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6月 02, 2013

ブランディングとプロモーション


「長期的な視点とは、何年か経った後、はじめて結果が出るということではなく、長期にわたって結果が出続けるという意味」

ブランディングと広告やプロモーションにおける話題作りが、共存し成功しているものが例外だというのではなく、一般的な、どの企業の活動においても、通常それらが対立する概念ではないということを、やっと実証出来そうな気がしてきています。


長くかかったけど、早くここで報告出来るようになればと思っています。

9月 15, 2012

広告とブランド


私は広告を通じて、人の暮らし方や物に対する価値観を変えようとか、見る人に感動を与えたいとか、そんなおこがましいことを考えながら仕事をしたことは一回もありません。
広告ですから(笑)。

広告は企業や商品、そしてサービスなどと生活者を出会わせ結びつけるきっかけだと思っています。

そして、だからこそその広告に表れる、メッセージされるもののブランドがとても大切になると考えています。

最終的に売れなければ意味がないというのは十分承知の上であえて書くのですが、売れれば何でも良いというのだけは、どうしても個人的に抵抗があります。

もちろん商品やサービスによっては何でも良いから売れれば良いというものも無いわけではないでしょうし、そうであれば分からないでもないのですが、たぶんその場合に必要とされる手法は広告ではないのではないかと思っちゃうんですけどね。

このことは、じゃあ広告の定義は?という話になるのですが、取り合えずここでは私の考える広告以外とは、店頭などでの販促プロモーションやイベントなどであるとだけいっておきます。

話がちょっとそれましたが、なぜ広告にブランドが大切だと考えるのかということに話を戻したいと思います。

先ほど広告は企業や商品、そしてサービスなどと生活者を出会わせ結びつけるきっかけだと思っていると書きましたが、正にそれが理由になります。
たかが広告で人の意識や生活を変えられるとも、感動を与えることができるとも思っていないということも書きましたが、企業や商品、そしてサービスなどには、それらをなすポテンシャルが含まれていると思っています。
つまり、それらを生活者がなんなりかの形で経験することによってなしえるのです。

そして、広告がそれを起こすきっかけであるならば、そのことをメッセージに触れる生活者に予感してもらうことが出来るよう伝えることが広告の役目なのだと考えるのです。

正にその伝えなければならない部分こそ、ブランドなのではないでしょうか。

8月 25, 2012

見せたい姿と、あるべき姿のギャップ


見せたい姿と、あるべき姿のギャップ。
自分自身に関して、あるいは周りにいる人に対してこの様なものを感じた事は有りませんか。

私はしょっちゅう考えます。要は客観性の問題でもあるんですよね。
「自分の事はよく見えない」というあれです。

たまに「俺はメチャメチャ自分が客観的に見えている」って言う人に会ったりするんですけど、そういう人は他人の意見は求めてないでしょうし、敢えてこちらから何か言う事は特にないのですが、本当に稀に突っ込みを入れた時に、そういう人たちが揃って口にするのが「わざとやってる」「計算している」、つまり「あんたみたいな凡人にはわからないよ(俺は特別鋭いんだから)」ってやつです。

でも、大多数を占める凡人に伝わらないのですから、私が「相手にはあなたが希望している様な姿に映らないのでは?」と突っ込みを入れるのは、当然のことながら、ほぼ正しいわけです(笑)
そして次にくるのは「別に全員に分ってもらおうとなんてしていない」「分って欲しい人にだけ、分ってもらえればいいんだ」ですかね。本当にそう思っているんですかね?ちょっと疑問です。
それにこの少数の “分ってくれる”人たちは、そういう人の表に現れている姿を「?」と思いながらも、他の部分をもって帳消しにしてくれているだけかもしれません。
つまり “分って” くれている訳ではなく、ただ調子を合わせているだけという可能性がかなりあるんじゃないかなぁと思うんです。

なので、これって自分自身の事を考える時が一番難しいですよね。
さっきも書いたように、いわゆる仲の良い人は、本当に相手のことを思ってくれる親友レベルの人でもないと、なかなか自分が思っていることを率直に伝えてくれたりはしません。ただ仲良く?付合ってくれているだけなので調子だけ合わせたりするんです。
かたや、仲の良くない人やライバル視している人、どちらかと言えば自分の苦手な人の言葉は、意外と本当のことを言っていることが多いのですが、どうしても素直に受け取りずらいものです。どうしても好意的には考えられなくなりますからね。

しかし、見せたい姿と、あるべき姿のギャップを埋めるためには、それらの様な一見批判的、非好意的な意見からも、冷静に、自分の印象のデータを収集し、修正していけるかどうかというのが非常に大切になるのです。

それって企業に置き換えても同じですよね。
ファンじゃない人たちのネガティブな意見を含めた反応から、ただの罵倒や中傷を区別し選り分けながらも、大切な意見(反応)を見逃さないようにする。でないと裸の王様になってしまいますもんね。

7月 30, 2012

世の中に足りないと思うもの


今、自分の目に見えている世の中で、自分の活動領域において何か不足しているように見えますか?

それは実現出来れば価値のあるものですか?

何でそう思うのでしょう?

それは自分以外の人にとっては価値のあることでしょうか?

価値があると思ってもらえそうな人たちは、どのような人たちですか?

逆に、それに価値が無いと思いそうな人たちは、どんな事に決定的な足りなさを感じ、実現できれば価値があると感じるのでしょう?

それは、あなたが不足している(実現出来れば価値がある)と思うそれと、実は見えていない何かで繋がっているものでしょうか?新たな何かを間に挟むことで繋がるものでしょうか?

もちろん自分以外の人たちを考えから除外してしまうというやり方もありますよね。
その場合、周りが、あなたのやっている事に価値を見い出せるようになるのは、昔の画家の様に時が暫く時が経ってからになるかもしれません。
はじめから、自分が考えている、自分のやっていることの価値に見合った対価を得ることは、なかなか難しいかもしれませんね。

6月 19, 2012

分りやすさと、具体的なもの


会社案内を制作してると必ず「実際は会社案内は、あまり使わない。強いて言えば使うのは沿革や概要が必要なときと、あとは仕事の実績を見せたいとき」というような意見を、その会社の社員さんの最低一人からは聞かされます。

理由を聞くと「具体的だから相手も分りやすい(だろう)」という事なんですが、本当にそれで、お客様はその会社を “分って” くれているのでしょうか。

お話を聞いていると「あとは、会社としての実績や、個別の提案書、そしてそれに関連したパンフレットで説明するから」という感じみたいです。 確かにそれで済んでしまう場合も多いでしょうし、その実績が競合他社と差別化された特徴的なものでしたら相手も判断は速いと思います。

確かに改めて思い出してみると私自身もよく知らない企業のホームページなどを見る時、まずは、どんな商品、どんなサービスを提供してきた会社なのか?を足がかりとして、その企業を知る作業を始めていることに思いあたります。実態がそこにあるということを無意識にであっても知っているからですよね。

ですが、そこで特徴的な他社と差別化されたものが見つからなければ、そこまでで調べるのを止めてしまうということもありません。
もちろん、その商品やサービスが箸にも棒にもひっかからないほど酷いものだったとしたら別ですが・・・。
みなさんも、競合と比較検討出来る何かに行き着く間で、それを見つけようとするでしょう。
そしてたいして決定的な差が見つからない場合、結局、価格での比較になってしまったり。

このことからも分る様に、その会社の提供しているもの、つまり商品やサービスで競合と差別化されているというのは一番望ましく人にとって分りやすい状態だとは思います。
ですが実際は、そこではなかなか決定的な差別化がはかれないという事も多いのではないでしょうか。

相手に分ってもらおうとして、出来るだけ具体的なものを見せようとした結果、逆に人々を混乱に陥れてしまうといった状況です。

そもそも “分ってもらう” というのは、どういう状態を指しているのでしょうか。
一つは “信頼とか安心感を持ってもらう” という事ですよね。そして、“自分たちの製品やサービスを選ぶべき理由としての競合との差を知ってもらう" という事ではないでしょうか。その為の情報を提示するという事ですよね。

例を会社案内の話しに戻したいと思いますが、最初に書いたような意見を言われる方に、続けてお聞きすると、

「夢みたいなモヤッとした理念とかビジョンとかがいろいろ書かれてても意味わからないんだよなぁ」

といった話に続いていくことが多かったりします。その通りですよね。

もしあなたの会社が「私たちは◯◯な会社です!」と言っていて、それがモヤッと感じたら、それはきちんと差別化されたものとして作られていないか、具体的にどういう行動になって表れるものなのかまで、まだ落とし込まれてないか、単に表現を失敗してるかではないでしょうか。

つまり、こういったものが “具体的” じゃないから意味が無い。のではなく、 “具体的” で “差別化” されていない、ビジョンだとかプロミスと称されたものが意味がないのだと思うんです。
そしてデザインもメッセージもですが、全てがそれを感じられる様に表現されているべきですよね。

沿革や概要、そして実績などは、たまたま目の前に有る具体的なものというだけで、本当に必要なものは、会社を他社と差別化して分りやすく表現した具体的な “姿” なのではないでしょうか。

4月 25, 2012

それは対立しているか?それは本当に理由なのか?


とにかく何でも良いから、たとえ勘違いされた結果でも良いから商品が売れれば良い。
仕事の依頼を受ける際、このような感じの話になる場面があります。もちろん全ての場合において、このように露骨に要求が口に出される訳ではなく「言っている事の意味合いからするとそうだ」となる場合の方が多いのですが。

”背に腹はかえられない”事や、食べるものも無いのに建前や奇麗事でしかないと捉えられがちな "考え方" や "ポリシー" について、どうのこうのなんて言ってられないという気持ちになるのは分らなくはありません。これまで全く売れず、このままでは大赤字になりそうな商品が、今なら、10%安くするだけで間違いなく売れると分っている状況であれば「自分たちは◯◯だから絶対に割引はしない」などとは言ってられないのが本音でしょう。実際にそのような都合の良いシチュエーションはなかなか無いにしても、追いつめられた売る方の心理としては、いつも、そう思ってしまうでしょうし。

でも、モノを売る事と、自分たちの "考え方" や "ポリシー" を貫く事って、本当に対立したものなのでしょうか?確かにアートとかロックバンドの世界とかでもよく聞きますよね。「あいつは商業主義だ」とか(笑)。「プライドで飯は食えん」とかっていう言葉も、何となくちょっと似ているかも知れません。
もちろんそれぞれの内容によるんでしょうけど、どうも "モノを売る” 事に対する "考え方" や "ポリシー" といったものの旗色は大方の場合悪そうです。

ちなみに、ここで言う "考え方" や "ポリシー" というのは、お金儲け以外(逆に利益を上げなければならないといった事は当たり前の話ですもんね)の、目標やあるべきと考えている姿の事ですので、前述したように建前や奇麗事と捉えられがちなのもしょうがないかもしれません。 企業の目的なんて、本来、売り上げや利益を上げる事にしか無いはずで、その利益を大きくする為にしている、あまり褒められない事や後ろめたい事を誤摩化す為、生活者を騙す為に綺麗なお題目を掲げているだけでしかない、という訳ですね。

この事は実際にはどうなのか?という事は、このテーマからずれるので、これ以上は書きませんが、ただのお題目にしないよう行動をしている企業はもちろん有るでしょう。 でも、もしどこかが開き直って「私たちは何でもいいから売れれば良いと思っています」というメッセージを発信していたら、そのような企業からは何も買いたくはならないですよね?当然です。ですから「これは便利ですよ」とか「お得ですよ」とか?別のアプローチでメッセージしているわけです。

ところが、これらは、今や数ある商品やサービスの洪水の中で、特に競合との差別化になる ”便利” や ”お得” ではなくなって来ている場合が多く、その状態が何を生むかというと、先ほどの例にも出した ”値下げ合戦” と「何でも良いから、とにかく目立とう」という様な、販促の方向性なんです。

それにも限界があります。極端な値下げに伴うコストダウンを行いながら、本当の意味でそれまでと同様の品質を保つという事は殆どの場合あり得ません。見えない部分で必ず何かを削っているはずですよね。
品質やサービスへの影響が出れば顧客はそれを絶対に見逃さないでしょう。そしてそれが気に入らなければ二度とその商品には戻ってこない可能性もありますよね。

この値下げ合戦に巻き込まれる状態というのも「とにかく今だけ」という考え方と同じ。それこそ ”今” 売れれば何でも良い訳です。

 ”今” 売れれば何でも良い、とにかく目立てば良いという、その場限りのメッセージは、その発信者とあまりリンクしないものになりがちです。それを見た方は、その瞬間は面白くてそれを憶えていたり友達と話題にするかもしれませんが、その情報なんて新しくなくなったり、飽きたりした時点で忘れてしまいます。その後、何かの拍子に思い出したとして企業名や商品名も一緒に思い出してもらえるものがどのくらいあるでしょうか。よほど大量にテレビコマーシャルなどで露出したものじゃないと思い出せないのではないでしょうか。

”今” が大事と言いますが、では、”今” ってなんでしょうか。過去から繋がって到達しているものですよね?未来も ”今” が積み重なって到達するところではないのでしょうか? ”今” だけという事でやった事は、そのまま次の ”今” にも影響する訳です。結局は、その ”今” が、ずっと連続して続くことで信用を失い、力を失い、魅力を失ってしまうのではないでしょうか? ”今” やらないからいつまでも、そういう ”今” が続くんじゃないでしょうか。

ちなみに私は "モノを売る” 事と企業の "考え方" や "ポリシー" といったものを伝えるブランディングの意識は対立するものとは考えてません。逆に背景に企業の "考え方" や "ポリシー" がちゃんと敷かれた上で、驚きのある、面白い、売れるプロモーションは成立すると考えています。
というか、そもそも毎回そのとき限りで、次も同じようにお金と労力をかけてやらなければならないのでは無駄も多いですし、何より資金が潤沢にある企業じゃないと出来ませんもんね。

さて話がちょっと飛びますが、こだわりのカフェや飲食店なんかは、どちらかというとその ”考え方やポリシー” で、その場限りじゃないその店のファンを惹き付けてますよね?その方式をとったところが悉く上手く行かずに潰れているのか?といったらそうではないです。

であれば、そのやり方で上手く行かず潰れてしまったのは、その ”考え方やポリシー” を貫くというやり方がまずかったんじゃなくて、何か他に原因がある可能性がありますよね。

プロモーションの話に戻すと例えば ”ブランドのあり方を背景にメッセージする” というやり方は間違っていなくて、単にその ”表現のされ方がまずかった” という事が原因である可能性もあるわけです。

4月 21, 2012

機能的な価値。情緒的な価値。


ずっと不思議に思っていた事があります。不思議と言うか、歯がゆいと言うか。。

なぜ日本の企業は「私たちは◯◯です!」と明解に売り文句を言い切らない事が多いんだろう?なぜ出来るだけ分り難く、曖昧にするんだろう?という事です。
”日本の” と書いてるのは外国の企業と比べてという訳じゃなく、自分自身が殆ど日本国内の企業の仕事しかした事がないからです。

もっと、自分たちの得意としている部分、売りにしたい部分を強く言っても良いんじゃないかなぁとか、自分たちの商品やサービスを誰に支持して欲しいのかを明確に表現しても良いんじゃないかなぁと思う事が多いんです。

ある日、私は仕事でお客様の会社の部長クラスの皆さんを取材させていただいているとき、その方たちの一人からこんな言葉を聞きました。

私:新規で仕事を獲ろうとする際、御社の営業の方が好んで使う様な売り文句といいますか決め台詞みたいなものはありますか?
お客様:こちらから先に言うような売り文句や決め台詞はありません。逆に余計な事を言わずに先ずは先方がどんな事を求めているのかを聞くようにしています。その上で、その課題に合った弊社でこそ上手く出来る解決策を提示するようにしているんです。
こちらが、はじめに ”売り” を言ってしまうと、先方は「ああ、ここは◯◯の会社なんだな」と変な先入観を持ってしまう事が多く、それとは関係無いと判断した課題を口にしなくなってしまうので、自ら多くの仕事に繋がる可能性をつぶしてしまうんですよ。

これは本当でしょうか?ある意味ではその通りかもしれません。
ですが、それは ”売り文句” ”決め台詞” を数ある商品やサービスの一つを選んで売り込む事とした場合じゃないでしょうか。

私の言う「私たちは◯◯です!」は、そういう意味での ”売り文句” や ”決め台詞” ではありません。
前出の ”売り” を機能的な ”売り” とするなら、私が言いたいのは、もっと情緒的な ”売り” と言うんでしょうか。。
例えば個人に置き換えると、「私は料理が得意です!」「私は映画にはちょっとうるさいです!」「私は水泳が得意です!」これらは、それぞれいくつかある中の一つのスペックですよね?
その中でどれか一つを選んで売りにしなければならないとしたら、当然あなたの事を相手に伝えるには不十分ということになっちゃいますよね。
そういう話だったら、まず相手が何を求めているのか?を知ってそれに対し自分が出来る事、得意としている事に関連させてアピールしていった方が話はスムーズに進むでしょう。

でも、あなたのファンになってもらおうとするなら、そういうスペック的な面だけではなく、もっと感情に訴えかけるもの、例えば、ものに対する "考え方" や ”姿勢" 、”夢” みたいなものを伝える必要があるんじゃないでしょうか。

それは企業にとっても同じなんじゃないでしょうか。
この様なメッセージによって、企業に対する情緒的な価値を相手の心の中に作ってもらう事で、それまでの機能的、スペック的な価値しか持たれていない状態よりも俄然その企業やサービス・商品の事を好きになり、ファンになってくれるはずだと思うんです。

3月 20, 2012

即効性のあるセールスプロモーションと、中長期的視点をもったブランディングは二項対立?


また「今回はブランディングというより実売に繋がることに注力したい」というような話がありました。
これって言い替えれば「ブランディングは実売に繋がらない」もしくは「ブランディングは実売に対し即効性がない」というように考えているってことですよね。だとすると "ブランディング" とは何なのでしょうか?なにかセールス・プロモーションを含む他の企業活動とは別個の独立した活動なのでしょうか?

ブランディングというものと、実売に直結するセールス・プロモーションを二項対立で捉えていること自体がおかしいと思ってます。

ブランディングというのはセールス・プロモーションを含めた企業のあらゆる活動を貫いている、背景にある背骨の様なもの。ですからセール・スプロモーションで考えれば、それは "ブランディングに沿ったセールス・プロモーション" か、"ブランディングが介在しないセールス・プロモーション" かという話になります。

じゃあ、ブランディングが介在しないセールス・プロモーションって?
企業や商品・サービスなどを、競合との差別化などせず、単に人気のあるタレントやキャンペーンの仕組みや仕掛けで驚かし、目立って話題にしようということですかね。

まぁ、それこそ、その時の売り上げを伸ばすことが最大の目標なのでしょうから、それには達することが出来るかもしれません。ですがそれは文字通り "その時だけ" のものですから、キャンペーンが終わればあっという間に忘れられてしまいます。その売り上げを保つ為には、毎回一から、同じ様にお金をかけてプロモーションをし続けなければならなくなる訳ですよね。
それどころか最悪の場合 "悪目立ち" というのもあり、今の結果にこだわり過ぎ、ブランディングの視点を欠いた企画によって、積み重ねという意味ではブランドのイメージを下げる様なアプローチをしてしまっていることもあります。その場合は、気付かずに背負い込んだ多大な "損なわれたブランドイメージ" という負債を返済する為に、後から大変な努力を強いられることにさえなります。場合によっては修復不可能な場合さえあり得ますよね。

そういうリスクを避け、企業力を衰退させない為にも、ブランドという背骨を常に持った、コミュニケーションやメッセージング活動を全てにおいて行っていくべきじゃないかと思っています。


3月 18, 2012

差別化と中身

「他社が作ってないものやサービスを提供しよう」という努力は、どの会社も同じようにしているはずです。

そしてそれは、苛烈な競争の中で「少なくとも遅れはとりたくない」という意識を生み出します。ライバル会社の新商品や新サービスに人気が出始めると、自分達も一刻も早く追いつけ追い越せとなるわけです。もちろんその他の会社もそうでしょう。結果、似たようなものが市場に溢れ、それもあっという間にコモディティ化してしまう。各社、ライバルに差を付けるため新しい何かを考えなくてはならなくなります。
低価格を売りにした戦略も同様、やはりすぐ横並びになってしまいますよね。

そんな状況の中で、競合他社との違いをアピールしようと、無理矢理何か見つけようとすると、凄く小さな機能や技術の差に行き着いてしまいがちです。
しかし、そういったものは、小さ過ぎたり専門的過ぎたりし、顧客や生活者にとっては「出来て当たり前」もしくは「どうでもよいこと」であり、その企業を他から差別化できる要因にまでは至らないものが多かったりします。

そこで、顧客に分かりやすく違いをアピールするために次にするのは、製品の見た目やロゴ、社名やVIなどを工夫してライバルとの差別化を行うといったことではないでしょうか。

このような流れ自体は別に悪いことではないと思いますし、むしろ普通ではないでしょうか。

悪いのは、この差別化の為のビジュアルやコピーによるメッセージ戦略が、企業の実体・中身である、そこで働く人たちの意識とリンクしていないことにあります。つまり、自分たちが向かおうとしている他社との差別化の為に、ビジュアルやメッセージの作成で意図され、目標とされたポジションに向って、その企業全体が向かおうとしていないということです。

例えば、他社との差別化をはかるため「常に驚きを届ける企業でありたい」などと、コピーやビジュアルで、いくら言い続けたところで、製品やサービスに革新性が無く、お客様と接する人間の態度も消極的だったり責任逃れの姿勢が見え見えだったら?それに接した顧客や生活者は、そのギャップをどう受けとるでしょうか。

おそらく、それらの“イメージ”は、本来の力を発揮するどころか、顧客や生活者が一度持ちそうになった期待感を裏切ることで、逆に印象が悪くなることさえありますよね。

当然、結果も出ません。そして「ブランディングなんて、CIやVIなんて、上っ面だけで実際には何の役にも立たない、インチキだ」というような極端な話が出てくるわけです。

ビジュアルやコピーなどのメッセージ、つまり表面に表れる部分で差別化を行う際に最も意識しなくてはいけないのがそこです。
一体自分たちがどう見られたいのか?どうなりたいのか?どうあるべきなのか?という主体性や意思がないところで、上辺だけ単に目立たせたり、流行っている感じのものにしても効果はないわけです。

これは、ブランディングだけではなく、デザインやコピーなどで、“イメージ”という言葉で括られ、認識されてしまっている殆どのタイプのものに当てはまることですよね。


7月 23, 2011

ビジョンの現実性と戦略の質

ところで、ふと思った事があるのですが、
ビジョンってなんですかね?日本語にすると。

計画?未来像?見通し?到達地点?到達目標?努力目標?夢?

上記のワードのイメージは、左より現実的な感じから
だんだん夢想的な感じになるでしょうか。

企業や個人のビジョンと言った場合、少なくとも "ただ夢想的なもの" でないのは
確かです。つまり問題は、

どこまでを現実的だと考え、どこからをただの夢想とするのか?その基準は何か?

というところなんです。

ちなみにグロービスのMBA用語集では、ビジョンという言葉を
次のように定義しています。

"経営理念で規定された経営姿勢や存在意義に基づき、ある時点までに「こうなっていたい」と考える到達点、つまり自社が目指す中期的なイメージ。
ビジョンは、経営理念とともに、経営戦略や人・組織のマネジメントと一貫性、整合性が取られていることが重要である。
経営戦略においては、全社戦略、事業戦略、機能戦略のあらゆる戦略レベルにおいて、経営理念やビジョンと現実とのギャップを埋めるための具体的な方法論が示されている必要がある"

簡単にしか抜粋してませんが、大まかにまとめると

ビジョンと現実にはギャップがある場合がある。

そして、

そのギャップを埋めるのが、各戦略である。

とまぁ、そういうことになってます。で、一番最初の問題に戻ると、現実的か?
それともただの夢想か?の違いは、戦略でその具体的な方法論が示せるかどうか?と、
いうことになりますね。つまり、実は

立派なビジョンとなる可能性があるものでも、

それを戦略として具体的に落とし込めなければただの夢想

となってしまうということです。
さらに言うと、

戦略に基づいた行動は、実行者に少なからず努力や必要な変化を求めます。
戦略が "努力や変化を避けること" あるいは "出来るだけ少なく済まそうとすること" を
前提にたてられるならば、そのビジョンはどんなに素晴らしいものであっても、
夢想に分類される、形だけのものでしかない

ということになりますよね。

ビジョンの現実性にとって、戦略の質ってすごく大切なんですよね。





7月 06, 2011

独自性

当たり前の話なんですけど、独自性っていうのは、その個人、
あるいは団体の持つ属性に基づいて表れるものですよね。
そして、それが他者に無いものであればあるほど
差別化に繋がる訳です。

逆に "平凡である" とか "売りにならない" というのは、
他者の持っていない自分たち独自のものに気付けていない
ということになります。

私はあえてここで "持っていない" ではなく "気付けていない" と書いてます。

なぜなら、そこには独自性に繋がっていくはずの何かが必ずあるはずだからです。

過去のエントリーでも、差別化に繋がる要素は必ずあるはずなので、

先ず、それらを見つける事が重要だという様な事を書きました。
※2011年6月16日木曜日 "企業の歴史、文化、空気から差別化をはかる"

先ずは自分たちが現在持っていてる 、あらゆる
要素を書き出してみて下さい。
その中から客観的な判断に基づいても差別化に使えそうだと思うものを
選び出してみて下さい。

一つ一つは平凡なそれらでも、併せ持つ事で
特別なものになる可能性はないでしょうか?

それらを少しだけ大きなカテゴリーにし汎用性を持たせる事で、

それは可能にならないでしょうか?

だめだったら先ほど選択しなかった要素から、次にうまくいきそうなものを

ピックアップして同じ事を思考してみて下さい。

もちろんこれらのやり方にはコツもありますが、まずはやってみるという事も大切です。

机上の論理だけで「きっとだめだ」と捨て去ってしまうのではなく、少しでも
可能性があるならチャレンジしてみる。そして、やはりだめなら次の策を試してみる
というような作業が必要です。

しっかりと独自性を築き、既に素晴らしいものとして認識されているブランドも、

一見、外見は不変なように見えて、たえまぬチャレンジを繰り返し変化しつつ
今に至っているという話は書籍をあたっただけでも数々巡り会いますしね。



7月 05, 2011

ガイドラインとは何か?

ガイドラインは単なる守らなければならない 
"規則" として認識している人が多いと思います。

ですが片や、そのガイドラインが弊害を生んでいる
ということも事実としてあると思ってます。
つまり、

ガイドラインがあることで「これを守ればいいんでしょ?」と、
すごく短絡的に捉えられてしまい

非常にマニュアル的になり、無機的で
訴えるものの少ないメッセージになってしまう

こと
があるのです。また、実はこれも同じ様なことから発生するのですが、
「こんなガチガチのガイドラインに従っていたらまともなメッセージが
発信出来る訳が無い」と、

それらを無視し
それぞれの解釈で勝手に発信しだす

パターンもあります。
これらは両方とも

ブランド・アイデンティティの理解と、そこから発生した
 VI などイメージ戦略の意図の解釈が、ちゃんとされていない

ことから来ているんですね。


逆に言うと、ブランド・アイデンティティを、きちんと理解していれば、
わざわざ、そこから外れて発信しようとなんかしないはずですし。
ガイドラインは本来の役目である意図をヴィジュアルに変換する時の
ガイドとしてあるわけです。

利用する方はただガイドラインの上っ面だけをマニュアル的に暗記する
のではなく、

その大元のブランド・アイデンティティの徹底した理解が必要

であり、
また、

ガイドラインを作る方も、それが十分に機能する様、そして、
その意図が利用者に伝わるように制作する必要がある

というわけですね。




7月 04, 2011

自由なイメージほど規則はガチガチ?

これは、顧客が保持する企業のブランドイメージと、
VI(ヴィジュアル・アイデンティティ)等を発信する
企業側の規則の話です。

前回書きましたが、ブランディングの大切な役割の一つには、
複雑なものを如何に、すっきりと分かりやすく伝えるか?
があります。

VIも当然、同じように、そのアイデンティティを分かりやすく、
伝わりやすいものにしなければなりません。
なので、必然的に複雑化つまり分かりづらくなるのを避けるための
ガイドラインがきっちりと設けられるという訳です。

とはいっても

「出来ることが限られ、味も素っ気も無いのは自分たちには合わない」

という企業や商品も当然あるでしょうし実際にありますよね。

仮に、少し人間っぽく(笑)、

表現における幅を広めにとる

とします。そうなるとどうなるでしょう?
それはあくまでも演出された "自由" であって、本当に自由奔放に
「何をやっても個性なのだからOK」という訳ではないですから、

当然そのガイドラインについても、シンプルなものに比べ、更に厳しく、

細かいところまで決まっているものになって行くのです。

そうです、その自由なイメージを、出来るだけ分りやすく
相手に伝えるためにですよね。



7月 03, 2011

ブランドガイドラインは、なぜガチガチなのが多いのか?

ブランディングで VI というと、
ガイドラインとかレギュレーションとか、

「とにかく規則が厳しく窮屈」
「自由が無い!」

などというイメージが強いですよね。


確かにそのような面があります。
私も若い頃には、広告や販促の仕事の際に何度もその
ガイドラインに泣かされた口ですし。

「これじゃ、何にも出来ないよ!」から始まって、
「これはブランドが本来伝えようと意図しているメッセージを
逆に表現しづらく、邪魔さえしている!」まで(笑)

そもそも人間だったら "色んな面が見える" から "人間らしい" のであって、
"いつもある一面しか見えていない” 状態だったら、
想像しただけでも、かなりつまらない人になります。

ですが、ブランディングの際には、若干、話が変わってきます。
ブランディングの大切な役割の一つには、

複雑なものを如何に
すっきりと分かりやすく伝えるか?

という部分があり、当然それはVI やイメージ戦略に、
そのまま課題として落ちて来るものです。

表現は、黙って放っておくと自然に複雑に分りづらくなりがちです。
それをコミニュケーション用に分りやすく構築し直し、また、

それが崩れない様にする為のガイドラインやレギュレーションは、
ある程度厳しいものにならざるを得ないわけですね。



7月 01, 2011

第三者に映っている ”あなた” こそ、本当の "あなた" ?

「ブランドは企業のものではなく、
 顧客が心に所有しているものだ」

という言葉を聞きますよね。


また、それと同様に、ある人間の本当の姿も、

他人の目に写っている "それ" 。

自分の意識の中にもやもやとあるだけで、外に対して表現されて
いないものは、本人の単なる理想・希望する姿、極端に言ってしまうと、
つまりは妄想の類でしかないと言う人もいます。

でも、どちらもいわゆる側面でしかないと思います。


前者のブランドの例でいうと "顧客の中に作られるもの" は、

ブランド・イメージと言われるものですよね?

同様に人間の例でも、相対する他人に映っているそれは、あくまでも

その人の "イメージ" ですよね。

上記の例では、


"企業" あるいは "ある人間" 自身のアイデンティティが
どちらも抜けてます。

簡単にいってしまうと、


それらが相手に対して "どう思って欲しい" と思っているのか?
の部分が
抜けて話されているのです。

「そんなものわざわざ言わないだけでわかってるよ!」と、思うかもしれませんが、

実際、その部分が完全に抜けているなぁと思うことが結構あります。
なんというか... "顧客志向" という都合のいい言葉の陰に隠れて、
その大切な部分を避けているようにさえ見えるといいますか。。

それらは企業にとっては企業名やロゴ・VIなどを、人間にしたら髪型や着る服を、

自己のアイデンティティ無しに、顧客や相対する他人の意見のみで決めているという
感じなのです。

まだ、皆と同じように目立たないように出る杭にならないように、という様な

そんな意識が残っているということなんでしょうか?
もしくは、相手に合わせてくるくる変える方が楽だし、確実だという
気持ちもあるのでしょうかね?
変なことを決めて責任を持たされる羽目にならなくていいって言うのも?

でも、考えてみて下さい。


相手と自分、どちらが主体でどちらが客体であっても、いずれにせよそれらは

相対的な関係に有る訳ですよね?どちらか一方が絶対的に存在するわけじゃありません。
だとすれば、

"企業" あるいは "ある人間" 自身のアイデンティティがなければ、

同時に相対する顧客や相手の人間もいなくなってしまう

ということなのです。

「いや、相対するのはロゴやVIなどのブランド要素のことであって、
アイデンティティのことではない」と言う方もいるかもしれません。しかし、
アイデンティティがなく相対するものの評価のみで作られた、それらの
ブランド要素は、その持ち主を表していないことになります。

そうです、何にしても


アイデンティティがなければ、そのものは無いに等しく、

よって相対する "顧客" や "相手の人間" も、おのずと存在しないことになってしまう

と。


それがどのような状態を指しているかは、それぞれ想像してもらうと

良いかもしれませんね。

6月 28, 2011

現在地の正確な認識

私自身、今まで何度も書いてきましたし、
普段も皆さんよく聞くことだと思いますが、
“ゴールの設定“ “ヴィジョン” は、
とても大切なことです。

ですが、もう1つ。
“ゴールの設定” “ヴィジョン“と同じくらい大切で、これがなければ、
いくら “ゴールの設定” をしても、“ヴィジョン“ を打ち出しても、
ほとんど役に立たなくなることもあるくらい重要なことがあります。
それを書くのを忘れていました。
一般的にも、前者に比べ、こちらはそんなに
語られることが多くない気がします。

それは、


自分の立っている現在地を、きちんと認識すること


です。


いくらゴールやヴィジョンを設定しても、自身の現在地を同時に把握できてなければ、

そこへ行く方角も方法も具体的にならず、ただただ曖昧なものでしかありませんからね。

自分がどこに立っているのかを正確に理解しているからこそ、

その設定されたゴールやヴィジョンに向う為に、
今、自分は、どうしなきゃいけないのか?何をしなければならないのか?などの
課題とその解決方法を見つけ、具体的に行動に移せるのだと思います。



6月 17, 2011

城壁の中へ入るべきもう一つの理由

本当に未だこんな考え方をしてる人がいるなんて、
私にはあまりピンとこないのですが、
日本のモノづくりのマーケティング軽視を憂慮する方の発言には、
「日本の”モノづくり”の世界には、未だにそういう思考が
根深く残っていて、多くの経営者がそこから脱しきれてない」
というような事を言っているものが、ちょくちょくありますよね。

要は「(品質の)良いものだからといって、売れるとは限らない」

という、なんというか当たり前にも感じる事なのですが。。


そのことと同じかどうか分りませんが、私は、彼らが技術を優先して

デザインを軽視している様な向きは感じる事があります。
というか、モノづくりに限らずですけどね。

技術やテクニックの向上に関しては一生懸命やるのですが、

それによって表現されるもの、独自性ということになると
イマイチなものが多いのかなぁと。

いろんな例で中国のものをパクリだなんだと言うのをよく聞きますが、

日本もなんか、あんまり変わんないのかなと(笑)
まぁ、今でこそ少し違うのかもしれませんが、ベースには似た様な考え方があって、
「似た様なものでも、自分たちの方が上手く作れるんだから誇って何が悪い!」的な?
そこから、オリジナル軽視の部分だけが残ってしまっている様な?
そんな感じがしちゃうときもあります。

独自性が軽視されれば差別化も薄まりますよね?
その際は、当然デザインも犠牲となります。

そして、デザインが、ものを選ぶ際の基準の一つに入ってきている今、

「デザイン軽視は間違いなく、マーケティング軽視ではあるよな」
「あ〜、対象の居る城壁の中へ入る事をせずにやっちゃってるなぁ」と、
そんな事を思います。

良いもの”は、対象である顧客の判断が基準になるんですからね。


6月 16, 2011

企業の歴史、文化、空気から差別化をはかる?

いくつか前のエントリーで私は、現在提供している商品や
サービスが、ごく平凡で多くの類似品を持ち、それ自体が
本質的な独自性の無いものであっても、その提供者である
メーカーの成り立ちや歴史、あるいは理念・イデオロギー、
更に、そこで働く人たちの意識や物の見方の傾向から作られる
企業の空気や文化の中に、自分たちを他者と差別化するための
素材があるのでは?と書きました。


その商品やサービスを提供者自身で作っている以上、
その企業の属性と密着していますもんね。

「いや、会社自体が地味で平凡などこにでもあるようなものだから・・・」

本当ですか?
作っている人は?場所は?歴史は?どんな雰囲気のなかで作られてますか?

「そんなものなんの売りにもならない」ですか?


何も無いより良いんじゃないですかね。

それが売りになるところを見つけるなり、作るなりする

というのはダメでしょうか?
壁の壊すべき方向は、その方向へ向いていなければならないということですね。

その場所へ中の人を連れ出すわけです。


もちろん、簡単ではないです。
結果的に、そんな場所が見つからない事も作れない可能性もあります。
でもそれは、挑戦しない理由にはなりませんよね。

6月 13, 2011

穴の開いた壁から見える場所にいるのは自分たちだけ?


メッセージの発信者が受信者(中に住む人たち)に、
売ろうとしている商品を使う生活が
素敵なことだということを納得させ(周りを囲む城壁を崩させ)、
自分たちの商品が魅力的に見える(自分たちの意図する)場所へ
受信者を連れ出せたとして、その場所で受信者が見るものは、
誘導してきた発信者の商品やサービスだけとは限りません。

商品やサービスがそれほど差別化されてない場合、
自分たちの商品が魅力的に見える、その同じ場所が、ライバルにとっても
同様に商品を引き立ててくれる場所であるのは想像するに難しくありませんよね。
ライバルも当然、お隣でお店を開くというわけです。

さあ、どうします?
ライバルのものより価格をさげますか?
品揃えを増やす?

でも、どれもライバルに真似できることですね。

なので、はじめから商品やサービス自体にオリジナリティ、
つまりライバルの物と差別化されていることが必要なんです。

そのオリジナリティを引き立てる、ごく限られた場所へ、
対象である受信者(顧客/ターゲット)を連れ出せば、自ずとライバルは
入ってこれない、入ってきたとしても不利な戦いを強いられるというわけです。

とは言っても、現実には

「そんなことは分ってるけど、実際、自分たちの商品やサービスは、
他のどこでも作っているようなものだし・・・」

という様な声も、ちょくちょく聞かれます。

でも、だからといって本質的な差別化を諦めるのは早すぎます。
どんなに平凡で、多くの類似品があったとしても、
最低限その提供者の製品は、その提供者からしか出されていないわけですよね?

提供者であるメーカーの成り立ちや歴史、あるいは理念・イデオロギー、
そして前々回触れた、そこで働く人たちの意識や物の見方の傾向から作られている
企業の空気や文化のなかには、ライバルの物と差別化するための第一歩となる
素材が隠されているのではないでしょうか。

つまり、差別化のポイントが、自分たち自身への客観視を失う事によって
ただ見逃されているだけだという可能性もありますよね。

4月 03, 2011

統制、コントロールすることについて

と、ここまで来たところで
3月11日をまたいだわけなんですが、それを機に
私も少しコミュニケーションというものに対し
考え方、見方が変わって来そうな部分があります。
ある意味、ヴィジュアルやメッセージを含む”情報”を
どうコントロールするか?についていつも考えていたわけですが、

その前提となる時代や状況の変化が、自分が思っていた以上に、
いろいろな面でコントロールに大きな影響を及ぼしているのでは?と
実感することがあったってわけなんですが。

ま、もしかしたら、ちょっと混乱しているだけなのかもしれませんけど。

いずれにしても、今、感じている疑問に対しては
自分なりに答えをだして、ここに書こうと思います。

どんな答えがでることやらですが。。