7月 23, 2011

ビジョンの現実性と戦略の質

ところで、ふと思った事があるのですが、
ビジョンってなんですかね?日本語にすると。

計画?未来像?見通し?到達地点?到達目標?努力目標?夢?

上記のワードのイメージは、左より現実的な感じから
だんだん夢想的な感じになるでしょうか。

企業や個人のビジョンと言った場合、少なくとも "ただ夢想的なもの" でないのは
確かです。つまり問題は、

どこまでを現実的だと考え、どこからをただの夢想とするのか?その基準は何か?

というところなんです。

ちなみにグロービスのMBA用語集では、ビジョンという言葉を
次のように定義しています。

"経営理念で規定された経営姿勢や存在意義に基づき、ある時点までに「こうなっていたい」と考える到達点、つまり自社が目指す中期的なイメージ。
ビジョンは、経営理念とともに、経営戦略や人・組織のマネジメントと一貫性、整合性が取られていることが重要である。
経営戦略においては、全社戦略、事業戦略、機能戦略のあらゆる戦略レベルにおいて、経営理念やビジョンと現実とのギャップを埋めるための具体的な方法論が示されている必要がある"

簡単にしか抜粋してませんが、大まかにまとめると

ビジョンと現実にはギャップがある場合がある。

そして、

そのギャップを埋めるのが、各戦略である。

とまぁ、そういうことになってます。で、一番最初の問題に戻ると、現実的か?
それともただの夢想か?の違いは、戦略でその具体的な方法論が示せるかどうか?と、
いうことになりますね。つまり、実は

立派なビジョンとなる可能性があるものでも、

それを戦略として具体的に落とし込めなければただの夢想

となってしまうということです。
さらに言うと、

戦略に基づいた行動は、実行者に少なからず努力や必要な変化を求めます。
戦略が "努力や変化を避けること" あるいは "出来るだけ少なく済まそうとすること" を
前提にたてられるならば、そのビジョンはどんなに素晴らしいものであっても、
夢想に分類される、形だけのものでしかない

ということになりますよね。

ビジョンの現実性にとって、戦略の質ってすごく大切なんですよね。





7月 18, 2011

目的・ゴールの勘違い

“なぜ今、その広告あるいは販促キャンペーンをするのか?" 
"なぜ、そのツールが必要なのか?”

これらの理由には、そのキャンペーン単独の目的と、
それを含めた全ての活動を通じて達成しようとする
会社としての中・長期的な目的があります。

本来、

それらを明確に把握出来ているからこそ、その先の広告や販促などの
コミュニケーション活動という "手法" の詳細を計画出来るわけですし、
更にその先の表現の方向性について、意味のある検討が出来る

わけです。

これら、最終的なゴールが自分の中で明確にされないまま、目の前の業務だけを
“とりあえず” 進行してしまっているということはないですか?
そうなると、自分が何をやっているのか、さっぱりわからなくなり、やっていることが
正しいか間違っているかの判断も出来なくなりますよね。
ただ上司やお客様の言ったことへの反応としてだけ動くことになってしまいます。
これでは、どうしても上司やお客様に、振り回されているような感じに
なってしまいますし、効率も非常に悪くなるのは当たり前ですよね。

また、その状態では貴方のアイデアを差し込む余地など無く、単に作業をしているだけ
ですので、どうしても貴方にお願いする必要が有るものではなく、いつでも他の人に
代えられる価値の低い仕事になってしまいます。

ところで、本当に目的やゴールを意識しないまま、何かのプロジェクトを進める、
あるいは関わるなんて可能なんでしょうか?

「誰しも何かしらの目的・ゴールを持っているに決まってる」

と言う方もいるかも知れません。

しかし目的やゴールを認識しないまま、なんなりかのプロジェクトに関わり
業務を進行している人は確かにいます。ただ、その人たちは、そのプロジェクトの
目的を捉えているのではなく、別のものをその目的・ゴールと一緒くたにして

"自分は目的を理解している" と勘違いしている可能性があるのです。

例えば "上司やお客様のために役立つ事" "上司やお客様に喜んでもらう事" という様な、
関係づくりのための、ある意味その人の個人的な目的・ゴールの様なものと一緒くたに
なっていたりします。

もちろん単に手足のように働き汗をかくという部類のものも大切なことですが、
それで最終的に上司やお客様に喜ばれるという結果を得たとしても、
それは、コミュニケーション戦略の立案・実行の上で必要だと私が言っているゴールとは
全く別物であり、この作業においてはプロジェクトの目的やゴールを共有して
いなければ、それは、目的を把握せずに活動しているということになるのです。


7月 13, 2011

表現はメッセージ

前回、発注者が自分のイメージの表現を実現するために、
"自分たちの制作物に馴れているクリエイターを使う"

ということだけで、その問題を解決しようとする場合、
結局あまり、うまくいかない事が多いということを書きました。

単純に表面上の表現のテイストだけ合わせるなら 

それこそ "馴れ" があれば、ある程度の "勘" を働かせて、
なんとか好みのものを作れるのかもしれません。

しかし、伝えるべきメッセージが見当違いの方向を向いていたら?

その場合、いくら表現のテイストが好みに合っていようと、

"ちょっと違う" "ピンと来ない" ものになるのは当然ですよね。

これは、よくあることなんですが最終的な表現部分の話と、根本的な伝えるべき
メッセージの話がごっちゃになってボンヤリと語られている状態なんです。

”誰に対して、どの部分を売りにしたいのか?" "結果としては何を得たいのか?" 

という部分は、製品やサービスによって同じではない事の方が圧倒的に多いわけで、
その "メッセージの前提" の説明が何も無く、想像でものを作るというのは、
どんなに優秀な、あるいはそのクライアントに馴れているクリエーターであっても、
ほぼ賭けのような状態で作っているというのが実情であり、たとえお客さまから
「さすが、わかってますねぇ」などと褒められたとしても、

それは単に賭けに勝った
という話でしかないですからね。

もし、時間が本当にない仕事なら、最初の打ち合わせに少し時間が多めにかかっても、
決して曖昧にせず、ハッキリとクリアにしておくことが、結果的に時間も労力も
節約出来、お客様の "イメージ" どうりのものを作ることを可能にするのです。

私たちがやっているのはビジネスであってゲーム(賭け)ではないのですから。


7月 12, 2011

前提を共有する

ところで、私は仕事上よく

「この件は時間もないし、勘が良くてパパっと作れる人
じゃないと難しい」

というオーダーを聞かされます。
これは、どういう事だろう?と思ってよく聞いてみると、

"ほとんど説明をしなくても、だいたい言いたい事をわかって貰え、なおかつ、
クライアント好みのテイストでデザインやコピーをあげてくれるクリエーター" 

というような意味になるようです。

ところが、大体このような言葉が出て来るオーダーでは、
説明は "ほとんどしない" ではなく "まったくしない" といったものが多く、要は

「あらためて一から言わなくても大体わかってますよね?ちょっと想像を働かせて 
"らしい感じ" に作っちゃってください」

って感じなんでしょうか。しかし、だからといって完全に "お任せ" なんてことは
まったくなく、多くの場合こちらが提案したものに対し

「う〜ん、イメージと違うんだよなぁ」

なんて不満を表明されたりします。悪くすると、

「やっぱり、おたくじゃ全部指示しないとダメか。。」

なんて嫌みを言われたり、最悪の場合は単に、

「ぜんぜんわかって無いね」

ってことで、ばっさり切られたり?という場合もないわけじゃありません。

確かに一から全部説明しなきゃならないのは大変なことです。
が、私たちがお客様から聞きたいのは、一から全部というわけではありません。
基本的な情報であればネットからでもある程度収集出来ます。
そうではなく、私たちは

今回のプロジェクトの背景、目的、ゴールが知りたいのです。

7月 07, 2011

伝えるために相手の価値観を理解し前提にする

価値観は人それぞれ違います。
判断基準も同様ですね。

判断基準に関しては、なにかしらを明確に示す事で
相互の認識をある位置まですり合わせる事が可能です。

ですが、価値観となるとそうはいきませんよね?自分の価値観を
相手にしゃにむに押し付けるなんて出来っこありません。

ビジネス上ではなおさらです。

デザインやコピーなどを媒介した、コミュニケーションアイデアの表現を
職業としているからか、時折見失ってる様に思える方も見受けられるのですが、
私たちの活動はあくまでビジネスです。

自分たちの価値観でもっていくら相手に説明したところで、相手が同じレベルで
それを共有あるいは理解していないかぎり、その力説は伝わりませんよね。

ビジネスなんですから、説得しようとか納得してもらおうと思ったら、
最初から相手にこちらの価値観を共有してもらうという努力を強いるのは、
基本的にあり得ません。

相手の価値観を前提にした上で自分たちのアイデアを魅力的に語れないといけません。

これは、私たち制作者がお客様に対して何かを提案する際のことを例に
書いてますが、私たちのお客様が、その顧客あるいはターゲットに対し
メッセージを発信する際も同じです。

相手の価値観を掴むという作業が、以前のエントリーで書いた、
相手の "城壁の中に入り込み、共通言語を話せるようになる" ということなんですね。


7月 06, 2011

独自性

当たり前の話なんですけど、独自性っていうのは、その個人、
あるいは団体の持つ属性に基づいて表れるものですよね。
そして、それが他者に無いものであればあるほど
差別化に繋がる訳です。

逆に "平凡である" とか "売りにならない" というのは、
他者の持っていない自分たち独自のものに気付けていない
ということになります。

私はあえてここで "持っていない" ではなく "気付けていない" と書いてます。

なぜなら、そこには独自性に繋がっていくはずの何かが必ずあるはずだからです。

過去のエントリーでも、差別化に繋がる要素は必ずあるはずなので、

先ず、それらを見つける事が重要だという様な事を書きました。
※2011年6月16日木曜日 "企業の歴史、文化、空気から差別化をはかる"

先ずは自分たちが現在持っていてる 、あらゆる
要素を書き出してみて下さい。
その中から客観的な判断に基づいても差別化に使えそうだと思うものを
選び出してみて下さい。

一つ一つは平凡なそれらでも、併せ持つ事で
特別なものになる可能性はないでしょうか?

それらを少しだけ大きなカテゴリーにし汎用性を持たせる事で、

それは可能にならないでしょうか?

だめだったら先ほど選択しなかった要素から、次にうまくいきそうなものを

ピックアップして同じ事を思考してみて下さい。

もちろんこれらのやり方にはコツもありますが、まずはやってみるという事も大切です。

机上の論理だけで「きっとだめだ」と捨て去ってしまうのではなく、少しでも
可能性があるならチャレンジしてみる。そして、やはりだめなら次の策を試してみる
というような作業が必要です。

しっかりと独自性を築き、既に素晴らしいものとして認識されているブランドも、

一見、外見は不変なように見えて、たえまぬチャレンジを繰り返し変化しつつ
今に至っているという話は書籍をあたっただけでも数々巡り会いますしね。



7月 05, 2011

ガイドラインとは何か?

ガイドラインは単なる守らなければならない 
"規則" として認識している人が多いと思います。

ですが片や、そのガイドラインが弊害を生んでいる
ということも事実としてあると思ってます。
つまり、

ガイドラインがあることで「これを守ればいいんでしょ?」と、
すごく短絡的に捉えられてしまい

非常にマニュアル的になり、無機的で
訴えるものの少ないメッセージになってしまう

こと
があるのです。また、実はこれも同じ様なことから発生するのですが、
「こんなガチガチのガイドラインに従っていたらまともなメッセージが
発信出来る訳が無い」と、

それらを無視し
それぞれの解釈で勝手に発信しだす

パターンもあります。
これらは両方とも

ブランド・アイデンティティの理解と、そこから発生した
 VI などイメージ戦略の意図の解釈が、ちゃんとされていない

ことから来ているんですね。


逆に言うと、ブランド・アイデンティティを、きちんと理解していれば、
わざわざ、そこから外れて発信しようとなんかしないはずですし。
ガイドラインは本来の役目である意図をヴィジュアルに変換する時の
ガイドとしてあるわけです。

利用する方はただガイドラインの上っ面だけをマニュアル的に暗記する
のではなく、

その大元のブランド・アイデンティティの徹底した理解が必要

であり、
また、

ガイドラインを作る方も、それが十分に機能する様、そして、
その意図が利用者に伝わるように制作する必要がある

というわけですね。




7月 04, 2011

自由なイメージほど規則はガチガチ?

これは、顧客が保持する企業のブランドイメージと、
VI(ヴィジュアル・アイデンティティ)等を発信する
企業側の規則の話です。

前回書きましたが、ブランディングの大切な役割の一つには、
複雑なものを如何に、すっきりと分かりやすく伝えるか?
があります。

VIも当然、同じように、そのアイデンティティを分かりやすく、
伝わりやすいものにしなければなりません。
なので、必然的に複雑化つまり分かりづらくなるのを避けるための
ガイドラインがきっちりと設けられるという訳です。

とはいっても

「出来ることが限られ、味も素っ気も無いのは自分たちには合わない」

という企業や商品も当然あるでしょうし実際にありますよね。

仮に、少し人間っぽく(笑)、

表現における幅を広めにとる

とします。そうなるとどうなるでしょう?
それはあくまでも演出された "自由" であって、本当に自由奔放に
「何をやっても個性なのだからOK」という訳ではないですから、

当然そのガイドラインについても、シンプルなものに比べ、更に厳しく、

細かいところまで決まっているものになって行くのです。

そうです、その自由なイメージを、出来るだけ分りやすく
相手に伝えるためにですよね。



7月 03, 2011

ブランドガイドラインは、なぜガチガチなのが多いのか?

ブランディングで VI というと、
ガイドラインとかレギュレーションとか、

「とにかく規則が厳しく窮屈」
「自由が無い!」

などというイメージが強いですよね。


確かにそのような面があります。
私も若い頃には、広告や販促の仕事の際に何度もその
ガイドラインに泣かされた口ですし。

「これじゃ、何にも出来ないよ!」から始まって、
「これはブランドが本来伝えようと意図しているメッセージを
逆に表現しづらく、邪魔さえしている!」まで(笑)

そもそも人間だったら "色んな面が見える" から "人間らしい" のであって、
"いつもある一面しか見えていない” 状態だったら、
想像しただけでも、かなりつまらない人になります。

ですが、ブランディングの際には、若干、話が変わってきます。
ブランディングの大切な役割の一つには、

複雑なものを如何に
すっきりと分かりやすく伝えるか?

という部分があり、当然それはVI やイメージ戦略に、
そのまま課題として落ちて来るものです。

表現は、黙って放っておくと自然に複雑に分りづらくなりがちです。
それをコミニュケーション用に分りやすく構築し直し、また、

それが崩れない様にする為のガイドラインやレギュレーションは、
ある程度厳しいものにならざるを得ないわけですね。



7月 02, 2011

自分を客観視する

ところで、

自分を客観視する

必要がある時ってどんな時なんでしょう?

自分の意向と周りの受け取り方のギャップを
出来るだけ少なくし、コミュニケーションのロスを減らしたい

そんな時に、自分が周りからどう見られているか?
自分の見た目が、言葉が、行動が、周りにどう受け取られているかを
知ることで改善しようとしますかね。

つまり、徹底的に相手のことを理解する努力をし、慎重にその思考を
想像して自己を眺めるか、あるいは直接その相手から自分が
どう思われているかを探り出すしかありませんよね。

したがって "自分を客観視する" というのは、ただひたすら自分を研究することではなく、

自分の外の基準によって自分を評価する

ということなんですね。

ですが、最近一つ気になっていることがあります。
時に自分を客観視することが行き過ぎ、

他己評価ばかり気にし、そもそもの "自分の意向" "自分の意思" が無くなってしまう

パターンです。

前回、第三者に映っている "あなた" こそ、本当の "あなた" ?でも
触れましたが、第三者、つまり相対する誰かというのは、主体に対して
相対的に存在するものでしかありません。
そこに自分がいなければ相手もいないのです。詳しく言うと、そこに
自分の意思がなければ、相手の評価もそれが "自分にとって" 良いのか悪いのかの
判断はできない。ということですよね?

相手の好みは大切かもしれませんが、いくら相手の好みに合わせて表面だけ飾っても、

中身がそれとリンクしていなければ相手も「単に上辺だけ」ととってしまいますしね。

7月 01, 2011

第三者に映っている ”あなた” こそ、本当の "あなた" ?

「ブランドは企業のものではなく、
 顧客が心に所有しているものだ」

という言葉を聞きますよね。


また、それと同様に、ある人間の本当の姿も、

他人の目に写っている "それ" 。

自分の意識の中にもやもやとあるだけで、外に対して表現されて
いないものは、本人の単なる理想・希望する姿、極端に言ってしまうと、
つまりは妄想の類でしかないと言う人もいます。

でも、どちらもいわゆる側面でしかないと思います。


前者のブランドの例でいうと "顧客の中に作られるもの" は、

ブランド・イメージと言われるものですよね?

同様に人間の例でも、相対する他人に映っているそれは、あくまでも

その人の "イメージ" ですよね。

上記の例では、


"企業" あるいは "ある人間" 自身のアイデンティティが
どちらも抜けてます。

簡単にいってしまうと、


それらが相手に対して "どう思って欲しい" と思っているのか?
の部分が
抜けて話されているのです。

「そんなものわざわざ言わないだけでわかってるよ!」と、思うかもしれませんが、

実際、その部分が完全に抜けているなぁと思うことが結構あります。
なんというか... "顧客志向" という都合のいい言葉の陰に隠れて、
その大切な部分を避けているようにさえ見えるといいますか。。

それらは企業にとっては企業名やロゴ・VIなどを、人間にしたら髪型や着る服を、

自己のアイデンティティ無しに、顧客や相対する他人の意見のみで決めているという
感じなのです。

まだ、皆と同じように目立たないように出る杭にならないように、という様な

そんな意識が残っているということなんでしょうか?
もしくは、相手に合わせてくるくる変える方が楽だし、確実だという
気持ちもあるのでしょうかね?
変なことを決めて責任を持たされる羽目にならなくていいって言うのも?

でも、考えてみて下さい。


相手と自分、どちらが主体でどちらが客体であっても、いずれにせよそれらは

相対的な関係に有る訳ですよね?どちらか一方が絶対的に存在するわけじゃありません。
だとすれば、

"企業" あるいは "ある人間" 自身のアイデンティティがなければ、

同時に相対する顧客や相手の人間もいなくなってしまう

ということなのです。

「いや、相対するのはロゴやVIなどのブランド要素のことであって、
アイデンティティのことではない」と言う方もいるかもしれません。しかし、
アイデンティティがなく相対するものの評価のみで作られた、それらの
ブランド要素は、その持ち主を表していないことになります。

そうです、何にしても


アイデンティティがなければ、そのものは無いに等しく、

よって相対する "顧客" や "相手の人間" も、おのずと存在しないことになってしまう

と。


それがどのような状態を指しているかは、それぞれ想像してもらうと

良いかもしれませんね。