7月 23, 2011

ビジョンの現実性と戦略の質

ところで、ふと思った事があるのですが、
ビジョンってなんですかね?日本語にすると。

計画?未来像?見通し?到達地点?到達目標?努力目標?夢?

上記のワードのイメージは、左より現実的な感じから
だんだん夢想的な感じになるでしょうか。

企業や個人のビジョンと言った場合、少なくとも "ただ夢想的なもの" でないのは
確かです。つまり問題は、

どこまでを現実的だと考え、どこからをただの夢想とするのか?その基準は何か?

というところなんです。

ちなみにグロービスのMBA用語集では、ビジョンという言葉を
次のように定義しています。

"経営理念で規定された経営姿勢や存在意義に基づき、ある時点までに「こうなっていたい」と考える到達点、つまり自社が目指す中期的なイメージ。
ビジョンは、経営理念とともに、経営戦略や人・組織のマネジメントと一貫性、整合性が取られていることが重要である。
経営戦略においては、全社戦略、事業戦略、機能戦略のあらゆる戦略レベルにおいて、経営理念やビジョンと現実とのギャップを埋めるための具体的な方法論が示されている必要がある"

簡単にしか抜粋してませんが、大まかにまとめると

ビジョンと現実にはギャップがある場合がある。

そして、

そのギャップを埋めるのが、各戦略である。

とまぁ、そういうことになってます。で、一番最初の問題に戻ると、現実的か?
それともただの夢想か?の違いは、戦略でその具体的な方法論が示せるかどうか?と、
いうことになりますね。つまり、実は

立派なビジョンとなる可能性があるものでも、

それを戦略として具体的に落とし込めなければただの夢想

となってしまうということです。
さらに言うと、

戦略に基づいた行動は、実行者に少なからず努力や必要な変化を求めます。
戦略が "努力や変化を避けること" あるいは "出来るだけ少なく済まそうとすること" を
前提にたてられるならば、そのビジョンはどんなに素晴らしいものであっても、
夢想に分類される、形だけのものでしかない

ということになりますよね。

ビジョンの現実性にとって、戦略の質ってすごく大切なんですよね。





7月 18, 2011

目的・ゴールの勘違い

“なぜ今、その広告あるいは販促キャンペーンをするのか?" 
"なぜ、そのツールが必要なのか?”

これらの理由には、そのキャンペーン単独の目的と、
それを含めた全ての活動を通じて達成しようとする
会社としての中・長期的な目的があります。

本来、

それらを明確に把握出来ているからこそ、その先の広告や販促などの
コミュニケーション活動という "手法" の詳細を計画出来るわけですし、
更にその先の表現の方向性について、意味のある検討が出来る

わけです。

これら、最終的なゴールが自分の中で明確にされないまま、目の前の業務だけを
“とりあえず” 進行してしまっているということはないですか?
そうなると、自分が何をやっているのか、さっぱりわからなくなり、やっていることが
正しいか間違っているかの判断も出来なくなりますよね。
ただ上司やお客様の言ったことへの反応としてだけ動くことになってしまいます。
これでは、どうしても上司やお客様に、振り回されているような感じに
なってしまいますし、効率も非常に悪くなるのは当たり前ですよね。

また、その状態では貴方のアイデアを差し込む余地など無く、単に作業をしているだけ
ですので、どうしても貴方にお願いする必要が有るものではなく、いつでも他の人に
代えられる価値の低い仕事になってしまいます。

ところで、本当に目的やゴールを意識しないまま、何かのプロジェクトを進める、
あるいは関わるなんて可能なんでしょうか?

「誰しも何かしらの目的・ゴールを持っているに決まってる」

と言う方もいるかも知れません。

しかし目的やゴールを認識しないまま、なんなりかのプロジェクトに関わり
業務を進行している人は確かにいます。ただ、その人たちは、そのプロジェクトの
目的を捉えているのではなく、別のものをその目的・ゴールと一緒くたにして

"自分は目的を理解している" と勘違いしている可能性があるのです。

例えば "上司やお客様のために役立つ事" "上司やお客様に喜んでもらう事" という様な、
関係づくりのための、ある意味その人の個人的な目的・ゴールの様なものと一緒くたに
なっていたりします。

もちろん単に手足のように働き汗をかくという部類のものも大切なことですが、
それで最終的に上司やお客様に喜ばれるという結果を得たとしても、
それは、コミュニケーション戦略の立案・実行の上で必要だと私が言っているゴールとは
全く別物であり、この作業においてはプロジェクトの目的やゴールを共有して
いなければ、それは、目的を把握せずに活動しているということになるのです。


7月 13, 2011

表現はメッセージ

前回、発注者が自分のイメージの表現を実現するために、
"自分たちの制作物に馴れているクリエイターを使う"

ということだけで、その問題を解決しようとする場合、
結局あまり、うまくいかない事が多いということを書きました。

単純に表面上の表現のテイストだけ合わせるなら 

それこそ "馴れ" があれば、ある程度の "勘" を働かせて、
なんとか好みのものを作れるのかもしれません。

しかし、伝えるべきメッセージが見当違いの方向を向いていたら?

その場合、いくら表現のテイストが好みに合っていようと、

"ちょっと違う" "ピンと来ない" ものになるのは当然ですよね。

これは、よくあることなんですが最終的な表現部分の話と、根本的な伝えるべき
メッセージの話がごっちゃになってボンヤリと語られている状態なんです。

”誰に対して、どの部分を売りにしたいのか?" "結果としては何を得たいのか?" 

という部分は、製品やサービスによって同じではない事の方が圧倒的に多いわけで、
その "メッセージの前提" の説明が何も無く、想像でものを作るというのは、
どんなに優秀な、あるいはそのクライアントに馴れているクリエーターであっても、
ほぼ賭けのような状態で作っているというのが実情であり、たとえお客さまから
「さすが、わかってますねぇ」などと褒められたとしても、

それは単に賭けに勝った
という話でしかないですからね。

もし、時間が本当にない仕事なら、最初の打ち合わせに少し時間が多めにかかっても、
決して曖昧にせず、ハッキリとクリアにしておくことが、結果的に時間も労力も
節約出来、お客様の "イメージ" どうりのものを作ることを可能にするのです。

私たちがやっているのはビジネスであってゲーム(賭け)ではないのですから。


7月 12, 2011

前提を共有する

ところで、私は仕事上よく

「この件は時間もないし、勘が良くてパパっと作れる人
じゃないと難しい」

というオーダーを聞かされます。
これは、どういう事だろう?と思ってよく聞いてみると、

"ほとんど説明をしなくても、だいたい言いたい事をわかって貰え、なおかつ、
クライアント好みのテイストでデザインやコピーをあげてくれるクリエーター" 

というような意味になるようです。

ところが、大体このような言葉が出て来るオーダーでは、
説明は "ほとんどしない" ではなく "まったくしない" といったものが多く、要は

「あらためて一から言わなくても大体わかってますよね?ちょっと想像を働かせて 
"らしい感じ" に作っちゃってください」

って感じなんでしょうか。しかし、だからといって完全に "お任せ" なんてことは
まったくなく、多くの場合こちらが提案したものに対し

「う〜ん、イメージと違うんだよなぁ」

なんて不満を表明されたりします。悪くすると、

「やっぱり、おたくじゃ全部指示しないとダメか。。」

なんて嫌みを言われたり、最悪の場合は単に、

「ぜんぜんわかって無いね」

ってことで、ばっさり切られたり?という場合もないわけじゃありません。

確かに一から全部説明しなきゃならないのは大変なことです。
が、私たちがお客様から聞きたいのは、一から全部というわけではありません。
基本的な情報であればネットからでもある程度収集出来ます。
そうではなく、私たちは

今回のプロジェクトの背景、目的、ゴールが知りたいのです。

7月 07, 2011

伝えるために相手の価値観を理解し前提にする

価値観は人それぞれ違います。
判断基準も同様ですね。

判断基準に関しては、なにかしらを明確に示す事で
相互の認識をある位置まですり合わせる事が可能です。

ですが、価値観となるとそうはいきませんよね?自分の価値観を
相手にしゃにむに押し付けるなんて出来っこありません。

ビジネス上ではなおさらです。

デザインやコピーなどを媒介した、コミュニケーションアイデアの表現を
職業としているからか、時折見失ってる様に思える方も見受けられるのですが、
私たちの活動はあくまでビジネスです。

自分たちの価値観でもっていくら相手に説明したところで、相手が同じレベルで
それを共有あるいは理解していないかぎり、その力説は伝わりませんよね。

ビジネスなんですから、説得しようとか納得してもらおうと思ったら、
最初から相手にこちらの価値観を共有してもらうという努力を強いるのは、
基本的にあり得ません。

相手の価値観を前提にした上で自分たちのアイデアを魅力的に語れないといけません。

これは、私たち制作者がお客様に対して何かを提案する際のことを例に
書いてますが、私たちのお客様が、その顧客あるいはターゲットに対し
メッセージを発信する際も同じです。

相手の価値観を掴むという作業が、以前のエントリーで書いた、
相手の "城壁の中に入り込み、共通言語を話せるようになる" ということなんですね。


7月 06, 2011

独自性

当たり前の話なんですけど、独自性っていうのは、その個人、
あるいは団体の持つ属性に基づいて表れるものですよね。
そして、それが他者に無いものであればあるほど
差別化に繋がる訳です。

逆に "平凡である" とか "売りにならない" というのは、
他者の持っていない自分たち独自のものに気付けていない
ということになります。

私はあえてここで "持っていない" ではなく "気付けていない" と書いてます。

なぜなら、そこには独自性に繋がっていくはずの何かが必ずあるはずだからです。

過去のエントリーでも、差別化に繋がる要素は必ずあるはずなので、

先ず、それらを見つける事が重要だという様な事を書きました。
※2011年6月16日木曜日 "企業の歴史、文化、空気から差別化をはかる"

先ずは自分たちが現在持っていてる 、あらゆる
要素を書き出してみて下さい。
その中から客観的な判断に基づいても差別化に使えそうだと思うものを
選び出してみて下さい。

一つ一つは平凡なそれらでも、併せ持つ事で
特別なものになる可能性はないでしょうか?

それらを少しだけ大きなカテゴリーにし汎用性を持たせる事で、

それは可能にならないでしょうか?

だめだったら先ほど選択しなかった要素から、次にうまくいきそうなものを

ピックアップして同じ事を思考してみて下さい。

もちろんこれらのやり方にはコツもありますが、まずはやってみるという事も大切です。

机上の論理だけで「きっとだめだ」と捨て去ってしまうのではなく、少しでも
可能性があるならチャレンジしてみる。そして、やはりだめなら次の策を試してみる
というような作業が必要です。

しっかりと独自性を築き、既に素晴らしいものとして認識されているブランドも、

一見、外見は不変なように見えて、たえまぬチャレンジを繰り返し変化しつつ
今に至っているという話は書籍をあたっただけでも数々巡り会いますしね。



7月 05, 2011

ガイドラインとは何か?

ガイドラインは単なる守らなければならない 
"規則" として認識している人が多いと思います。

ですが片や、そのガイドラインが弊害を生んでいる
ということも事実としてあると思ってます。
つまり、

ガイドラインがあることで「これを守ればいいんでしょ?」と、
すごく短絡的に捉えられてしまい

非常にマニュアル的になり、無機的で
訴えるものの少ないメッセージになってしまう

こと
があるのです。また、実はこれも同じ様なことから発生するのですが、
「こんなガチガチのガイドラインに従っていたらまともなメッセージが
発信出来る訳が無い」と、

それらを無視し
それぞれの解釈で勝手に発信しだす

パターンもあります。
これらは両方とも

ブランド・アイデンティティの理解と、そこから発生した
 VI などイメージ戦略の意図の解釈が、ちゃんとされていない

ことから来ているんですね。


逆に言うと、ブランド・アイデンティティを、きちんと理解していれば、
わざわざ、そこから外れて発信しようとなんかしないはずですし。
ガイドラインは本来の役目である意図をヴィジュアルに変換する時の
ガイドとしてあるわけです。

利用する方はただガイドラインの上っ面だけをマニュアル的に暗記する
のではなく、

その大元のブランド・アイデンティティの徹底した理解が必要

であり、
また、

ガイドラインを作る方も、それが十分に機能する様、そして、
その意図が利用者に伝わるように制作する必要がある

というわけですね。




7月 04, 2011

自由なイメージほど規則はガチガチ?

これは、顧客が保持する企業のブランドイメージと、
VI(ヴィジュアル・アイデンティティ)等を発信する
企業側の規則の話です。

前回書きましたが、ブランディングの大切な役割の一つには、
複雑なものを如何に、すっきりと分かりやすく伝えるか?
があります。

VIも当然、同じように、そのアイデンティティを分かりやすく、
伝わりやすいものにしなければなりません。
なので、必然的に複雑化つまり分かりづらくなるのを避けるための
ガイドラインがきっちりと設けられるという訳です。

とはいっても

「出来ることが限られ、味も素っ気も無いのは自分たちには合わない」

という企業や商品も当然あるでしょうし実際にありますよね。

仮に、少し人間っぽく(笑)、

表現における幅を広めにとる

とします。そうなるとどうなるでしょう?
それはあくまでも演出された "自由" であって、本当に自由奔放に
「何をやっても個性なのだからOK」という訳ではないですから、

当然そのガイドラインについても、シンプルなものに比べ、更に厳しく、

細かいところまで決まっているものになって行くのです。

そうです、その自由なイメージを、出来るだけ分りやすく
相手に伝えるためにですよね。



7月 03, 2011

ブランドガイドラインは、なぜガチガチなのが多いのか?

ブランディングで VI というと、
ガイドラインとかレギュレーションとか、

「とにかく規則が厳しく窮屈」
「自由が無い!」

などというイメージが強いですよね。


確かにそのような面があります。
私も若い頃には、広告や販促の仕事の際に何度もその
ガイドラインに泣かされた口ですし。

「これじゃ、何にも出来ないよ!」から始まって、
「これはブランドが本来伝えようと意図しているメッセージを
逆に表現しづらく、邪魔さえしている!」まで(笑)

そもそも人間だったら "色んな面が見える" から "人間らしい" のであって、
"いつもある一面しか見えていない” 状態だったら、
想像しただけでも、かなりつまらない人になります。

ですが、ブランディングの際には、若干、話が変わってきます。
ブランディングの大切な役割の一つには、

複雑なものを如何に
すっきりと分かりやすく伝えるか?

という部分があり、当然それはVI やイメージ戦略に、
そのまま課題として落ちて来るものです。

表現は、黙って放っておくと自然に複雑に分りづらくなりがちです。
それをコミニュケーション用に分りやすく構築し直し、また、

それが崩れない様にする為のガイドラインやレギュレーションは、
ある程度厳しいものにならざるを得ないわけですね。



7月 02, 2011

自分を客観視する

ところで、

自分を客観視する

必要がある時ってどんな時なんでしょう?

自分の意向と周りの受け取り方のギャップを
出来るだけ少なくし、コミュニケーションのロスを減らしたい

そんな時に、自分が周りからどう見られているか?
自分の見た目が、言葉が、行動が、周りにどう受け取られているかを
知ることで改善しようとしますかね。

つまり、徹底的に相手のことを理解する努力をし、慎重にその思考を
想像して自己を眺めるか、あるいは直接その相手から自分が
どう思われているかを探り出すしかありませんよね。

したがって "自分を客観視する" というのは、ただひたすら自分を研究することではなく、

自分の外の基準によって自分を評価する

ということなんですね。

ですが、最近一つ気になっていることがあります。
時に自分を客観視することが行き過ぎ、

他己評価ばかり気にし、そもそもの "自分の意向" "自分の意思" が無くなってしまう

パターンです。

前回、第三者に映っている "あなた" こそ、本当の "あなた" ?でも
触れましたが、第三者、つまり相対する誰かというのは、主体に対して
相対的に存在するものでしかありません。
そこに自分がいなければ相手もいないのです。詳しく言うと、そこに
自分の意思がなければ、相手の評価もそれが "自分にとって" 良いのか悪いのかの
判断はできない。ということですよね?

相手の好みは大切かもしれませんが、いくら相手の好みに合わせて表面だけ飾っても、

中身がそれとリンクしていなければ相手も「単に上辺だけ」ととってしまいますしね。

7月 01, 2011

第三者に映っている ”あなた” こそ、本当の "あなた" ?

「ブランドは企業のものではなく、
 顧客が心に所有しているものだ」

という言葉を聞きますよね。


また、それと同様に、ある人間の本当の姿も、

他人の目に写っている "それ" 。

自分の意識の中にもやもやとあるだけで、外に対して表現されて
いないものは、本人の単なる理想・希望する姿、極端に言ってしまうと、
つまりは妄想の類でしかないと言う人もいます。

でも、どちらもいわゆる側面でしかないと思います。


前者のブランドの例でいうと "顧客の中に作られるもの" は、

ブランド・イメージと言われるものですよね?

同様に人間の例でも、相対する他人に映っているそれは、あくまでも

その人の "イメージ" ですよね。

上記の例では、


"企業" あるいは "ある人間" 自身のアイデンティティが
どちらも抜けてます。

簡単にいってしまうと、


それらが相手に対して "どう思って欲しい" と思っているのか?
の部分が
抜けて話されているのです。

「そんなものわざわざ言わないだけでわかってるよ!」と、思うかもしれませんが、

実際、その部分が完全に抜けているなぁと思うことが結構あります。
なんというか... "顧客志向" という都合のいい言葉の陰に隠れて、
その大切な部分を避けているようにさえ見えるといいますか。。

それらは企業にとっては企業名やロゴ・VIなどを、人間にしたら髪型や着る服を、

自己のアイデンティティ無しに、顧客や相対する他人の意見のみで決めているという
感じなのです。

まだ、皆と同じように目立たないように出る杭にならないように、という様な

そんな意識が残っているということなんでしょうか?
もしくは、相手に合わせてくるくる変える方が楽だし、確実だという
気持ちもあるのでしょうかね?
変なことを決めて責任を持たされる羽目にならなくていいって言うのも?

でも、考えてみて下さい。


相手と自分、どちらが主体でどちらが客体であっても、いずれにせよそれらは

相対的な関係に有る訳ですよね?どちらか一方が絶対的に存在するわけじゃありません。
だとすれば、

"企業" あるいは "ある人間" 自身のアイデンティティがなければ、

同時に相対する顧客や相手の人間もいなくなってしまう

ということなのです。

「いや、相対するのはロゴやVIなどのブランド要素のことであって、
アイデンティティのことではない」と言う方もいるかもしれません。しかし、
アイデンティティがなく相対するものの評価のみで作られた、それらの
ブランド要素は、その持ち主を表していないことになります。

そうです、何にしても


アイデンティティがなければ、そのものは無いに等しく、

よって相対する "顧客" や "相手の人間" も、おのずと存在しないことになってしまう

と。


それがどのような状態を指しているかは、それぞれ想像してもらうと

良いかもしれませんね。

6月 30, 2011

意思とイメージと選択肢

「これしかないの?」「選択肢が欲しい」
「もっと他に無いんですか?」

お客様に提案した席で、この類の言葉をいただく時があります。
これには単に "社内の承認を得る手続き上、複数案欲しい"
という場合と、"提出された案にピンと来てない" という場合が
あります。前者の場合は更に

"単にデザインのバリエーションでいいから選択肢として複数欲しい" 

という場合と、

"発信したいメッセージに対し、様々な角度からの表現アプローチ案がもっと欲しい" 

という場合。また更に

"発信するべきメッセージ自体に別の考え方がないか?"

というレベルのものまであります。
それらの各レベルは、先方からのオリエンテーションの内容や、その後の打ち合わせ、
提案したものに対するフィードバックの内容で、ほぼ分かるのが普通なのですが、
まれに大きく勘違いして受け取ってしまい、再提出時になってそのことが判明する
といった事もなくはありません。

そういう事態を避けるために、受け取る方は、初めから "このレベルの修正の話" と
勝手に前提せず、 その都度、それがどのようなレベルの話されているのかを確認する
ことが大切になります。

それは、我々の様な外部の協力会社とお客様との関係の中だけの問題ではなく、
それぞれの社内のコミニュケーションにおいても非常に重要なことです。

そして、もっと注意すべきことがあります。

ゴールを設定できないまま、オリエンテーションを行ったり、そのまま
受けてしまったりした場合です。

この場合、そもそも最初から何も絞られてないわけで、制作側としては、
制作者としての見解の中で最も効果的であろうと思われる方向に絞った上で、
違う表現のアプローチをいくつか提案する事になります。
そして、そんな時に出て来やすいのが、やはり
「他になんかないんですか?」なんですね。

もちろんそれは、
お客様が、制作者から提案されたものに対して "ピンと来ていない" 
ということなのですがピンと来ない理由の大きな部分は、

そもそもの "ゴール" が
両者の間で明確になっていないということ

が大きかったりするんです。

方向を絞らないまま、アイデアを出すということになると、その様々な方向の
根本的なメッセージの検討に始まって、更にそれぞれに表現アイデアのレベルでの
様々な可能性を探らなければならないわけですから、それこそ、かなりの時間と
コストがかかってしまいます。

多くの一般的なプロジェクトは、そのような時間もコストもかけれないのが殆ど、
もっとお互い効率よく進めなければならない場合に、それはロスでしかありません。

それを避け、定めたゴール=結果に向かって効果的なアイデアと
表現アプローチを得るために、オリエン(スタート=発注)の時点で、
そのプロモーションの "ゴール" というものを、両者でしっかりと確認しておく
ということが大切なんですね。

6月 28, 2011

現在地の正確な認識

私自身、今まで何度も書いてきましたし、
普段も皆さんよく聞くことだと思いますが、
“ゴールの設定“ “ヴィジョン” は、
とても大切なことです。

ですが、もう1つ。
“ゴールの設定” “ヴィジョン“と同じくらい大切で、これがなければ、
いくら “ゴールの設定” をしても、“ヴィジョン“ を打ち出しても、
ほとんど役に立たなくなることもあるくらい重要なことがあります。
それを書くのを忘れていました。
一般的にも、前者に比べ、こちらはそんなに
語られることが多くない気がします。

それは、


自分の立っている現在地を、きちんと認識すること


です。


いくらゴールやヴィジョンを設定しても、自身の現在地を同時に把握できてなければ、

そこへ行く方角も方法も具体的にならず、ただただ曖昧なものでしかありませんからね。

自分がどこに立っているのかを正確に理解しているからこそ、

その設定されたゴールやヴィジョンに向う為に、
今、自分は、どうしなきゃいけないのか?何をしなければならないのか?などの
課題とその解決方法を見つけ、具体的に行動に移せるのだと思います。



6月 27, 2011

自分が好きなものの "理由" を考える

あなたが、その映画を、本を、料理を、道具を、絵を、
人を好きな理由は何でしょうか?

よく「好きに理由は要らない」「好きなものに理由はない」
などと言いますが、それはあくまでもエンドユーザーの言葉
ただ体験する側としては、それでもいいのかもしれません。

ですが、それ(=人から好かれるもの)を作り出す側に立つとすると、
それじゃだめですよね。

”好き"の理由にこそ、それを生むヒントがあるんじゃないでしょうか?

たとえばAさんが◯◯のカレーが好きだったとします。

エンドユーザーのAさんは
「なんか分んないんだけど、◯◯のカレーは好きなんだよね〜」で
済ましてしまっても良いかもしれません。
でも、もしAさんが、自分もカレー屋さんを開こうとしているのだったら、
それで終わらせていたら、何をどうやって作り出すんでしょう?
せいぜいただの真似っこ、二番煎じくらいのことしかできないですよね。

どんなものを作れば、他に無くて、しかも人気が出そうなのか?

人が好きなものについて、なぜ彼らがそれを好きなのか?
人気があるものが、なぜ多くの人から好かれているのか?

こういってしまえば、すごく基本ですし当たり前に聞こえると思うのですが、

それらをまずは、自分のそれについて注意深く徹底的に考えてみることです。

自分を題材に、何かをどうして好きになるのか?という仕組みを研究出来てこそ、

その仕組みを、他の人たちの場合に置き換えることで、少しでもリアルに、
その人気の仕組みや好感度の秘密にせまっていけるんじゃないですかね。

だからこそ、その場の人気取りでしかなく、提供する側の
アイデンティティや想いを欠いた、ただの真似っこや二番煎じなどではなく、
自分が本当に提供したいものに対しての ”好き” を獲得できるわけですよね。



6月 25, 2011

クリエイティブ力って?3

前回の続きです。

「じゃあ、良いクリエイティブ・アイデアを考えつくには?」

について、前回はとにかく多くの良いものを見て、
"技術的" にも自分のものとしてストックする
ということを書きましたが、今回は、その見たものを 
”メッセージングの視点” で観察する必要性についてです。

その表現が、

"なんで" その形や色・コピーなど、つまり "その最終型" に
なっているのか?

を考えるということです。

”誰に対して” メッセージしていて、 "どういう場所" にあって、
他に "どんなタッチポイント" があり、最終的にそれは 
“どんな反応を求めている” のかなど、しつこく考えてみるのです。
暫くすると、きっと色々と見えて来るんじゃないかと思います。

「このターゲットに対してだからか」「こういうメッセージだからか」
「ああ、こういう感じを持って欲しかったからか」

などなど。そして、次に

「じゃあ、こういう方がよかったんじゃないの?」

と、なるわけです。
この “こういう方” の部分で、いかに沢山観察したかが差になってくるのです。

とにかく、これです。これを繰り返すしかないんですね。

この “理由を考える“ は、私たちクリエイターにだけ必要だとか、
有益な訓練だとか、というわけではありません。
メーカーのクリエイティブの発注者にとっても、発注側の意図と
制作側の受け取り方のギャップを出来るだけ少なくする様な
オリエンテーションができるようになるでしょうし、なおかつ、
制作者の意図する方向を深い次元で理解できるようになることで、
自分たち発注者の意図と それが、どの部分で合致していて、どの部分で
ずれているのかが、もっと分りやすくなるはずですから。

6月 24, 2011

クリエイティブ力って?2

前回に引き続き今回は、

「じゃあ、良いクリエイティブ・アイデアを考えつくには?」

 について書こうと思います。これも、技術力のアップと
同じで、やはり量が大切になるのですが、

簡単に言ってしまうと、良いものを沢山見るということです。

その都度、いちいちそれらがどういう手法で、どういう要素から作られているのかを
調べ、一緒に記憶しておく。そして、もちろん自分自身で、それをやってみなければ、
本当の意味では身に付きません。やってみるんです。

私たちが駆け出しの頃は、良いと思ったデザイン・レイアウトを自分自身が体得
するために、上からトレーシングペーパーをかけてトレースしたりするやり方も
有りました。
そうする事によって、そのデザイン・レイアウトの感覚を身体で盗むわけですね。
それをやっていると、不思議な事にその構成が見えて来るだけではなく
視点誘導の仕組みや、また、自分の手を使う事で、普段なにげなくやっている
自分の癖の発見や、そのような自分の癖と見本としているものとの違いの発見など、
いろいろなものが見えてきます。

見るというのは

 "ただ眺める" ことではなく、記憶する、自分のものにする

ということです。

このことを、自分の引き出しを増やすなどと言ったりもしますが、
要は自分の中にいろいろな良いサンプルをためておくということが大切になります。

6月 23, 2011

クリエイティブ力って?

良いクリエイティブ(デザインやコピーライティング)の
実現のために、私たちが、しなきゃいけないことは
山ほどあります。
また、それらを、一通り全てやってみたからといって、
素晴らしいクリエイティブが生み出せる技術や能力が、
直ぐに身に付くというものでもありません。

結局は、

それらを何度も繰り返しやり、身に付けたか?訓練したか?

ということであったりしますしね。

さて、やらなきゃならない沢山のことの中の一つは、もちろん技術。
形にするための知識と腕です。これは言わば基本ですよね。
どんなに素晴らしいアイデア、どんなに素晴らしい表現の世界が
頭に浮かんでも、それは、どうすれば実際に形に出来るのか?
それを形にする知識と腕が必要ですもんね。

仮に形にする部分を他人(デザイナー)に頼むにしたって、
頼む人間(ディレクター)自身が、やり方を把握してなければ、
それは単なる丸投げと同等になりがちです。
その作業にかかる時間すら想定出来ないわけですから、スケジュールさえ
組めないですし、進行中も、まともにコントロールすることは難しくなります。

ましてや思うように仕上がって来なかったときなど、それに対する適切な
修正指示も出せないわけで、そんな中での作業は労力ばかりかかり、なかなか
仕上がりの精度が上がらないというようなことになってしまいます。

そうなると当然、時間もコストも通常以上にかかるわけで、
それは良くない時間とコストのかけかたですよね。

これら技術の部分は基本です。

次回も、その他のしなければならないことを
つらつら書いていこうと思います。

6月 18, 2011

クリエイティブで差別化が出来るか?

ここでは ”クリエイティブ” を
デザインやコピーなどアイデアを表現する
こととしての意味に限定して書いています。

じゃないと話がややこしくなりますからね。

単にその場限りで目立っていても、それは
本質的な意味での差別化にはなりません。

今までと同じ例で書きますね。
メッセージの発信者(メーカー)と協力者である制作者は、
城壁の中の人、つまりメッセージの対象(顧客/ターゲット)を
発信者の意図する場所へと連れ出しますが、その場所には
ライバルも店を開いており、連れてこられた人は、
どちらの店に入るべきか、買うべきか迷ってしまっている。
という場面を想像して下さい。

これはつまり、この時点ですでに差別化出来ておらず、
発信者は商品を魅力的に見せる場所へ、
対象(顧客/ターゲット)を連れ出せてはいるのですが、
自社のものと他社のものとの ”違い” を魅力的に見せる場所への
誘導までは出来ていないという状況です。

ここで、迷っている人たちを自分たちの店の方に呼び込もうと、

単に相手より目立つ表現を使った戦略をとっても、
ライバルはすぐに同じ戦略をとれます。
それでは本質的な差別化になりませんもんね。

前回触れたことと被りますが、商品やサービス自体が
差別化されてなくても、その提供者であるメーカーの歴史や
文化などから、

メーカー自体の違いを見つけ出し、それを
クリエイティブで表現することで差別化はできる、

私は、そう考えてます。

6月 17, 2011

差別化

前回を引き継ぎ、差別化についてもう少し。

"提供者であるメーカーの歴史や理念、
働く人たちの意識や物の見方など企業の空気や文化から
差別化の要素を見つけ、
それが魅力的に見える場所へ
対象(顧客/ターゲット)を連れ出す”

簡単に言うと、 あらゆる材料を洗い出し、その中から
"ライバルとの違いを見つけ、それを対象(顧客/ターゲット)に
「魅力的だ」と感じてもらう” ということですが、

もう一つ、城壁のある意図した ”一方向だけ" を壊すというのは、

"自分たちの強みを出来るだけ特化して打ち出す" という意味もあります。

「なんでも出来ます!なんでもあります!」では、
安売りと同じで、ライバルが同じ戦略をとれるのでダメ。

それをいうのであれば

「何に関しても幅広く、私たちは "こう出来ます" 」
「色々なものを幅広く、私たちは "このポリシーで揃えています" 」

であり、この

 "こう出来ます" や "このポリシーで揃えています" が
大切

というわけですね。



※参考 2011年4月 海と月社:独自性の発見 著 ジャック・トラウト 他


城壁の中へ入るべきもう一つの理由

本当に未だこんな考え方をしてる人がいるなんて、
私にはあまりピンとこないのですが、
日本のモノづくりのマーケティング軽視を憂慮する方の発言には、
「日本の”モノづくり”の世界には、未だにそういう思考が
根深く残っていて、多くの経営者がそこから脱しきれてない」
というような事を言っているものが、ちょくちょくありますよね。

要は「(品質の)良いものだからといって、売れるとは限らない」

という、なんというか当たり前にも感じる事なのですが。。


そのことと同じかどうか分りませんが、私は、彼らが技術を優先して

デザインを軽視している様な向きは感じる事があります。
というか、モノづくりに限らずですけどね。

技術やテクニックの向上に関しては一生懸命やるのですが、

それによって表現されるもの、独自性ということになると
イマイチなものが多いのかなぁと。

いろんな例で中国のものをパクリだなんだと言うのをよく聞きますが、

日本もなんか、あんまり変わんないのかなと(笑)
まぁ、今でこそ少し違うのかもしれませんが、ベースには似た様な考え方があって、
「似た様なものでも、自分たちの方が上手く作れるんだから誇って何が悪い!」的な?
そこから、オリジナル軽視の部分だけが残ってしまっている様な?
そんな感じがしちゃうときもあります。

独自性が軽視されれば差別化も薄まりますよね?
その際は、当然デザインも犠牲となります。

そして、デザインが、ものを選ぶ際の基準の一つに入ってきている今、

「デザイン軽視は間違いなく、マーケティング軽視ではあるよな」
「あ〜、対象の居る城壁の中へ入る事をせずにやっちゃってるなぁ」と、
そんな事を思います。

良いもの”は、対象である顧客の判断が基準になるんですからね。


6月 16, 2011

企業の歴史、文化、空気から差別化をはかる?

いくつか前のエントリーで私は、現在提供している商品や
サービスが、ごく平凡で多くの類似品を持ち、それ自体が
本質的な独自性の無いものであっても、その提供者である
メーカーの成り立ちや歴史、あるいは理念・イデオロギー、
更に、そこで働く人たちの意識や物の見方の傾向から作られる
企業の空気や文化の中に、自分たちを他者と差別化するための
素材があるのでは?と書きました。


その商品やサービスを提供者自身で作っている以上、
その企業の属性と密着していますもんね。

「いや、会社自体が地味で平凡などこにでもあるようなものだから・・・」

本当ですか?
作っている人は?場所は?歴史は?どんな雰囲気のなかで作られてますか?

「そんなものなんの売りにもならない」ですか?


何も無いより良いんじゃないですかね。

それが売りになるところを見つけるなり、作るなりする

というのはダメでしょうか?
壁の壊すべき方向は、その方向へ向いていなければならないということですね。

その場所へ中の人を連れ出すわけです。


もちろん、簡単ではないです。
結果的に、そんな場所が見つからない事も作れない可能性もあります。
でもそれは、挑戦しない理由にはなりませんよね。

6月 15, 2011

対象(ターゲット)の住む世界を感じる

これまで私が、”対象(ターゲット)を理解する“から始まる
いくつかのエントリーで書いてきた”城壁のなかに入り、
中に住む人たちの世界(空気感や生活、日常など)を掴み、
共通言語で会話が出来る様にすることが大事だ”ということに
共通するエピソードを、
先日、知人のアートディレクターから聞きました。

『今までで一番やさしい経済の教科書(ダイヤモンド社)』や
『学校で教えてくれない「分りやすい説明」のルール(光分社新書)』などの
著者、木暮太一さんは、

学生向けの本を執筆する際には学食に、
主婦向けの本を書く際にはスーパーに、
サラリーマン向けの本を書く際にはマクドナルド(笑)に、
なんと、まる一日中張り込んだとか。

もちろん一日だけの話ではなく数日通ったのだと思います。
いや徹底してるというか、ほんと凄いと思います。

それも全て対象のことを出来るだけ理解し、
相手に伝わる本を執筆するためなんですよね。


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※上記の内容が掲載されている御崎栄一郎さんのポットキャストのリンクです。
他にも面白い話がたくさん掲載されていますのでぜひこちらも覗いてみてください。

6月 13, 2011

穴の開いた壁から見える場所にいるのは自分たちだけ?


メッセージの発信者が受信者(中に住む人たち)に、
売ろうとしている商品を使う生活が
素敵なことだということを納得させ(周りを囲む城壁を崩させ)、
自分たちの商品が魅力的に見える(自分たちの意図する)場所へ
受信者を連れ出せたとして、その場所で受信者が見るものは、
誘導してきた発信者の商品やサービスだけとは限りません。

商品やサービスがそれほど差別化されてない場合、
自分たちの商品が魅力的に見える、その同じ場所が、ライバルにとっても
同様に商品を引き立ててくれる場所であるのは想像するに難しくありませんよね。
ライバルも当然、お隣でお店を開くというわけです。

さあ、どうします?
ライバルのものより価格をさげますか?
品揃えを増やす?

でも、どれもライバルに真似できることですね。

なので、はじめから商品やサービス自体にオリジナリティ、
つまりライバルの物と差別化されていることが必要なんです。

そのオリジナリティを引き立てる、ごく限られた場所へ、
対象である受信者(顧客/ターゲット)を連れ出せば、自ずとライバルは
入ってこれない、入ってきたとしても不利な戦いを強いられるというわけです。

とは言っても、現実には

「そんなことは分ってるけど、実際、自分たちの商品やサービスは、
他のどこでも作っているようなものだし・・・」

という様な声も、ちょくちょく聞かれます。

でも、だからといって本質的な差別化を諦めるのは早すぎます。
どんなに平凡で、多くの類似品があったとしても、
最低限その提供者の製品は、その提供者からしか出されていないわけですよね?

提供者であるメーカーの成り立ちや歴史、あるいは理念・イデオロギー、
そして前々回触れた、そこで働く人たちの意識や物の見方の傾向から作られている
企業の空気や文化のなかには、ライバルの物と差別化するための第一歩となる
素材が隠されているのではないでしょうか。

つまり、差別化のポイントが、自分たち自身への客観視を失う事によって
ただ見逃されているだけだという可能性もありますよね。

6月 12, 2011

発信者と制作者で対象の研究の仕方は違う?

では、私たち制作者の立場から、
メッセージの発信者(メーカー)にとっての対象である
受信者(顧客/ターゲット)を理解しようとする
場合はどうでしょう?前回書いた、私たちが発信者を理解する
場合と、あるいは発信者がその受信者を理解しようとする場合と
何か違いがあるのでしょうか?

制作者は、あくまでもメッセージの受信者、つまり顧客/ターゲットの立場から、
客観的な考察と助言を発信者に対してするべきであるという考え方があります。
このことは会議中などに「それはメッセージを発信する側の都合であって、
受け取る側には何の価値も無い情報だ」という様な言葉で現れたりしますよね。

その中には、もちろん本当に蛇足だったり無価値だったりする場合もあります。
また一方で、受信者が現在はその価値に、ただ気付いていないだけ、そして
発信者もそこまで重要な情報であるとは気づいてないという場合もあるんですよね。
その場合は、発信者にも受信者にもその正しい価値に気付いてもらうことで
新しい市場を作り出せる可能性もあるということですよね。

要は、受信者の立場だけに立って考えるのではなく、発信者も含め、
両者をしっかり理解していないと、そんなチャンスも見逃してしまう可能性が
あるというわけです。

それは分ったけど、制作者と発信者では、まったく同じように受信者の研究を
してるってこと?ってなりますが、肝心なこれを忘れてはいけません。

私たち制作者は、メッセージの受信者も発信者のことも、
それらを包む ”空気” を含めてしっかりと掴み理解するようにしながら業務を進行する
必要はありますが、それは完全にその立場の思考をするという事ではありませんよね。
前にも "それは提案の際に共通言語を話すため" だと書きました。

そうです、私たちが発信者と違うところは、本人で無い故に、
発信者を客観的に見る事が出来るというところです。

出来る限り対象を理解した上で客観的にそれらを眺める。

発信者自身より私たちは当然それをしやすいはずですもんね。

そして "受信者(顧客/ターゲット)の研究" においても、
その目線を持っていることが "発信者の都合" と "見えていない価値" を
見分けさせてくれるはずだと思うのです。


6月 11, 2011

対象(ターゲット)の何を理解するのか?


何回かに分け ”ターゲットの理解” ということについて書きました。
「そんなことわかってるし、言われる前から努力してるよ!
それが、言うほど簡単に出来ないから大変なんだ!」
という声が聞こえてきそうですけど。


確かに、そんな簡単な事じゃないですよね、

ところで、私たち制作者にとっての対象の片方である、
メーカー企業を知ろうとする場合ですが、まずインターネットなどで
基本的な会社概要や提供しているサービス等を調べるところから入り、

一通り下調べをした上で、実際にその企業の中の人に、
どこに向かおうとしているか?どういう課題に向き合っているのか?
何が足りないと思っているのか?短期、長期の目標はなにか?などを
質問したりするという感じでしょうか。

これはこれで大切な情報ですが、まだ、知りたい事には辿り着けていません。
それに、これだって、もしかしたら、型通りの表向きの話を聞かされているだけかも
しれませんし(笑)

そこで、何かもっと情報が出てこないか、更に根掘り葉掘り聞く事になります。

もしかしたら、それで「あ、そうそう、今、こういう事が出来ないかなって考えてて」
なんて話も出てくるかも知れません。
それはそれでチャンスには違いないし良いことなのですが、
私が書いてきた ”理解” のための情報とは違うものです。
実際欲しいのは、その企業の価値観や物の見方なのです。

中で働く人たちそれぞれが、どんな世界観の中で暮らしているのか?
自分の会社を、自分の仕事をどう見ているのか?どう感じているのか?
というものから 影響して型造られている、その企業の空気なのです。

人それぞれ違うとはいえ、同じ文化のなかで長い時間一緒に仕事をしている集団として、
従業員の価値観や物の見方には、なんなりかの共通項や似たような傾向を示す部分が
あると思います。そして、その共通項や傾向が、企業の特に理念などとして、
明文化されていない習慣や文化みたいな部分に、大きく影響しているはずだと
思うのです。

ではなぜ、このような情報が必要なのか?というと、
彼らと同じ共通言語で会話をしたり、提案をするためです。
そうです。共通言語というのは社内用語や専門用語のことではありません。

彼らが「今っぽい」と言ったとき、どんなものを指しているのか?

「かっこいいもの!」と言ったときどういうものを指しているのか?
「若者っぽい」と言ったときどんなものを指しているのか?
ちゃんと理解する必要がある

いうことなんです

対象の考えている事や欲しいものがちゃんと理解出来て初めて
「それだったら、こっちの方が」というお勧めや、
きめの細かい提案が出来るのではないか、



ここまできて初めて、提案者の知識やセンスがものをいうのでは

と私は思うんですよね。

どんなに素敵でセンスがよく、クールで素晴らしいアイデアだと
制作者自身が思っていても、受け手がまったく理解出来ない別世界の話だったら、
それは当然なんの意味もないことになっちゃいますもんね、伝わらないんですから。

発信者であるメーカー企業が、その対象である受信者(顧客/ターゲット)を理解する
ということも結局はそういう対象を包む空気を掴むことですよね。

6月 09, 2011

メッセージの背景を選ぶ


さて、これまで例えに使ってきた城壁ですが、 その中に入り、
中の人と同じ言語が使えるようになったら、 次は中の人と一緒に
壁を崩す作業に入ります。

その際、壁が崩れた時に、そこに見える風景は、 発信者が
その対象に見せたいと思っている 風景じゃなければなりません。

壁が崩れた時に、そこに見える風景って? 
仮にメッセージの発信者がマリンスポーツ用品のメーカーだとします。
徹底的なプロ仕様というよりは、リゾート向けの カジュアルな商品ラインアップに
なってます。

城壁の周りには様々な環境があり、状況が起こっています。 もちろん、
発信者は自社のマリンスポーツ用品を買って欲しいわけですが、 北側は吹雪の山、
東は都会、南と西は海になっていて、南は遠浅の白い砂浜が続くビーチ、
西は少し波が高く、ちょっと沖に出ると
絶好のダイビングスポットもあるような場所です。

発信者が「◯◯社のマリンスポーツ用品で夏を遊び尽くそう!」
というメッセージを
対象に届けたい場合、どの方角の壁を崩すのが良いかは一目瞭然ですよね。
発信者は南側の壁を崩してもらわないといけません。 
なぜなら、受信者である対象に商品の利点や必要性を感じてもらう、あるいは納得して
もらうのに偉く遠回りをさせる事になるか、もしくはそこに辿り着いてもらえない
可能性さえあるからです。

そして、城壁の中に住む人たちと一緒になって壁を崩すというのは、外から勝手に
「こっちに素晴らしい風景が有るんだから黙ってここ開けてみてみ!」と攻撃同等の
手段で壁を壊すのではなく、その人たちが

見た事もなかった風景を、如何に魅力的に説明し
「自分たちにもあったら絶対楽しい!絶対必要!」という気持ちにさせることで、
あたかも自らの意思でそこに出て来る様にする

という意味です。なんとなく理解していただけましたかね?
 ターゲットの気持ちを動かすとでも言うんでしょうか?大筋はこういうことですね。



6月 08, 2011

対象(ターゲット)の理解3

前回前々回
「対象である受信者(顧客/ターゲット)へメッセージを伝えるためには?」
ということと、それに付随して欠かせない「対象を理解する」ということについて、
城壁の例えを使って書いてきました。

今、書いてきたものを改めて見ると、ちょっと補足したほうがいいかなぁと
思うところもあり、少しだけ追記しようと思います。

城壁の例えを思い浮かべる際、私たち(広告制作者)にとっての対象の一つである
発信者(メーカー)との関係の場合は、とくに問題ないと思いますが、
発信者にとっての対象=顧客/ターゲットの場合では、それは
発信者が新規で獲得を狙っている顧客/ターゲットと考える方が
しっくりくるかもしれません。

既存の顧客が対象になる場合、すでに発信者は受信者と共通の言語で話していたり、
彼らの住む城壁の内側に入り込んでいると考えられる場合が多いでしょうからね。

じゃあ、既存顧客の場合は違うのか?というと、実は、そんなことはないのです。

発信者は城壁の中で、受信者と共通の言語を話せているから安泰かというと、
決してそんなことはなく、発信者にとっての競合が、その城壁内に無理矢理、
あるいはこっそり門を開けてもらい、中に入り込もうとしているはずですし。

そして、それぞれ自分たちに都合の良い方角の城壁を壊させようと虎視眈々と
策略を練っているわけですもんね。

ですから、既存の顧客が対象の時は、その対象が自分たちに飽きてしまったり、
刺激を感じななったりしない様、

いつも目新しさ、斬新さを持たせた上で、
信頼感を積み上げていかなくてはなりませんよね。

また、どんなに城壁の中で一緒に暮らしていても、しょせんはよそ者です。
その街の流行やムード、世代の交代、年齢構成の変化など、常に意識し
気をつけていないと、あっと言う間に城壁の外にいる人と同じ知識や感覚になって
しまう事になります。つまり、

一度中に入れてもらえたからといって永住権を得れたわけではなく、
気がつくといつの間にか、また、城壁の外にいることの方が多い

のです。

そういう意味では新規獲得で顧客/ターゲットを得ようとする場合と、
やることはあまり変わらないですよね。

次回は、城壁の壊すべき場所、壊して欲しい場所とは?について
書こうかなあと考えてます。


6月 07, 2011

対象(ターゲット)の理解2

ということで、気が変わる前にさっさと次を書いてしまいます(笑)
基本的に私たち(広告制作者)は、当然ながら発信者の側に 属します。
ですが、たとえ発信者(メーカー)と 同じ環境に身を置き、
同じ空気を体感しているはずの、 ハウス・エージェンシーの
クリエイターでさえ、 親会社の人たちとの間には、業種や職種の違い
からくる、 認識や感覚、考え方のずれがあるはずです。

ましてや、外部の広告会社や制作会社に属するのであれば尚更 ”まったく同じ” とは

なりませんよね。 つまり、私たちが理解しなければいけない対象というのは、
二種類存在することになります。

メッセージの受信者である、発信者(メーカー)にとっての顧客/ターゲットと、

メッセージの発信者自体です。前回、私は、

まず最初に発信者は、受信者(顧客/ターゲット)の住む
城壁で囲まれた街に入り込み、その生活や慣習、文化、空気などに触れ、
受信者と共通言語(受信者に理解出来る言葉)で話す(説得・説明する)ことが
出来るようにならないといけない。」

そして

「その上で受信者に発信者の意図する場所へ出てきてもらい、発信者の意図する
風景を見てもらうため、壁の決まった特定の部分を崩さなければならず、それは
受信者と一緒に壊さなければならない。」

ということを書きました。 ちょっと複雑になるのですが、前回にならい今回のものを
説明すると、私たちは発信者に 「受信者の住む城壁で囲まれた街に入り込み、
その生活や慣習、文化、空気などに触れ、 受信者と共通言語で話すことが出来るように
ならないといけない。ということを理解してもらい、

実際に城壁の中へ導き入れる。

更には発信者が「受信者に自分たちの意図する場所へ出てきてもらい、
意図する風景を見てもらう」ため

「崩さなければならないところへ導く」お手伝いをする。

そして発信者が「受信者と一緒になって壁を壊す」ことが出来るように、

受信者にとっても、そこを壊すこと自体が ”魅力的なものに出会うため” と
思える説得を、 発信者と一緒になってやっていく役割を担っている。

ということでしょうかね。 もちろん、これはフルコースの話であり、外部から、
なんのかんの言われるまでもなく、 発信者自身で、ある程度の事をやっている
ところも多くあります。 その場合、当然、私たちが改めて一から全てをやり直す
必要はありません。

ですが私たちは、この事を知っていて初めて発信者が見落としているものや、
手が回らず後回しになっている部分に気付くことが出来るわけですし、更には、
そこを補い、一つの大きな戦略を完成させることができるのではないでしょうか。

さて、発信者に対し、上記の様なお手伝いをしていくためには、 私たちがまず初めに
しなければならないことは何でしょう? そうです、発信者がメッセージの対象である
受信者を理解しなければならないのと同様に、私たちは、発信者も理解しなければ
ならないのです。

発信者の住む城壁の中に入り、そのビジネス、文化、空気に触れ、
発信者が理解出来る言葉で話せるようにならなければならない

ってことですね。

ということで私も、もっともっと発信者であるお客様を理解し、
その顧客/ターゲットが、自ら壁を壊し、ぞろぞろ外にでてくるのが目に見えるような、
わくわくする提案(お客様が理解出来る言葉で説明できている提案)を
していかなくては!と、改めてがんばらなくてはと思っている次第です(笑)


6月 05, 2011

対象(ターゲット)の理解


何かを伝えようとする場合、 その対象となる”顧客”を理解する事が
言うまでもなく最も大切になってきます。 
どんなに素晴らしいおトクな情報であっても、所謂 その対象との
共通言語で話さなければ、 まったく伝わらないですもんね。
対象を理解するためには、まず観察が必要。
 観察の時点では、出来るだけ観察者の価値観を取り払って、
客観的な情報を収集することが大切。

観察はあくまでも観察であって、そこに観察者の”判断”や”意見”が入り込む事は、
正しい対象の理解をさまたげることになりますからね。

特に調査やデータ収集にお金をかけられず自力でやらなければならない時などは、
主観が入りやすく要注意じゃないでしょうか。 発信者側の価値観や考え方は、
対象を充分に観察し、しっかりとそれが把握された上で 照合され、アウトプットとして
組立てられないと発信者と受信者(対象)それぞれの住む世界のギャップにより
まったく伝わらないメッセージになってしまいますからね。

 受信者(対象)の持つ世界というは、例えると、城壁に守られた壁の内側という感じ。
外から壊すのは大変です。
無理矢理壊そうとすると、中の人たち(つまりは対象者)は防衛のため無理矢理壊そうと
する発信者側への攻撃を始めるのが普通ですよね。

充分に観察、把握しないままに、発信者の価値観や考え方を滑り込ませ、
対象者に対し 「こうすべきだ」と提案を押し付けるのがこの状態。
扉を開けてもらい、先ずは城壁の中へ入り、中の人たちの生活や事情を把握し、
自分たちを仲間と認めてもらうというのでしょうか、中の人たちが納得する形で、
中の人たちと共に、内側から壁を崩すことが最も理想的だということなんです。

もちろん、既にそのようにしてやっている方もいるとは思います。
でも、城壁の中に入り込んでそこで満足し壁を壊す事をやめてしまう人や、
壊す事は納得させたけど、壊す方角を決める事が出来ず、あるいは、
中の人たちの都合の良い箇所で決めてしまうケースが多いのではないでしょうかね。

このように、外から無理矢理叩き壊そうとするのがダメなのは当然で、城壁の中に入り、
中の人たち(対象者)に仲間として認めてもらうところまで行っても、まだたりません。
更に

どちらの方向に向かってその壁を壊すのかというところに、
発信者としての価値観や考え方がちゃんと反映されなければ、
発信者側の意図に添った風景を対象に見せることはできません。

それだとまったく戦略になりませんもんね。 今回は、発信者 = メーカー、
受信者(対象)= 顧客ということで書きましたが、 じゃあ我々制作者の場合はどうか。

基本的には発信者側となるのですが、 ちょっとだけ違うところも感じますので
次回はそっちを書こうかな。