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9月 01, 2012

時間配分


決意をあらたにする!というのが一番無駄っていう言葉を目にしました。大前研一さんの言葉のようです。

それによると、時間の配分を変えるか、住む場所を変えるか、あるいは付き合う人を変えるかでしか人は変わらないそうです。
ちょっと興味をもちました。

この言葉に関することで「住む場所を変えるというのは、なかなか難しいけど、時間の配分を変えるのなら誰でも今すぐできる」的なものがあったのですが、時間配分を変えるって結構大変じゃないですかね?

だって、まず何を変えます?食事やテレビを見ている時間、インターネットを見ている時間を減らす?
仕事でよく言われるのは、会議にかかる時間についてですが、それ以外の事は配分を変えるために、上手く何々の時間というように区切って考える事がみなさんは可能なんでしょうか?

当然、仕事によって大分変わってくるのでしょうが、こと私自身の仕事に関して考えると、なかなかそれらを区切って捉え、時間の配分を変えるのは、そう簡単には出来ない状態になってしまっています。

たぶん難易度のレベルで言うと他の二つとたいして変わらないんじゃないでしょうか。
そういう意味では確かに決意をあらたにする!というのは、めちゃめちゃ簡単ですよね(笑)

でも、そのように区切って捉えられない様な時間の使い方自体が、自分の何かを変えたいと思った時になかなか変えることの出来ないそもそもの原因なのかもしれません。

実は私のネットに接する、ながら的な常時性が、まさにその時間の使い方になっているんですよね。

調べものから情報収集そして息抜きまで、ちょこちょこと区切り無く常に見ている感じになっているのです。
それに、ちょっとした調べもののつもりでも、それ以外の情報もどんどん入ってきますし。
まぁ、それを情報収集と言うかどうかなんですが、目的とした調べものにかかる時間より遥かに多くの時間をそこに費やしているような時も実際あります。
まずそこから変えろってことかな?

って思ったところで、先ずは例の大前研一さんの言葉が書かれているという本を読んでみたいと思います。


プレジデント社 時間とムダの科学 (PRESIDENT BOOKS)  著/大前 研一 ほか

8月 15, 2012

面白さ


私たちが広告や販促物などを制作する際、常に、出たアイデアが「それでいいかどうか」の判断基準にしなければならないのが “それは面白いか?” です。

面白いといっても単純に笑えるという意味では有りません。
へぇ!って感心出来るものも、じ〜んと感動出来るものも、なるほど、そうだ!と共感出来るものも含めた大きな意味での面白いという事です。

でも、難しいですよね。
前に何度か書いた事とも繋がるのですが、人が面白いって感じる事は “思いつきそうで思いつかなかった” といった様に感じるものだったりしますが、実はこれってだいたい誰もが心の何処かで思いついている事で、ただ、その表現の仕方が巧妙なものだったりするんです。

かといってありきたりの事でも凄く良いコピーやヴィジュアルで表現出来ていれば面白くなるのか?といえばそういうことはなく、ありきたりの事はやっぱりありきたりなんですよね。

理屈だけから考えたものは、最終的に表現として出来上がったものがつまらなくなったり、かといって小手先の表現は所詮小手先の表現でしかないし、逆に表現的な面白さだけから考えたものは、広告・販促的なメッセージや、その企業や商品のブランドを構築する上での戦略的な視点から外れてしまったりする事も多く、いずれも片手落ちだったりするのは正に上記の「面白いものとは何か?」の問題だったりします。

つまり、理屈だけから考えられたものは、表現として人の目に触れる最終的な状態では、どちらかというと “ありきたり” のつまらないものになりがちだし、表現的な面白さだけから考えられたものは、そのブランドとしてのマーケティング的な視点が抜け、人が、関心、感動、共感するための、人にとっての身近さが薄く、これもまた一部のごく限られた人たちを除き “面白い” というほどにはならない事が多いのです。

ですので、表現のアイデアを考える際は、面倒くさがらず、常にその両方の間を何度も行ったり来たりしながら考えなければならないんですよね。

ちなみに伝えたいメッセージがちゃんと表現出来ていれば面白い必要なんてない!というのは無いですよね。書いてあっても伝わらなければ意味無いですもんね。
やっぱり面白くなければ伝わらないのじゃないでしょうか。

8月 12, 2012

いつまでも考えてないでやれ

「いつまでも考えてないで、さっさと手を動かせ」

よく言われた言葉ですが実はずっと嫌いな言葉でした。

「デザインは単なる感性や手先の技術だけじゃなく、その前にそれに触れる人や触れるときの環境、そして何よりも正しく伝わるようにちゃんと考えて作業するべき」って思っていたからです。

ま、そんなの当然の事で “さっさと手を動かせ” の本当の意味は、
「いつまでも頭の中だけで考えていたって、実際に絵にした時にインパクトが無かったり面白くなかったり、ちゃんと着地しないものだったら意味無いし、そんなものは時間の無駄になってしまうから、方向性が定まったらあとは手を動かしながら(作りながら)考えろ」って事なんですけどね。若い頃はなかなかそこまで分らなかったんですね。
でもこの様な意味だったんだって分ってみると、この、手を動かしながら考えるって事の重要性をひしひしと感じずにはおれないんですよね。。

最近は、効率化だとか合理化だとかそんな言葉がもてはやされ始め、「とにかく無駄な事は一切やりたくない」というようなムードは私たちの仕事の周りでも以前より更に大きくなっている様に思います。
もちろんコミニュケーションのミスなどで、本当に無駄な事をしなければならなくなるときも多々有り、それにはこちらも人間ですし正直うんざりする事も有ります。もちろん、そういった事は出来るだけ無くした方が時間的にも金銭的にも無駄が無くなりますし、発注者側にとっても制作者側にとっても良い事であるのは確かです。
しかしその事を拡大解釈してしまっているというか勘違いして認識してしまっているクリエーターも出てきている様に見えるんですよね。

仕上がりの精度を上げていくためのトライアルや模索までも時間やコストを理由に避けようとする人たちが増えてきているように思うんです。
これはあくまでも自分が作業をする場合に限っての事で、誰か第三者にデザインやコピーライティングを頼む場合はもちろんそんなこと言えません。特にコスト的に厳しくなってきている今、「それとは別の話で、もっと案を作ってくれ」とは言えませんからね。

でもそれと同じ理由で自分の労力を惜しむというのはちょっと違うような気がしています。
なにしろ、“やってみなければ分らない事” は、経験云々ではなく本当に沢山ありますから。というか、だいたいの事はそうじゃないかと思うくらい。

やってみてダメだった場合、表現の問題というだけで納まらない事も多く、企画から考え直さなければならない事も有るのです。

どこまでがビジネスとして不必要な無駄で、どこまでがクリエイティブとして必要な無駄なのか。多くの人が改めて考えてみる必要があると思います。