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5月 17, 2012

考えすぎない


ある舞台で、俳優が “重大な驚異が差し迫っている” という設定で、机の下に身を隠す演技を求められたそうです。
俳優は机の下に身を隠さずにはいられないような恐怖の感情を呼び起こそうと努めたそうです。それをもとに可能な限り現実味のある感情と行動を観客に見せようとしたのです。
ですが、どう頑張っても現実味のある恐怖を感じられず、これでは説得力のある演技が出来ないと悩んでしまったようでした。
それを見た演出家は、その俳優にこう助言したそうです。

理屈で考えてはいけない。あれこれ考えずに、机の下に飛び込んで丸くなればいい。

俳優が言われた通りに行動すると、その演出家は、どういう気分かと訊ねたそうです。

「怖いです」と俳優は答えたそうです。

これは、マーク・ジョンソン著「ホワイトスペース戦略」の中に出てきた例えで、ロシアの偉大な演出家であるコンスタンチン・スタニスラフスキーの著書「俳優修行」で紹介されているエピソードだそうです(孫引用ですみません)。

恐怖を感じてから机の下に飛び込む場合もあるが、机の下に隠れてから恐怖感が涌いてくる場合もあるのだと、スタニスラフスキーは、その俳優に説明したそうです。

スタニスラフスキーは、創造的なインスピレーションが「形」を生み出す場合ばかりではなく、「形」をつくることによりインスピレーションの扉が開かれる場合もあるのだということを明らかにしたのだ。とマーク・ジョンソンは書いています。

「 “自分の感情” に照らし、納得いく行動だと “思えない” から出来ない(やりたくない)」という形で表面上に表れる、極端な未経験恐い病は、普段いろいろな場面でかなり頻繁に出くわします。

スタニスラフスキーの言う通り、やってみて初めて分かる事は、本当に沢山あるだろうと、頭では分かっているつもりでも、実際に行動しなければならない段になると、なぜか上記の様に反応してしまう。未体験のものに対する恐怖と、その恐怖に対する理性の防御が勝ってしまうという事なのでしょう。

原因として最も初めに想像されるのが、失敗により、他人からの評価を落としたくないからではないでしょうか。
前述の例に出てきた俳優なら、中途半端な演技をして、目の前にいる偉大な演出家にヘボ役者だと思われたくないから。ビジネスの場面だったら、相手は上司や同僚のライバル、部下、クライアント、株主になるかもしれません。プライベートでも友達や恋人、親、兄弟などが対象になる可能性があります。
自分を高く評価して欲しいと思っている相手がいて、かつ、失敗=低評価という観念を持っていれば、それなりの確率で起こり得るというのは想像できますもんね。

確かに失敗=低評価が実社会では殆どかもしれません。学校のテストだって仕事だって多くの場合がそうですよね。
思い出してみると、親から、教師から、そして会社の上司からも、失敗に対してまず一言目に言われた言葉で多かったのは「こんな事も出来ないのか」「こんな事も知らないのか!」といったものだった気がします。
恥ずかしながら、そういう自分自身も他人に対しそのような事を言った記憶があります。
それは単なる習慣から口に出た言葉かもしれませんし、本当は大した意味の無い言葉なのかもしれませんし、言われる側でも、それは ”あまり深い意味の無い事” と頭では分っているつもりだったのかもしれません。しかしもしかしたら、無意識の脳の働きはそのような言葉を「失敗するな!」というように身体に記憶させており、このような何気ない言葉もまた、この観念を心の中に根付かせるのに一役買っていたのかもしれません。

そしてもう一つ、他人の評価を気にし過ぎるという面です。必要以上に他人の評価を気にし過ぎるのも原因の一つですよね。
客観的な判断という意味では他己評価は重要だとは思います。ですがそれは何でも良いから褒められれば関心されれば良いというようなものじゃ無いですよね?当然ながら。
もしかしたらこれも学校などで教育を受ける内に知らず知らずそうなってしまうものなんでしょうか?

よく ”素晴らしい発明やアイデアを思いついた歴史的人物には、ちゃんとした教育を受けてきた人が少ない” なんて聞きますが、それを思い出してしまいます。

実際これらは、一度考えてしまったら、なかなかその枷から逃れられないのが普通だと思います。もう染み付いちゃってるんでしょうしね。
だから、スタニスラフスキーが俳優にアドバイスした ”理屈で考えてはいけない” が正しいんですよね。

最近ではイノベーションという言葉を比較的普通に耳にしますが、自分が経験した事しか納得するレベルで理解出来ず、理解出来ないものは実行出来ないのであればイノベーションなんて無理な話では?と思います。

何か新しい事にチャレンジしなければならない時は何時間も会議をしたり、何ヵ月も是可否かについて永遠考えていないで ”とりあえずやってみる” というのもすごく大切な事なんですよね。

7月 11, 2010

クリエイティブって?

「すでに多くの人が、ある特定の意味で使っている言葉を、
へそ曲がりみたいにグチグチ言ってもしょうがない」
というのはわかってるんですが、

そこに自分の"もの"の見方って出るもんですよね。

で、何についてかというと、

 "クリエイティブ"

私が会社で所属しているのも"クリエイティブ"部ですし、
肩書き自体も"クリエイティブ"・ディレクター。これは制作部、そして制作の監督の意味。
あと"表現されたもの"、いわゆるデザインやコピーなどのことも指して使われてます。

でも、"クリエイティブ"の本来の意味って"創造"ですよね?
そういう意味では、デザインやコピーライティングだけじゃなく、
例えば企画だって"創造"力は必要だし、いわゆる

"アイデア"を必要とするものは、すべて "クリエイティブ"なものでは?

って思うんですけどね。 で、考えたんですけど、

「表現には、ジャンプが必要!」

っていう、まあ、よく言われる言葉があるんですが、その

"ジャンプ"のイメージから、 "表現"を"クリエイティブ"って言うようになったのか?

と思ったり。 ジャンプって言うのは・・・
まぁ、簡単に言っちゃうと、"月並みで普通なもので終わらすのではなく、
いわゆる、ひねりの効いた面白いものにする"ってこと。
でも、この"ジャンプ"、私の考えているものと周りで話されているものが、
なんとなく違う様な気がして、もやもやとしていた部分だったんです。

私が違和感を感じる"ジャンプ"の使われ方から受ける印象は、 なんというか

"マジック"みたいなもの?

想像の翼を羽ばたかせて、突拍子もない何かが加わってできる、
入れ物がぶちこわされちゃってるイメージなんですけど、 僕が考えてる"ジャンプ"は、
ちょっと違う感じがしてたんです。 で、その答えのヒントを、
前回書いたムナーリのデザインとヴィジュアル・コミュニケーション
※2006年12月 みすず書房 に見つけたと。 それは、

"デザイナーは、予期企画設計をするにあたり、アーティスティックで、 リリック(感情表現された)で、ファンタスティックなクリエイティビティ は無益と知っている。 なぜならそんなことをすれば、先に検証した限界すべてにぶつかるからだ、 デザイナーは丹念に収集したデータが生み出しつつあるものを はみ出す様なことを考えるべきではない。 彼が想像力を働かせるのは、集められた要素の統合においてである。 この統合体は、すべての構成要素がもっともうまく融合したものへと 到達せねばならないだろう・・・"

という、その本の中でも一番最後にある箇所。
この文から、自分の考えている"ジャンプ"というものが、

それまでに集められた多くの要素(情報)の 組み立て方の"差"

だと思っていたんだってことを認識できたわけです。どうりで話が合わないわけですね。

だって、そうだとすると、そもそもジャンプ"自体が 表現活動に特有の
ものではないってことですもんね。
だから、表現という意味での"クリエイティブ"が、例え "ジャンプ"から連想された
使い方だとしても、やっぱりおかしいと。どっちにしても、それは

"表現"の周辺だけに使われるべきものじゃない

ってわけですよね。


5月 10, 2010

イノベーションって人を驚かしちゃいますけど・・・

イノベーションは、マーケティングリサーチからは生まれない。

人を驚かそうとしてるのに、
あらかじめ「君は何をされたら驚く?」って聞いてまわる人がいる?

って、最近読んだ本
*2009年12月 アチーブメントシュッパン: 
ゴー ルは偶然の産物ではない~FCバルセロナ流世界最強マネジメント~
に書いてありました。

まったくですよね。

データはあくまでも過去のもの。そのまま現在に適用なんか出来ないのは、
みんな気付いていると思うんだけど。それでも、いざ何かを決めるって時になると、
ほとんど必ずデータが必要になるんですよね。
というか、人間って、ほとんどの場合において、価格かデータ(過去の事例とか?)
でしか何かを決められないんじゃないか?って思っちゃうくらい。

だから、それを逆手に取って、自分たちに都合いい読み方をしたデータを説得の
材料に使って採決者を騙したり惑わしたりする提案が世の中に溢れるわけで、
ホントそういうのって、がっかりしちゃいますね。

まぁ、広告を出したいと言っておいて、「あまり目立つのはちょっと」とか?
いわれたりもするし。何に付けても

控えめが良しとされ気味の社会ですからね、

コミュニケーションにおいてもサービスそのものにおいても“イノベーション”のような、

世間をビックリさせるものなんて初めから必要としてないのかな?実は。

口では言ってみてるだけで。
まぁ、そういうことなら、なんでもデータでこと足りますけどね。