあうメリットなんて、よっぽどじゃなきゃ無い
って事になりますね。
だってものを買うのに、わざわざ役に立たないもの買わないですよね。
でも、単なる何かのオペレーションの“専門家”が、企画や設計が出来ますかね?
無理矢理やらせたって、時間はかかるし、出来は全然だしで、
まぁ、あまり良い結果は出ないですよね、大概の場合。
代用にも限界があるというわけですよね? 企画や設計を頼むなら企画や
設計の“専門家”を探さなくちゃなりません。当たり前のことなんですけど。
殆どのことに関して同じことが言えるんじゃないですかね? で、もしかしたら、
本当に新しく“専門家”を探す必要が有るのか?から検討しなきゃならないかも
しれませんよね。 今つきあっているパートナーが、本来どんな専門性を持っているのか、
それをちゃんと認識してるかどうかですけど。”専門家”を選ぶ側が、その専門性を
しっかりと把握し、そのつきあい方を、それに適したものに変えるだけで、
仕事は効率も結果も全然変わってくことになりますよね。
いずれにしても「何でも出来る」には気をつけた方がいいかと。
そのパートナーの本来持っている専門性を見えなくしてしまっている可能性も
高いですし“代用”させるために?わざと見えなくしている可能性も有りますからね。
それと、もう一つ。
もし「本当に何でも出来そうだ」と見えたとしても、そのパートナーが、
どういう視点から、“なんでも”(全体)を捉え、どう実行しているのか?
ってことで、“出来る”という言葉の意味も変わって来ると思いますしね。
まぁ、あまり良い結果は出ないですよね、大概の場合。
代用にも限界があるというわけですよね? 企画や設計を頼むなら企画や
設計の“専門家”を探さなくちゃなりません。当たり前のことなんですけど。
殆どのことに関して同じことが言えるんじゃないですかね? で、もしかしたら、
本当に新しく“専門家”を探す必要が有るのか?から検討しなきゃならないかも
しれませんよね。 今つきあっているパートナーが、本来どんな専門性を持っているのか、
それをちゃんと認識してるかどうかですけど。”専門家”を選ぶ側が、その専門性を
しっかりと把握し、そのつきあい方を、それに適したものに変えるだけで、
仕事は効率も結果も全然変わってくことになりますよね。
いずれにしても「何でも出来る」には気をつけた方がいいかと。
そのパートナーの本来持っている専門性を見えなくしてしまっている可能性も
高いですし“代用”させるために?わざと見えなくしている可能性も有りますからね。
それと、もう一つ。
もし「本当に何でも出来そうだ」と見えたとしても、そのパートナーが、
どういう視点から、“なんでも”(全体)を捉え、どう実行しているのか?
ってことで、“出来る”という言葉の意味も変わって来ると思いますしね。
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