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9月 15, 2012

広告とブランド


私は広告を通じて、人の暮らし方や物に対する価値観を変えようとか、見る人に感動を与えたいとか、そんなおこがましいことを考えながら仕事をしたことは一回もありません。
広告ですから(笑)。

広告は企業や商品、そしてサービスなどと生活者を出会わせ結びつけるきっかけだと思っています。

そして、だからこそその広告に表れる、メッセージされるもののブランドがとても大切になると考えています。

最終的に売れなければ意味がないというのは十分承知の上であえて書くのですが、売れれば何でも良いというのだけは、どうしても個人的に抵抗があります。

もちろん商品やサービスによっては何でも良いから売れれば良いというものも無いわけではないでしょうし、そうであれば分からないでもないのですが、たぶんその場合に必要とされる手法は広告ではないのではないかと思っちゃうんですけどね。

このことは、じゃあ広告の定義は?という話になるのですが、取り合えずここでは私の考える広告以外とは、店頭などでの販促プロモーションやイベントなどであるとだけいっておきます。

話がちょっとそれましたが、なぜ広告にブランドが大切だと考えるのかということに話を戻したいと思います。

先ほど広告は企業や商品、そしてサービスなどと生活者を出会わせ結びつけるきっかけだと思っていると書きましたが、正にそれが理由になります。
たかが広告で人の意識や生活を変えられるとも、感動を与えることができるとも思っていないということも書きましたが、企業や商品、そしてサービスなどには、それらをなすポテンシャルが含まれていると思っています。
つまり、それらを生活者がなんなりかの形で経験することによってなしえるのです。

そして、広告がそれを起こすきっかけであるならば、そのことをメッセージに触れる生活者に予感してもらうことが出来るよう伝えることが広告の役目なのだと考えるのです。

正にその伝えなければならない部分こそ、ブランドなのではないでしょうか。

6月 13, 2011

穴の開いた壁から見える場所にいるのは自分たちだけ?


メッセージの発信者が受信者(中に住む人たち)に、
売ろうとしている商品を使う生活が
素敵なことだということを納得させ(周りを囲む城壁を崩させ)、
自分たちの商品が魅力的に見える(自分たちの意図する)場所へ
受信者を連れ出せたとして、その場所で受信者が見るものは、
誘導してきた発信者の商品やサービスだけとは限りません。

商品やサービスがそれほど差別化されてない場合、
自分たちの商品が魅力的に見える、その同じ場所が、ライバルにとっても
同様に商品を引き立ててくれる場所であるのは想像するに難しくありませんよね。
ライバルも当然、お隣でお店を開くというわけです。

さあ、どうします?
ライバルのものより価格をさげますか?
品揃えを増やす?

でも、どれもライバルに真似できることですね。

なので、はじめから商品やサービス自体にオリジナリティ、
つまりライバルの物と差別化されていることが必要なんです。

そのオリジナリティを引き立てる、ごく限られた場所へ、
対象である受信者(顧客/ターゲット)を連れ出せば、自ずとライバルは
入ってこれない、入ってきたとしても不利な戦いを強いられるというわけです。

とは言っても、現実には

「そんなことは分ってるけど、実際、自分たちの商品やサービスは、
他のどこでも作っているようなものだし・・・」

という様な声も、ちょくちょく聞かれます。

でも、だからといって本質的な差別化を諦めるのは早すぎます。
どんなに平凡で、多くの類似品があったとしても、
最低限その提供者の製品は、その提供者からしか出されていないわけですよね?

提供者であるメーカーの成り立ちや歴史、あるいは理念・イデオロギー、
そして前々回触れた、そこで働く人たちの意識や物の見方の傾向から作られている
企業の空気や文化のなかには、ライバルの物と差別化するための第一歩となる
素材が隠されているのではないでしょうか。

つまり、差別化のポイントが、自分たち自身への客観視を失う事によって
ただ見逃されているだけだという可能性もありますよね。

6月 12, 2011

発信者と制作者で対象の研究の仕方は違う?

では、私たち制作者の立場から、
メッセージの発信者(メーカー)にとっての対象である
受信者(顧客/ターゲット)を理解しようとする
場合はどうでしょう?前回書いた、私たちが発信者を理解する
場合と、あるいは発信者がその受信者を理解しようとする場合と
何か違いがあるのでしょうか?

制作者は、あくまでもメッセージの受信者、つまり顧客/ターゲットの立場から、
客観的な考察と助言を発信者に対してするべきであるという考え方があります。
このことは会議中などに「それはメッセージを発信する側の都合であって、
受け取る側には何の価値も無い情報だ」という様な言葉で現れたりしますよね。

その中には、もちろん本当に蛇足だったり無価値だったりする場合もあります。
また一方で、受信者が現在はその価値に、ただ気付いていないだけ、そして
発信者もそこまで重要な情報であるとは気づいてないという場合もあるんですよね。
その場合は、発信者にも受信者にもその正しい価値に気付いてもらうことで
新しい市場を作り出せる可能性もあるということですよね。

要は、受信者の立場だけに立って考えるのではなく、発信者も含め、
両者をしっかり理解していないと、そんなチャンスも見逃してしまう可能性が
あるというわけです。

それは分ったけど、制作者と発信者では、まったく同じように受信者の研究を
してるってこと?ってなりますが、肝心なこれを忘れてはいけません。

私たち制作者は、メッセージの受信者も発信者のことも、
それらを包む ”空気” を含めてしっかりと掴み理解するようにしながら業務を進行する
必要はありますが、それは完全にその立場の思考をするという事ではありませんよね。
前にも "それは提案の際に共通言語を話すため" だと書きました。

そうです、私たちが発信者と違うところは、本人で無い故に、
発信者を客観的に見る事が出来るというところです。

出来る限り対象を理解した上で客観的にそれらを眺める。

発信者自身より私たちは当然それをしやすいはずですもんね。

そして "受信者(顧客/ターゲット)の研究" においても、
その目線を持っていることが "発信者の都合" と "見えていない価値" を
見分けさせてくれるはずだと思うのです。


7月 14, 2010

ディレクターって何?

前回"クリエイティブ"っていう言葉に関して 私の思っていることを書いたんですが、
"創造"という意味での"クリエイティビティ"は 職種に関係無く、
すべての人が持っているものだし、それは色々な場面で発揮するべきものですよね?

それは皆さんも同じように思ってることだと思います。

ですが、誰が使い始めたのやら、"クリエイティブ"という言葉には、
広告制作に関する、その制作部門や表現のことを指す意味もあります。
そのせいか「誰もがクリエイティブ!」ってことを、
「デザインやコピーなんて誰にでもできる」みたいに思っちゃってる人も
いるのかなぁ?って感じなんですよね・・・。

もちろん作るのは構わないし、表現に関するアイデアだって、
どんどん出してもらってOKです。

当然、それが良ければ採用されるべきですし。
ただ、それを採用するのか却下するのか?は、ディレクターが決めることです。

それは好き嫌いや、個人の勝手な思い込みで決めるわけにいきません。
ましてやプロが作ったのか素人が作ったのかで 判断しているわけでもありません。
表現っていうのは、単なるヴィジュアルのアイデアやデザイン、奇麗な、あるいは
気の利いた言葉を作ることを指すわけじゃなく、細部のディテールや質感、色、
配置された要素のバランス、ちょっとしたニュアンスの全体への影響など、それらが、

伝えたいと考えている"メッセージ"を、どのようにコミュニケーションするのか?

と、いうことを計算しながら作っているわけです。

「そんな細かい部分なんて、見る人には関係無いよ」
「そんなの誰もわからない、制作者の自己満足」なんて言う人もいます。
しかし、即効性のあるタイプ後からじんわり伝わるタイプと、
種類はいろいろあるにしても、その考え方の基本は、

正しく計算された表現は、正しく受け手に伝わる

というところにあります。だからこそ私たち制作者は、受け手に正しく伝わるよう、
いつも研究・努力しているわけです。
誰よりも多く、そのことに時間を費やして過ごしているんです。

ま、そういうわけで、その最終的な判断に責任をもつディレクターが、
デザイナーやコピーライターなど制作者出身者が多いんですね。

コミュニケーションの"専門家"として判断に関わっている

ってわけです。
それは古くさい縦割りの体制なんかではないし、別に誰かのクリエイティビティ、
つまりは創造性や、 発言の自由を妨害しているわけでもありません。
そして部外者に対して排他的に接しているわけでもないんです。

それから得られるであろう効果を 最大限コントロールすべく、
できる限り適切な表現を作り出す

ということを、しようとしているだけの話なんですね。

6月 29, 2010

最終的にどこに行きたいのか?

広告など、企業が何らかのメッセージを 発信する場合、
受け取って欲しい人が誰で、どんな人かというのはもちろんですが、

何のために発信されるのか? 誰のために発信されるのか?

といった、ゴール、つまり“目的”や“目標”も同じように大切です。

「そんなの当たり前じゃない」

って思うかもしれません。
でも、一見当たり前のこのことが、 普段意外と見失われがちだったりするんです。

例えば、既に日常の仕事としてルーティン化されてしまっているもの。
人って、そういうものには、あまり疑問を抱かなくなりますよね。
定期的に繰り返してやっているうちに、いつの間にか元々あった、
そのメッセージを発信する本来の目的が忘れられちゃったり? 冷静に考えてみると、

「なんで私たちは“今”この媒体を使って、このメッセージを発信しているんだろう?」

てことも有るかもしれませんよね。
そういう意味でも、当たり前になっていること、普通だと思っていることは、
もう一度、見直した方がいいのかもしれませんね。

ちなみに、ここで言っている”ゴール“っていうのは、
単に発信するものの(そのコミュニケーションにおける) “ゴール”(期待する結果)
じゃなくて、お客さんの

ビジネスにおける“ゴール”(目標・目標)

って意味です。 私たちは、お客さんの設定する、その“ゴール”にたどり着くための
方法を、 戦略・デザイン・コピー、そして媒体で提案しなければなりません。

それって、お客さんが設定しようとしている(希望している)“ゴール”が、
ちゃんと見えていて、その意図をちゃんと理解出来ていて初めてできる話ですよね?

さて、みなさんは、その目的、誰のために、何のために発信するのかを、

本当にたどり着きたい“ゴール”

を、ちゃんと把握できていますか? 見失わないようにできていますか?

6月 13, 2010

"主役"は誰?それは何故?

企業が発信するメッセージの場合、その本質的な語り手は
たいてい、発信者である企業自身となります。ですが、

「そのメッセージの“主役”は?」

となるとどうでしょう?ここで言う“主役”とは、

メッセージが誰(何)を中心にして語られてるか?

と言うことですが、それは必ずしも発信者に限ぎられたことではありませんよね。
”主役”が誰か?が、"なんで"大切なのか? 前回紹介させてもらった、
「ネオ・デジタルネイティブの誕生」(※2010年3月 ダイヤモンド社 )という本では、

”急激な社会環境の変化は、その中で育った各世代の考え方や態度を大きく
違うものにしている”という見方をしています。例えばその中で、

今の若い世代は、“暑苦しく自分たちの世界観や価値観を押し付ける
コミュニケーション"に否定的

になりつつあり、今後は更にその傾向が強くなるのでは?という
推測がされている箇所があります。また、彼らがツイッターを受け入れたのは、
その“弛い繋がり”を許容する文化に対する 心地良さもあるのでは?とも。

そのことを前提とすると当然、そのような世代をターゲットに、何かをメッセージする
場合、発信者側が世界観や価値観を一方的に押し付けて来るように感じられがちな、

企業や商品など、発信者自身が“主役”となる
コミュニケーションのスタイルには注意が必要

ということになります。

また、それは特定の世代だけがということではなく、時代の変化や生活環境は、
すべての生活者に多少なりともなんらかの影響を与えているはずですよね。

特定の世代の存在は、その時代のムードの極端な表れ、
象徴されたもの だとも言えるかも知れません。 そのせいか最近では
「メッセージを受け取る人が”主役”となるような」コミュニケーションも
増えて来ているように思います。

上記のことからいえば、それは正しい考え方ですよね。
しかし、カタチ上はメッセージを受け取る人が"主役"になっていても、
メッセージの中身自体はどうでしょう?

”主役"を受け取る側にするだけでは問題は解決しません。
”主役”が誰か?が大切なのは、ターゲットや時代背景を考慮して、

どういうタイプのコミュニケーションをするか?

ですよね? 本当にあなたのメッセージは、
届けたい人にちゃんと受け入れられているでしょうか?



6月 09, 2010

伝わらなければ意味が無い

社会環境の変化、特に

インターネットによる生活環境の変化

が、急速に進んだことにより、
変化の中で育ってきた各世代の間に、

従来のギャップよりも更に大きな、いろいろな種類の“差”を生み出している

と、想像することは特に難くないですよね。育った環境が違えば、それは
ライフスタイルだけではなく、物事に対する考え方やスタンス、好むことの傾向
みたいなものにも当然影響があっておかしくないですもんね。

まぁ、細かいことを言ってしまうと“それは一人ひとり皆違う”ということになりますし、
それも忘れてはいけないことなんですが、それぞれの世代での、

いわゆるムードみたいなもの

からくるそれらの違いは、それでもやはり感じられます。

そのことは、企業のコミュニケーション戦略にとっても、前提としてしっかり
捉えておかなければいけない要素の1つということは言うまでもありません。

前にも“適切なタッチポイント、メディア、表現で、一貫したメッセージで”などと
書きましたが、利用するツールやメディア、そして企業側における
ブランド・プロミス (つまりそのブランドが顧客に対して約束すること)などが
大切であるのと同様に、ブランド・イメージを有する顧客側のそういう特性、つまり

受け取る側の"取りかた""感じかた"の傾向を、きちっと分析し、
把握しておかなければ、“適切”なコミュニケーションなんてとれない

ですもんね。 PCとインターネットの普及の時期に始まり、携帯電話が
無くてはならないアイテムにまでなってしまった現在の日本人を、
76、86、96という世代にわけて考察した
「ネオ・デジタルネイティブの誕生―日本独自の進化を遂げるネット世代」

(※2010年3月 ダイヤモンド社 )は、
これからの企業コミュニケーションを考えるのには勿論ですが、
個人の日常においてのコミュニケーション方法や態度についても、
再度考え直させられる

そういう貴重な機会を与えてくれた本でした。




6月 06, 2010

耳を傾けてもらう

私たちは、お客さんの課題に応えようと「媒体はこうなのでは?」
「思い切ってここまでやらないと意味が無い」
「むしろ発信しなければならないのはこっちの方」等など、
常に様々な提案をしています。 が、

提案が、手放し状態で採用されるなんてことは、まず、ほとんどありません。
逆に大きなお世話と思われたりする場合も?
ましてや今まで、おつきあいの無かったところへ新規で飛び込む場合などは顕著。

当然、提案内容自体が"お客さんの課題や予算にマッチしている" というのは
大前提なのですが、同じ様な提案をしているにも関わらず、提案者の違いだけで、
その受け取られ方がまったく変わるというような場合も多々あります。それには、

”関係”や“信頼感”

も、大きく影響しているからですよね。

同じ様に、企業が何かメッセージを発信したり提案したりするときには、
それを受けとる側の顧客も似た様なプロセスで判断をしようとするんじゃ
ないでしょうか。であれば、それも当然、
両者の“関係”や“信頼”によって大きく変わってしまいますよね?
そこで、自分が業者や協力会社に対するとき、

どういう面からそのような判断を下しているか

を考えてみてください。それは会社や人の“名前”ですか?
担当者の“話し方”“服装や雰囲気”提案された“場所”“タイミング”“接触頻度”それとも、
それまでの“実積”単に見積りの“金額”? これらの何に対して、どんなところに
信頼感を持ち耳を傾ける気に成るのでしょう? もちろん”すべて”じゃないでしょうか。

それら”すべて”から伝わって来るもの、あきらかになるもの

じゃないですか? ブランディングは簡単に言ってしまえば、
その基調となるものをきちんと明文化した上で、
それを各活動によって実現し構築しようというものですよね。

そして企業の全ての活動が、その指針に基づいて行われることで、
その価値を高めようと、信頼してもらいメッセージに耳を傾けてもらえるように
なろうとしているわけです。 ○○でブランディングしましょう!と言う場合、その前に

そのブランドが約束することやポジショニングが、きちっと決まっている

のでなければ、何をやったところで一貫した活動にはならないですもんね?



6月 04, 2010

ケース・スタディ

世の中には広告や販促など、企業コミュニケーション活動に関する

”ケース・スタディ”

が溢れてますよね。でも、それって

「本当に正しく利用されてるのかな?」

って思ってしまう事が。なんか最後に形となった

”表現”や“企画”ばかりに 目が向けられている?

って感じで・・・。 私たちは日々、お客さんの抱える“課題”に対して、
コミュニケーション活動によって解決出来る部分を模索しています。

それはもちろん、コミュニケーション分野以外の活動とリンクしていなければならず、
それらの活動すべての相乗効果によって課題そのものの解決へと向かうというわけ
なんですけどね。

でも、突然お客さんのところへ行って、
「御社のコミュニケーション活動上の課題をお聞かせ下さいますか?」
なんて上っ面なことを聞いても、大概答なんて返ってこないですよね。
「それがわかってたら、とっくに何かやってるよ!」って 言われちゃっても
しょうがない感じですかね。

やっぱりプロだと自称する以上、私たちがお客さんである企業の
コミュニケーション活動の中で、機能していない部分や非効率的になっていると
思われる部分を探しだし、提示しなければならないですからね。

実は、ケース・スタディこそ、そういう

”課題”そのものを探し出すための一手段

として、とても有効なものだ、ということなのです。

そういう視点でケース・スタディを研究することで、お客さんの
”コミュニケーション上の課題”を見つけることが出来るようになると。
そして、だからこそ

単なる二番煎じなんかではない、本当のソリューション、
適切なコミュニケーション活動の提案が出来る

のではと、思うわけです。


6月 02, 2010

横文字

私たちのビジネスにおいても”横文字”は、次から次へと入ってきます。
そしてそれらは、早い者勝ちと言わんばかりに?すぐにビジネスで使われ始めます。

でも、お客さんを含め他の業界の人たちには
「よくわからない」とか、「専門用語ばっかり」とか?
言われてしまったりすることもしばしば。

”横文字"ってことでいうと、そもそも私たちの仕事自体が欧米から入って来たものだし、
多いのもしょうがないといえばしょうがないと言うか・・・。
まぁ、言葉というより、新しい考え方とか概念みたいなもんですし、
ぴったりの日本語に置き換えるのも、まぁ大変ですよね? 今更“デザイン”を
“意匠”や“設計”などと呼び直したところで、新たな誤解を生むのが関の山?
わかりやすくなるわけでもなさそうです。 問題は

”横文字だから”わかりづらいんじゃなく
”概念とか意味がよく理解されずに使われちゃってるから”

ってことですよね。
それは単に言葉ってだけじゃなく、例えばデザインのスタイルみたいなものでも

”その理由が置き去りにされて、上辺のスタイルだけが採用されちゃってる”

って場合もあるように思っちゃいます。
確かにスタイル的には流行のものではあるのですが、そのスタイルの本来の
“考え方”(なぜ、それが生まれたのか?)とか、そのスタイルから得られるであろうと
期待される“効果”をちゃんと考えた上で採り入れられてるのかなあ?って
思ってしまうものがあるということなんですがね。で、結局このデザインで

何か伝えたかったの?

みたいな。 どんなスタイルを用いるにしても、理由があるはずですし、
期待される効果も想定されてるはずですよね。
そして、それらはクライアントの課題に対しての"解決策"になってないと。

話を戻して、"横文字"についてなんですけど、その"横文字"、
つまりは新しい考え方・スタイル・手法などが、

”何のために生まれたのか?""どんな効果が期待されているのか?”

ということを意識して、使ったり採り入れなければ、
それはまったく相手に伝わらない意味の無い、
使い捨ての流行のものみたいになっちゃいますよね?


5月 30, 2010

“Affordable”イメージと “Cheap”なイメージ

「“お得感”を全面に出したい!」

お客さんが、そう言う時って大体、チラシの“大特価!”みたいな
イメージで オーダーしている。って事が多いですかね

実際にそれで良い、というか、それが正解という時も
勿論あるのですが「そうじゃないですよ」って時も。

街で看板を見たり広告を見たりしても、そう感じることは多々あります。
何が違うって、“安い”っていうのと“値頃”っていうのが ごっちゃになってるって
言うんですかね。 本来はブランド的にもポジショニング的にも

”Affordable(値頃)”イメージじゃなきゃいけないのに
”Cheap(チープ)”になっちゃってる

てことなんです。 “Cheap(チープ)”って言うのは「品質も良くはない」って
イメージがつきがちなんですが。 せっかくロゴとか
VI(ビジュアル・アイデンティティ)とか、お金をかけて作っても、
同時に日々同じようにお金をかけてそのイメージを壊してたらホント意味ないし
勿体ないですよね?

本当は、どんなお得感が出したいのか。

もう一度考えてみてはどうでしょうかね?


5月 15, 2010

表現においてのクオリティ

ずば抜けたアイデア。飛び抜けた企画。
いつか自分もそういう広告や販促のアイデアを出したり企画を立て
世間をあっと言わせたい。ものすごいヒットを飛ばしたい。
まぁ、ほとんどの人が、そう思ってますよね。
でも、意外と普通のことを普通にやるっていうのが結構難しかったり。

実際、普通にさえ出来ていないってのは街中に溢れてますからね。
普通に出来ただけでかなり高得点になったりするんですね。

ま、それじゃあレベル低いんでね、もうちょっと高いところを見るってことにして、
私たちの仕事で考えてみました。 よく

”素晴らしいアイデアは既存の何かと何かの誰も気付かなかった組合せから生まれる”

なんて言われますよね、ホントそうだと思います。
もっと言うと普通のことがちゃんと出来ていて、プラス、

何か新しいことが少しだけ加わっているだけで、凄いアイデアにガラっと変わったり

しますしね。

でも、デザインやコピーなんかの、いわゆる表現ってものにそれを置き換えると、
実は、あまり当てはまらないのかなぁって思うんですね。
下手すると蛇足によって単にちぐはぐしたもの、あるいは全然ターゲットに伝わらない
ものになっちゃたりもしますし。

そもそも“飛び抜けた表現”っていうのは表現のレベルでごにょごにょやっただけで
生まれる様なもんじゃないと思うんですよ。
その前段階の、方向性やコンセプトの出来で、ほぼ決まっちゃうんですよね。
そういう意味で、それらを導き出す基になる広告計画や販促計画の段階で
知らず知らずにその可能性を削ぎ落としちゃってる場合もあったり。
基の部分が今イチだったら、

表現だけでゴニョゴニョ頑張ったところでそれは
“なんとか取り繕う”“見た目で誤摩化す”ってこと

にしか、ならないわけで当然、大して効果なんて生まれないでしょ?
いくら優秀なクリエイター使ったて、そういう作業をさせちゃうん

勿体無い

ですよね。
まぁ、ちがう職種の人からみたら面倒臭いところもあるかもしれないんですけど、

できるだけ初期レベルの企画段階からクリエイターが入るのが、
コミュニケーションの精度を上げる近道

だったりするんですけどね。


5月 10, 2010

イノベーションって人を驚かしちゃいますけど・・・

イノベーションは、マーケティングリサーチからは生まれない。

人を驚かそうとしてるのに、
あらかじめ「君は何をされたら驚く?」って聞いてまわる人がいる?

って、最近読んだ本
*2009年12月 アチーブメントシュッパン: 
ゴー ルは偶然の産物ではない~FCバルセロナ流世界最強マネジメント~
に書いてありました。

まったくですよね。

データはあくまでも過去のもの。そのまま現在に適用なんか出来ないのは、
みんな気付いていると思うんだけど。それでも、いざ何かを決めるって時になると、
ほとんど必ずデータが必要になるんですよね。
というか、人間って、ほとんどの場合において、価格かデータ(過去の事例とか?)
でしか何かを決められないんじゃないか?って思っちゃうくらい。

だから、それを逆手に取って、自分たちに都合いい読み方をしたデータを説得の
材料に使って採決者を騙したり惑わしたりする提案が世の中に溢れるわけで、
ホントそういうのって、がっかりしちゃいますね。

まぁ、広告を出したいと言っておいて、「あまり目立つのはちょっと」とか?
いわれたりもするし。何に付けても

控えめが良しとされ気味の社会ですからね、

コミュニケーションにおいてもサービスそのものにおいても“イノベーション”のような、

世間をビックリさせるものなんて初めから必要としてないのかな?実は。

口では言ってみてるだけで。
まぁ、そういうことなら、なんでもデータでこと足りますけどね。


4月 29, 2010

メッセージ

自分が意見を言う際に、あまり考えず?なんでしょうかね、内容に関わらず、
とりあえず「いや!」という言葉から話しに入る人がいるんですけれど、
まぁ、当然なんですが、あれって良くないですよね、やっぱり。
ええ、前に発言した人の言葉を打ち消す

「いや、そうじゃなくて」の「いや!」

です。
まぁ、そういう“話し方”みたいな事に関しては、書籍を始め、
いろいろなところで書かれていますし、大概の人が頭では、わかっているんだと
思うんですけど・・・。これが、結構多いんですね。

なんででしょう、自己顕示欲?みたいなものが無意識にそうさせちゃうんでしょうかね。
それでも、本当にその前の意見に対し反対のことを言う時ならまだしも、ほとんど
同じ内容のことを言っているにもかかわらず「いや!」から入っていたり
している時も結構あるし。
聞いてる方は混乱するし、話しは前に進まないし。僕みたいな性格だと
かなり苛々しちゃいます。

それに、自分の意見に対して「いや」って言われた方は、その瞬間身構えるから、
普通に聞かされていれば賛同出来る様なことにも意固地になって反発しだしたり
しますしね。

まぁ、良いことなし?

言いたい内容はハッキリ相手に伝わらないと意味が無いのですが、
逆にはっきり言っても話し方が悪くて伝わらないってパターンですね。
そして、そのパターンを怖がるあまり、話しを濁し過ぎて、結局何が言いたいんだか
わからなくなってしまっているような人も、これまた沢山いますね。

企業のコミュニケーションに関しては後者の方が多い?って感じます。
ハッキリ言うのが悪じゃなくて、ヴィジュアルも含めた全体の

メッセージが正しく相手に伝わっていない

というのが問題なんですけどね。


3月 02, 2010

イメージよりな・・・?

仕事上よく「今回は“イメージ”的なものではなく、もっと直接販売に繋がる〜」
という言葉を、お客さんやお客さんから聞かされたりします。

まぁ、話しの前後から、なんとなく何が言いたいのかはわかるのですが。

にしても曖昧なんですよね。

まず、お客さんが言う“イメージ”って、どういうものを指しているのか?なんですけど、
こっちが、製品なりサービスなり、あるいは企業そのもののブランド育成を意識して
企画、提案したものに対して、そう言われることは多いですよね
(まぁ、ブランディングに関しては最近でこそ少し理解してもらえるようになって来た?
感じですが)。

でも、まぁ、それならまだまし?というか、お客さんによっては、なんというか・・・、見た目がチラシ的なのもの?じゃないと、全て“イメージ”で片付けられてしまうような
(それが、いくら“販促的役割を担わせる広告”だとしてもの話しだけど)。

「奇麗なだけのデザインなんて意味がない」

といったことは、よく聞きますよね。
私は、デザインには基本的に“全て意味(機能)が有る”と思ってますし、
実際にもいつもそういう考え方で制作しています。

そういう意味でこの言葉は正しいとは思うんですど・・・、でも、それって、
どういう意味で言っているのかな?と。その後に続く言葉は?

汚かったらそれ以下じゃないの?

って思っちゃう言い方なんですよね。売る為の販促的役割の“チラシ的な広告”でも、
イメージは当然重要じゃないですか?

ただ単に「◯◯今なら50%OFF!」とか、そういう情報だけで、ブランドそのものを
反映させてない、あるいはブランドに相反するヴィジュアルやコピーで
メッセージを発信し続けていたら? いくら他方お金をかけてブランド育成広告を
うったところで、そのブランドは、そうであって欲しいと願ったようなものにはならず、
強いては、それが原因で競合との競争に負け市場からはじき出されたりということも
あり得るわけです。

つい先日、雑誌で読んだのですが、サムスングループの李健煕(イ・ゴンヒ)
二代目会長は 「機能や品質は各社いずれ横並びになる。製品のデザインこそが企業の
優位性を左右する源となる」 と、製品のデザイン性を重視し、製品の企画・設計の
段階よりマーケティング担当者とともにデザイナーを深く関わらせる体制を
構築したことで、他社と差別化をはかることに成功しブランドを育てたという話しが
出ていました。※週刊 ダイヤモンド 2010年 2/27号 [雑誌] 
ここで言われている“デザイン”は、当然“奇麗なだけのデザイン”なんてレベルの
話じゃなく、「機能や品質は各社いずれ横並びになる」つまり、そこがおさえられて
いるのは当然であり、その上で“デザイン”が差別化をはかる為の重要なものであると
言ってるわけです。

長年サムスンの製品開発プロジェクトに関わって来た関係者の一人は
「日本のメーカーは技術本意なのでそのような体制はありえない」と
言っているそうです。更に、日本は
 「とりあえず“いいもの(信頼性の高い品質の良い製品)”を作れば“売れる”」
という考え方から未だに抜けきれていないとも。
つまり“マーケティングも軽視しされている”ということになるんですかね。
(誤解の無いように言うと、これは技術などの“発見”や“発明”とかの“創造性”に関する
レベルの話しとは別の話しのつもりで言ってます。その件は、また、いつか)

マーケティング(あるいは、その感覚)を無視したデザインなんて、そもそも
あり得ないんだから、ならデザインが軽視されていても当たり前?技術思考のみで
企画された製品に、マーケティングが後付けで登場して、上からデザインの皮を
被せるって事でしょうか?
つまり、デザインは単に製品の“イメージ”の部分って訳ですね。

そうやって出来た製品などに対し、私たちは「さて、どうやって売ろうか?」と
広告などの企画を考えているってことなんです。

でも、その時点からでも、何とかブランドそのものを汲み取ってコミュニケーションに
繋げよう作りだそうと、頑張ってるんですが、決定的な差別化を探し当てるのは
凄く難しいし、なんとか絞り出したものも、お客様の方にしてみれば
ブランディングなんて、もともとが考えていなかったわけだから、
私たちの提案が単なる“イメージ”に見えても、ある意味しょうがないのか?とね、
思ったりもする訳です。

実際に、そのレベルというか、ステージ?からの

ブランド・ビルディング

っていうのも無い訳ではないし、要は意識の問題だと思うんですけどね。


2月 27, 2010

短期・中期・長期、それぞれのアプローチ

“広告”は、媒体特性やターゲットに関する要素を無視して
出稿しても意味が無い。それだけを聞くと至って初歩的なことすぎて、
「え?そんな事もクリアー出来てない広告なんてあるの?」って
思っちゃうかもしれませんね。

現在ではソーシャル・メディア関連で、よく

「これは短期的に結果を出す(求める)ものではなく長期的な視野において、
より戦略的な〜」

なんて言われていますが、それは、そもそも“ブランディング”自体がそういうものですし、
私自身は、マスメディアを使った広告も、本来どちらかというと中・長期的な
ブランド育成に適したものであって、短期で“売る”という結果を得るために使う
というのは、それこそ“どんなものにでも当てはまる”というわけにはいかないんじゃ
ないか?と思ってます。

以前、私の所属する会社のアドバイザーでもあった、植田正也氏
〔早稲田大学大学院・アジア太平 洋研究センター
「早稲田大学ビジネススクー ル」講師〕が
「日本語の“広告”という言葉には、海外で言うところの
“Advertising(アドヴァタイジング)”、いわゆる、企業広告などを含む
ブランド育成広告という意味合いのものと、
“Sales Promotion(セールス・プロモーション)”的な意味合いの、
いわゆる、短期間で直接的に売る為の種類の広告とが、両方含まれているため
制作側と発注側において混乱が起きやすい」ということを、おっしゃっており、
また、ご自身の著書(少し古いものになりますが)でも書かれていました。
※2002年2月 日新報道刊:2005年の広告会社―ニューヨークから東京へ

でも、日本では、中・長期的な視点に立った、ある意味、

投資的な“広告”や“ブランディング”

といったものは、なかなか 理解されず、ほとんどのものが単なる

”イメージ的なアプローチ”

として片付けられてしまうことが多いように感じています。

でも、“イメージ”っていうのは単なる飾りや装飾ではなく、
それはそれで凄く大切なモノなんですけどね(その件はまた別の機会に)。

そんな中、いわゆる“代理店”は、大量に広告のスペースを売ることにだけ専念して
来たように見えるんですよね。売るためには内容なんか後回しって感じで。
「わざわざ嫌がるもん持って行って説明するのも面倒くさいし、

売れるもんも売れなくなったらやだし」って感じ?まぁ、その結果として、
マスメディアにチラシ的ものばかりが溢れる事になったのかなぁ?とも思うわけです、
効く効かない関係なしにね。

実際のところ、私には本当に効果的なものだと思えるのは、
一部だけのように思えますし。

更に、現在の環境の変化を考えると、即、売りに繋げるためのメッセージを発信する
“短期で結果を出すための広告”は、以前よりも、もっと難しいものになって
来ているんじゃないかな?って思うんですよね。

ターゲットにもよりますが、いまどきの、情報に不自由せずに暮らしている消費者が、
そんな一方的な企業からの発信に対して、それほど素直に反応するわけないって
事なんですがね。

まぁ、その結果、

「じゃあ、マスメディア広告なんか大金かけてうつのあほらしいじゃん?」

って事になり、広告の枠は売れなくなるということになると。現状そのもの?

企業自体にお金が無いっていうのは、もちろん有るかもしれませんが
理屈が極端ですよね?

「マスメディアでは、売るための広告はすべて効果がない」
なんて言ってるわけじゃないんです。ただ、ちゃんと考えるべきだと。
その選択肢をちゃんと持つためにも、中長期的な視野でのブランド育成広告の
重要さについては、もっと理解されるべきだと思うんですよね。


2月 24, 2010

これからは◯◯の時代?!

まぁ、前からの話しですけど、広告に対する否定的な意見や言葉は、よく聞きます。
で、その言葉の後に来るのが、だいたい

「これからは◯◯だ!」

PRだった時も有れば、企業Webサイトだった時も有ればと、まぁ、いろいろなんですが、
その「これからは◯◯だ!」というのがどうか?と言うのは、ひとまずおいといて、
そもそも何で広告がもうダメなのか?何をもってダメだと言っているのか?っていうのが
曖昧なままで、言葉だけがあちこちで聞こえるように思うんですよね。

もちろん、きちんと分析して、かぎりなくフェアに発信している人もいますし、
正しく状況を見つめることができている人もいると思うんですが、普段、私が
直接周囲の人から聞く言葉に限って言うと、ただ何となく余り考えなしに
使っているって感じに聞こえます。

まぁ、元々TVやラジオ、新聞、雑誌などの広告スペースをメディアに代わって
販売することから始まった広告代理店というものを中心に大きくなった、
この業界の成り立ち方を踏まえ

「広告はもう終わった」

という事の意味を考えると、まずは

1. “メディア”自体が力を失った

という意味と、また、

2. そのメデイアの特性上、企業側からの一方的な発信というスタイルを
  とる事になってしまう、その発信の仕方が現代に合わなくなった

ということが最初に思いあたります。

でも、それにしても“誰か”によって、大分意味が変わってきますよね? それこそ
代理店業務をしている会社の営業マンや経営者だったら

「もうマスメディアの広告スペースは以前のようには売れない、おいしい仕事じゃ
なくなったよ」という意味かもしれないですし、出稿者側、つまりお客さんの
立場だったら、「広告は、見る人が変わったのか、いなくなったのか、コストに対して
効果が見合わなくなってきた」 という意味なのかも知れませんしね。

でも、媒体特性や、そこで発信するメッセージ内容を深く検討した上での企画が
出来る前に、「安いから」というだけで、あまり効果的とも思えない
出稿のスペースだけが先に決まっていたり
「せっかく高いお金を出して広告を出すのだから」という思いから?
安全策をとるあまり“今までのやり方”に固執し、その時その時の状況に
十分に対応出来ないままの形で広告を出稿してしまってたりということも
実際に多々見受けられるわけで、
ターゲットに関する要素を無視してメッセージするのであれば、それは、

広告じゃなくても同様に効かない

ですよね。 だって、インターネット広告だろうがソーシャル・ネットワークだろうが、
その特性やターゲットを無視して何かやっても意味が無いし逆効果になる場合だって
あるでしょ?そりゃなんだって同じですよね。

そう言う意味で、一概に“メディア自体が力を失ったのが原因”と言って、
おしまいにしてしまうのも乱暴な気がします。
 更に、時代や環境もどんどん変わる中で、当然マスメディア広告とかも
企業コミュニケーション全体の中での立ち位置は変わって来てると思うんですよね。
ということは、広告だけが従来のスタイル
(全体の中での広告のポジショニングという意味で、ですが)のままでいい、
なんて事はありえない訳です(この話題を次回)。

企業のコミュニケーション活動全体の中で“広告”は、その幅や影響力を
以前より狭めたのは事実かもしれませんが、だからといって、“広告”自体が
「終わった」とか「もう古い」とか、そういう言葉で決めつけてしまうのは、
それこそ広告だけの問題じゃなく、今、私たちが直面している大切な変化を
間違って捉えちゃうことになるんじゃないかなと思う訳ですよね。

単純に、言葉に煽られて、ただ入れ物を流行ものに変えるだけじゃ、
結局、何をやったところで同じじゃない?って思っちゃうわけです。


2月 14, 2010

きっと後から読むと恥ずかしい記念すべき第一回目のPOST

私は世間的には広告代理店と言われる会社、
と言っても、その中でも小さい方の一つで、
クリエイティブ・ディレクターという肩書きで仕事をしています。

クリエイティブ・ディレクターというのは、広告や販促物などの
デザインやコピーによる表現や企画に関する責任者で、
立案や企画から制作までチームを指揮、運営する人間のことです。

とはいっても、私の場合は大手広告会社(代理店)の立派な方々とは、
やっている事も扱う予算も全然違う訳で、同じ肩書きを名乗るのも
気恥ずかしいぐらいですがね。

で、この私たちの“広告業界”なんですが、最近
「ちゃんと自分たちの立ち位置をわかっているのだろうか?」と、
思ってしまうときがあるんですね。

まず“広告”っていうのは基本的に、TV・ラジオ・新聞・雑誌といった、
いわゆる4大マスメディアで出稿されるもの、それとシティボードや交通広告
(あと、ちらしや看板、Web・OnLine広告とかもそうですけど)を指し、
以前は企業コミュニケーション活動の中でも“ちょっと派手で花形っぽい
イメージ”のものだったという印象があります。

ですが現在、この“広告”の置かれている状況も変わって来ていて、
企業のコミュニケーション活動全体からすると、広告の担う領域は以前に比べ
小さくなって来ていると思うんですよね
(一概に広告は影響力を失ったなんて言ってるつもりはありませんけど。
その話しはまたの機会に)。
まぁ、唯一伸びてるのはWeb系でしょうか。

ですが、業界の中の人が“広告業界”と言うとき、未だに以前と同じ“特別感”みたいな
ニュアンスを帯びて?言われているように聞こえるというか、
中には、その他のコミュニケーション分野の各業界に対して、
何か上から目線的なものさえを感じさせられることもあり、
そこに凄い違和感を感じてしまうんですね。

会話の中では「コミュニケーション・デザインがどうの」とか頻繁に出て来るし、
仮に広告だけを取り上げるとしても、現実に、全体を念頭に置いた上で
戦略をたてているからこそ、

その企業のコミュニケーション活動の中で、
正しいポジションに、その“広告”を位置づける

ことができ、効果的なものを生み出せているはずなんですけどね。

もし、本当に“コミュニケーション・デザイン”全般にまで自分たちのサービスを
拡げようというのであれば、その人たちは既に“広告業界”の人じゃないわけですよね。
だし、その中で 「自分は広告の業務を専門としてやっている」 というのなら、
他のコミュニケーション分野の人たちと同じく、一翼を担っているわけじゃないですか。
そこら辺の意識を?自分たち自身でハッキリさせておかない限り、例えば
“広告”に関しても正しい提案って出来なくなっちゃうんじゃない?って思っちゃうん
ですけどね。“総合的な視点”でやってますっていうんならですが。