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8月 25, 2012

見せたい姿と、あるべき姿のギャップ


見せたい姿と、あるべき姿のギャップ。
自分自身に関して、あるいは周りにいる人に対してこの様なものを感じた事は有りませんか。

私はしょっちゅう考えます。要は客観性の問題でもあるんですよね。
「自分の事はよく見えない」というあれです。

たまに「俺はメチャメチャ自分が客観的に見えている」って言う人に会ったりするんですけど、そういう人は他人の意見は求めてないでしょうし、敢えてこちらから何か言う事は特にないのですが、本当に稀に突っ込みを入れた時に、そういう人たちが揃って口にするのが「わざとやってる」「計算している」、つまり「あんたみたいな凡人にはわからないよ(俺は特別鋭いんだから)」ってやつです。

でも、大多数を占める凡人に伝わらないのですから、私が「相手にはあなたが希望している様な姿に映らないのでは?」と突っ込みを入れるのは、当然のことながら、ほぼ正しいわけです(笑)
そして次にくるのは「別に全員に分ってもらおうとなんてしていない」「分って欲しい人にだけ、分ってもらえればいいんだ」ですかね。本当にそう思っているんですかね?ちょっと疑問です。
それにこの少数の “分ってくれる”人たちは、そういう人の表に現れている姿を「?」と思いながらも、他の部分をもって帳消しにしてくれているだけかもしれません。
つまり “分って” くれている訳ではなく、ただ調子を合わせているだけという可能性がかなりあるんじゃないかなぁと思うんです。

なので、これって自分自身の事を考える時が一番難しいですよね。
さっきも書いたように、いわゆる仲の良い人は、本当に相手のことを思ってくれる親友レベルの人でもないと、なかなか自分が思っていることを率直に伝えてくれたりはしません。ただ仲良く?付合ってくれているだけなので調子だけ合わせたりするんです。
かたや、仲の良くない人やライバル視している人、どちらかと言えば自分の苦手な人の言葉は、意外と本当のことを言っていることが多いのですが、どうしても素直に受け取りずらいものです。どうしても好意的には考えられなくなりますからね。

しかし、見せたい姿と、あるべき姿のギャップを埋めるためには、それらの様な一見批判的、非好意的な意見からも、冷静に、自分の印象のデータを収集し、修正していけるかどうかというのが非常に大切になるのです。

それって企業に置き換えても同じですよね。
ファンじゃない人たちのネガティブな意見を含めた反応から、ただの罵倒や中傷を区別し選り分けながらも、大切な意見(反応)を見逃さないようにする。でないと裸の王様になってしまいますもんね。

8月 21, 2012

少しは考えろ!


ちょっと前に、「いつまでも考えてないでやれ」というタイトルで記事をポストしましたが、もちろん、それとは逆に「少しは考えろ!」と言いたくなる様なシチュエーションもかなりあります(笑)。

ま、本当に何も考えないでただやっちゃったんだなぁと思うものもあるのですが、たいていの場合、何かは考えてるはずだと思うんです、その人なりに。

とすると、その人は “ピントのずれた事を考えている” か、“考えが浅い” か、ということになります。
でも、全部が全部それで片付いちゃう問題なのでしょうか?

ちょっと思い出して下さい。ある人が「少しは考えろ!」と言うとき、だいたいその前後に「これは元々こういうもので、今回の場合こうしたいんだから云々」というような大前提の話が出て来たりしませんか?
言われた方は「それ初めて聞いたんですけど。。」みたいに感じるものが。

この場合「少しは考えろ!」って言う方は、このことを、ちゃんと最初に言ってあったんでしょうか?言った気になっているだけってことはないでしょうかね?

これは実は仕事のオリエンも同じなんです。相手に “考えて” 仕事をして欲しい場合、もっともちゃんと伝えなければならない、決めなければならないのがこの前提。つまり様々な条件なんです。
伝える側なら出来ればシートとかに纏めて、オリエンを受ける側なら必要項目をメモしておいて話に出てこなかった部分は質問しなければなりません。
この部分で不明になっている事が多くなるほど、いくら一生懸命考えたところでピントのずれたもの、考えの浅いものが出来てしまうというわけです。

その会社や製品のおかれた環境や状況、ターゲット、直接メッセージを伝えたいと思っている相手、その人たちがこのメッセージに触れると想定している場所、得たい効果、そして、これが一番難しいのですが、業界では当たり前の常識になってしまっている部分など、これらのような前提条件を出来るだけクリアにし共通認識して、話が噛み合わないままお互い無駄な時間を費やす事のないようにすることが、ものすごく大切なのです。

8月 10, 2012

インパクト


最近「広告や販促物などのデザインやコピーにインパクトを出すって、色々な意味で難しい問題なんだなぁ」と考えてしまうシチュエーションが結構あります。

“色々な意味で” と書いたのは、単に目立てば良いってもんじゃないというマーケティング的な問題や、デザインやコピーにインパクトを出すための技術的な問題だけではなく、そもそも「インパクトなんて必要ない」と思われているツールやタッチポイント、戦略的なシチュエーションが有るという問題も多いと考えるからです。

なぜそのような事になっちゃっているんでしょう?出る杭は打たれるとか、沈黙は金とかのような諺もあるように、文化的な何かから来ているのでしょうかね?

単に目立てば良いって事じゃないというマーケティング的な意味の方は、そりゃ当然難しいわけで、簡単だったら我々は苦労しないどころか仕事が無くなってしまいますね(笑)

しかし、どちらかというと後者の「あまり目立たない様に発信して、でも伝えたいことは相手にちゃんと届けたい」という話の方がさらに大変です。

そういう状況になると、どうしても真っ先に頭に浮かんでくるのは「そんなことは無理」「効かない物になってしまう」「意味がない」というような言葉で、若い頃から、どうやって他の物や競合より上手く目立たせるか?ばかり考えさせられてきた私たちには信じられないことだからなんです。

でも実はこの “目立たない様に” にも二種類あるんです。

一つ目は、発注者として、とにかく何かやれば、少なくとも会社(あるいは上司)の命令は、つつがなく遂行した事になるから、あまり余計な事をやり過ぎて逆に悪い効果が出たら嫌だという、所謂保身感情からくる目的のすり替え。これは本当にその企業にとって大きな損失を生むものです。

かたや、単純に “悪目立ちしたくない” というだけの意味のものもあるのです。

後者の意味で発注者が言ったにも関わらず、“目立たない様に”という、言葉だけで私たちが勝手に前者の意味でとってしまうことや、発注者が上司から、そのような意味で注意されたのに対し、制作者にその言葉だけをそのまま伝えてしまうケースもあります。

何かをアピールする事や特徴を分りやすく出す事と、そのブランドに全く関係無くただ目立って名前を憶えてもらえれば良いという事や、メッセージを訴えたい人たちの普段活動する環境から心の中に作られている感覚を無視して突飛な事をやるという事は全く違う話です。
打ち合せなどの会話の中に「目立ちすぎない様に」という言葉が出た時は、そのまま言葉通りに受け理解した事にしてしまうのではなく、上記の事を念頭にどういう意味での “目立たない様に” なのかをきちんと確認した上で対応をしていく必要がありますよね。

でないと、それこそ何の効果も出ない意味のないもを作ってしまう事になっちゃいますから。

7月 19, 2012

人の反応


以前に見た事があるものと、全くはじめて見るもの。
この二つの選択肢で考えると当然の事ながら前者の方が人を安心させます。

全くはじめて見るものは人を不安にさせ、人はそれを敬遠します。

「いや、俺は、はじめて見るものは歓迎だ。いつも人生に驚きを求めながら生きている。」

という人は沢山いますが、そういう人でさえ本当の意味での自分の許容範囲を超えた驚きは求めていないのではないかと思うのです。

そういう人たちの求めているのはあくまでも刺激であって、その範囲での驚きであり、自分の中の知識や経験の何とも結びつかず、よって理解する事が全く出来ないようなものは刺激としては感じられずただ不快なものとして認識されるのではないかと。

つまり、「これは驚きだ!すごく面白い!」と刺激として感じられるレベルの驚きは、もとからその人にとって許容範囲のものであって、私の定義する驚きとはちょっと違うという事ですね。

仕事の中でも、よく「驚きがない」とか「驚かしてくれ!」なんていう言葉を使ったり聞いたりしますが、当然それはここで言う本当の意味での驚きの事ではなく、その人の許容範囲での中の刺激です。
許容範囲の話というのは、許容範囲を越える越えないという、“程度の問題” ということです。
私が思うに、究極の、本当に人間が想像すら出来ない “見た事がないもの” など、おそらく人間自身が生み出す事なんて無理だからです。

私たちが「驚きが欲しい」「驚かせてくれ」と誰かに期待された場合、いくらそれが自分たちにとって刺激的という範囲でも、その期待を求めた人の許容範囲を越えてはいけないということです。

これは実は凄く当たり前の事で、例えば誕生日のサプライズなど、わざわざこんなこと考えてやっている訳ではなく、無意識にちゃんとその範囲でやっている話ですよね。

にも関わらず、仕事などで改まってこのような言葉が出て来ると「驚かさなきゃ」と頑張る方は “驚き” という言葉に引っ張られるのか、その加減を見誤ってしまうパターンが結構あるんですよね。

それは当然驚かせる相手によって変り、私たちの仕事で言うと、クライアントである発信者自身を驚かせるのか?そのお客さんである人たちなのか?それとも同業の仲間たちなのか?なんとか賞の審査員なのか?でだいぶ変ってしまいます。

知らず知らずに同業者を驚かす感じで突っ走ってしまい、末端のお客さんには、単に理解不能で落ち着かない、安心感のないものに成ってしまってたら、それは肝心な人たちにメッセージを届ける事の出来ない機能不全なものに成ってしまいますよね。

5月 12, 2012

誰が言っているのか?について


メッセージの発信者に付随するイメージの重要性について、ふと、思い付いたことがあるので書こうと思います。

私は子供の頃、大人になって働かなければならなくなるのを凄く嫌ってました。
理由は思い出せないのですが、確かにそう思ってたのです。

それを思い出したのは「仕事って何だろう?」という、なんとなく定期的に思う事を漠然と考えてた時でした。

誤解の無いように一応書いておきますが、現在は自分の選んだ(たまたま続けている?)職業には全く不満は持ってません。
仕事に関する話題はSNSなどでもよく目にします。業界内の事、やってる事が上手くいった話、悩みや不満。自己宣伝、そこから始まる他人との陣取り合戦みたいなやりとりまで。
ネットでも、そういう事を目にするのが増えたからなのか、「仕事って、いったい何だろう?」といった事をぼんやり考える機会も、確かに以前より増えています。
それでも、同じような事を考えていて、それまで全く思い出されなかった記憶が、それも理由も分からないただの感情に近い記憶が、突然、唐突に蘇った時は、かなりの衝撃でした。

私はすぐに、子供の頃そう思うに至った原因を考えてみました。

当然、仕事なんてした事もなく、どんなものかも分かってない子供が、そう思っていたという事は、たぶん誰か身近な大人が、私にその様な気持ちを抱かせるような事を言ったのだろう。というのが一番可能性としては高そうです。 そして、その人に対する信頼が高ければ高いほど(ここでは、単にその人が大人だったからと言うのが理由?)、その言葉から形づくられる印象も強くなったはずです。

つまりこの時、「仕事なんてつまらない」という情報に対し、発信者自体が大人である事が私にとって信頼性の裏づけとなり、心にそれを強く植え付けたと考えたのです。

何が言われているのか?は、当然大切なのですが、それがどの様な人によって言われたかという事も聞き手に対し、少なからず影響を及ぼすという事ですね。

ちなみに、「仕事なんてつまんないよ」という事を、実際には、一体誰が私に言ったのかは、未だ謎に包まれたままです。

4月 25, 2012

それは対立しているか?それは本当に理由なのか?


とにかく何でも良いから、たとえ勘違いされた結果でも良いから商品が売れれば良い。
仕事の依頼を受ける際、このような感じの話になる場面があります。もちろん全ての場合において、このように露骨に要求が口に出される訳ではなく「言っている事の意味合いからするとそうだ」となる場合の方が多いのですが。

”背に腹はかえられない”事や、食べるものも無いのに建前や奇麗事でしかないと捉えられがちな "考え方" や "ポリシー" について、どうのこうのなんて言ってられないという気持ちになるのは分らなくはありません。これまで全く売れず、このままでは大赤字になりそうな商品が、今なら、10%安くするだけで間違いなく売れると分っている状況であれば「自分たちは◯◯だから絶対に割引はしない」などとは言ってられないのが本音でしょう。実際にそのような都合の良いシチュエーションはなかなか無いにしても、追いつめられた売る方の心理としては、いつも、そう思ってしまうでしょうし。

でも、モノを売る事と、自分たちの "考え方" や "ポリシー" を貫く事って、本当に対立したものなのでしょうか?確かにアートとかロックバンドの世界とかでもよく聞きますよね。「あいつは商業主義だ」とか(笑)。「プライドで飯は食えん」とかっていう言葉も、何となくちょっと似ているかも知れません。
もちろんそれぞれの内容によるんでしょうけど、どうも "モノを売る” 事に対する "考え方" や "ポリシー" といったものの旗色は大方の場合悪そうです。

ちなみに、ここで言う "考え方" や "ポリシー" というのは、お金儲け以外(逆に利益を上げなければならないといった事は当たり前の話ですもんね)の、目標やあるべきと考えている姿の事ですので、前述したように建前や奇麗事と捉えられがちなのもしょうがないかもしれません。 企業の目的なんて、本来、売り上げや利益を上げる事にしか無いはずで、その利益を大きくする為にしている、あまり褒められない事や後ろめたい事を誤摩化す為、生活者を騙す為に綺麗なお題目を掲げているだけでしかない、という訳ですね。

この事は実際にはどうなのか?という事は、このテーマからずれるので、これ以上は書きませんが、ただのお題目にしないよう行動をしている企業はもちろん有るでしょう。 でも、もしどこかが開き直って「私たちは何でもいいから売れれば良いと思っています」というメッセージを発信していたら、そのような企業からは何も買いたくはならないですよね?当然です。ですから「これは便利ですよ」とか「お得ですよ」とか?別のアプローチでメッセージしているわけです。

ところが、これらは、今や数ある商品やサービスの洪水の中で、特に競合との差別化になる ”便利” や ”お得” ではなくなって来ている場合が多く、その状態が何を生むかというと、先ほどの例にも出した ”値下げ合戦” と「何でも良いから、とにかく目立とう」という様な、販促の方向性なんです。

それにも限界があります。極端な値下げに伴うコストダウンを行いながら、本当の意味でそれまでと同様の品質を保つという事は殆どの場合あり得ません。見えない部分で必ず何かを削っているはずですよね。
品質やサービスへの影響が出れば顧客はそれを絶対に見逃さないでしょう。そしてそれが気に入らなければ二度とその商品には戻ってこない可能性もありますよね。

この値下げ合戦に巻き込まれる状態というのも「とにかく今だけ」という考え方と同じ。それこそ ”今” 売れれば何でも良い訳です。

 ”今” 売れれば何でも良い、とにかく目立てば良いという、その場限りのメッセージは、その発信者とあまりリンクしないものになりがちです。それを見た方は、その瞬間は面白くてそれを憶えていたり友達と話題にするかもしれませんが、その情報なんて新しくなくなったり、飽きたりした時点で忘れてしまいます。その後、何かの拍子に思い出したとして企業名や商品名も一緒に思い出してもらえるものがどのくらいあるでしょうか。よほど大量にテレビコマーシャルなどで露出したものじゃないと思い出せないのではないでしょうか。

”今” が大事と言いますが、では、”今” ってなんでしょうか。過去から繋がって到達しているものですよね?未来も ”今” が積み重なって到達するところではないのでしょうか? ”今” だけという事でやった事は、そのまま次の ”今” にも影響する訳です。結局は、その ”今” が、ずっと連続して続くことで信用を失い、力を失い、魅力を失ってしまうのではないでしょうか? ”今” やらないからいつまでも、そういう ”今” が続くんじゃないでしょうか。

ちなみに私は "モノを売る” 事と企業の "考え方" や "ポリシー" といったものを伝えるブランディングの意識は対立するものとは考えてません。逆に背景に企業の "考え方" や "ポリシー" がちゃんと敷かれた上で、驚きのある、面白い、売れるプロモーションは成立すると考えています。
というか、そもそも毎回そのとき限りで、次も同じようにお金と労力をかけてやらなければならないのでは無駄も多いですし、何より資金が潤沢にある企業じゃないと出来ませんもんね。

さて話がちょっと飛びますが、こだわりのカフェや飲食店なんかは、どちらかというとその ”考え方やポリシー” で、その場限りじゃないその店のファンを惹き付けてますよね?その方式をとったところが悉く上手く行かずに潰れているのか?といったらそうではないです。

であれば、そのやり方で上手く行かず潰れてしまったのは、その ”考え方やポリシー” を貫くというやり方がまずかったんじゃなくて、何か他に原因がある可能性がありますよね。

プロモーションの話に戻すと例えば ”ブランドのあり方を背景にメッセージする” というやり方は間違っていなくて、単にその ”表現のされ方がまずかった” という事が原因である可能性もあるわけです。

4月 18, 2012

説明する。説得する。気持ちを伝える。


私たちの職業では、ビジュアルやコピーなどで表現したメッセージの意図や狙いを、発注者であるお客様に説明し、了解を得て、実際の制作物の制作に入ります。
ただし、全てにおいてそのプロセスが必要か?というと、比較的単純な戦略のものの中には説明しなくてもよいもの、つまり説明が無くても充分に理解を得る事が出来るのもある事はあります。私の元上司が「メッセージに触れるターゲットや生活者は何の補足説明も無くこれを見る事になるんだから、もし説明しなければ分らない様なものだったら、それはメッセージとして機能していないってことなんだよ」と言っていた事は良い助言として今でも常に思い出しながらやっています。
”分りやすさ” ”伝わる事” (つまり単純である事ではなく、発信者として意図した通りにメッセージを伝える事が出来ているという事)は、優先順位として当然、最上位に来るものですし。

しかし、少し複雑な仕組みの企画などでは、生活者がどこで最初にそのブランドに触れ、そこでどんなメッセージを受け取り、次のステージではどうなる事が想定され、最終的にどんなアクションを起こして欲しいと期待しているのか?といった ”ストーリー” と、その、それぞれの場面に対し、提案している表現がどうリンクし、どう機能する様に設計されたものなのかは、やはり説明しないと、なかなか理解してもらえないものですから、実際に提案の席でその表現案に関して説明せず黙って見せるだけというのは、なかなかありません。
提案している担当者の方に、実際の場所、実際の時系列での情報への接触を、そのまま体験してもらえる訳ではないですからね。想像による疑似体験を頭の中で行ってもらう為には、どうしても前提や狙いなどの説明をする必要が出てきますよね。

ところで、上記の様なものは、”説明する” のが正しいんでしょうか?それとも ”説得する” のが正しいんでしょうか?
”説得する” というのは、私は個人的にはあまり好きな言葉ではありません。それに人間には元々他人から ”説得” されて決断するというのを好まない傾向があるという事も聞きます。要はどんな場面であれ「自分で決定して行動したい」と感じているらしいのです。

じゃあ、やっぱり ”説明” なのでしょうか?
悪くはないのですが、 ”説明” だとなんとなくあっさりしすぎていて機械的すぎる感じがしてしまいます。

私はこのような場合、いつも ”伝える” ようにしようと心がけています。

これら ”説明する” ”説得する” ”伝える” は、それぞれ違うものなのですよね。 ”商品の良さを説明する” のと、”商品の良さを説得する” 、そして ”商品の良さを伝える” と例を挙げると更にわかりやすいと思います。

”説明する” ”説得する” は、一方的になりがちですが、”伝える” は、伝わった相手がいて成り立ちます。私たちは相手に対し、その良さを、意図を、そして熱意を伝えるというのが正しいんじゃないかと思うんですよね。

”伝える” のは、形式や型、テクニックではないと思っています。一番大切なのは、常に相手がいるという事を意識する事、そして次に熱意なのではないでしょうか。

4月 10, 2012

堂々巡りからの脱出


堂々巡りの議論になってしまう人、いますよね。ある本では、”型にはめる” という教育を受け、それが染み付いてしまった(本人は自分で考えているつもりでも実は違う)人に多く見られると言っているのですが、その本についてはまた別の機会に。
この ”型にはめて考え” てしまうというのは、目の前に有る問題を、既に自分の頭の引き出しの中にある ”型” のどれかに無理矢理はめて解決しようとする事で、つまり、当該の問題に適合した新しい ”型” を、元々引き出しにあった ”型” から考え出すといった応用力が無いという事かと思います。

じゃあ、応用を利かすには?
勿論 ”考える訓練” というのが必要だというのは、その通りだとは思いますが、同時にある前提を共有出来ているか?というのも大切になってくるのではないでしょうか。

それは、その議論を行う目的であり、その目的が設定された理由です。

具体的に説明するにあたって、まず、堂々巡りにはどんな種類のものがあるか考えてみました。

1. 自分たちでは直接解決出来ない問題が障壁になっていて、その周りをぐるぐるまわっているというもの。
2. いつの間にか ”目的に向かう”ことから反れ、そこに到達する為の ”やり方・進め方の善し悪し” あるいは ”その手法に対する、それぞれの好み” の話になってしまい、どこまで行っても折り合いがつかないといった様なもの。
3. そもそもゴールを明確に決めないまま(これはゴールが無いのではなくゴールを決めないという問題)、議論を進めてしまっている場合に、それぞれが好き勝手なゴールに向かって考えを進める為いつまでも纏まらないというようなタイプのもの。などなど。

これらは全て、ゴールの共有の問題ですよね。
ただ、1つ目の問題に関しては、それを共有する時に、”なぜそのゴールに向かわなければならないのか?” という部分まで一緒に共有出来ているか?というところが大切になってきます。

”自分たちで直接手が下せない問題が、そのプロジェクトの障壁になっている” 問題の場合、

A. その障壁を崩す為の間接的な手法を探す。
B. その目標自体をちょっとずらして、その障壁を回避して到達出来るものに変更する。
C. プロジェクトの遂行自体を諦める。

などが考えられると思うのですが、この様な選択肢の中でああでも無いこうでも無いとなっている事が多いのではないでしょうか。先ずは、その3つの選択肢の内のどれか1つに絞れるだけでも全然違いますよね。

そして、そこを判断するには、”なぜ、そのプロジェクトをやろうという事になったのか?” という理由が議論する全員に共有されている必要がある訳です。

明らかに、止めてしまっても何の問題もないプロジェクトだったら、さっさと止めるのが良いかもしれません。また、実はプロジェクトの細部にくっついてきている条件はあまり拘る必要のないものであり、その結果さえ達成出来れば問題無いという性質のものであれば、それらの邪魔な条件を取り払ってしまう事で全然見通しが変って来るかもしれません。
どうしてもその条件で目的を成功させなければならない種類のものでしたら、どうにかしてその障壁を取り除く方法を考える事にみんなで集中した方がいいですよね。

これらは、ゴールと同時に、何故そのゴールに向かっているのか?という理由を分かっている事で判断できるようになる部分ですもんね。

2つ目の ”ゴールを見失ってプロセスの部分で迷宮に入るパターン”  や、3つ目の ”そもそもゴールが明解になっていない” というのも、ゴールの共有と同時に、そのゴールに向かわなければならない理由も共有しなければ、結局1つ目と同じところに迷い込んでしまう可能性があります。

何故そのゴールに向かおうとしているのか?という理由も共有されてはじめて、”ゴールを明解にした” と言えるのかもしれませんね。

4月 08, 2012

人から見えない自分の ”普通”


私たちの仕事では、ブリーフといったものを使います。

それらにはプロジェクト・ブリーフやクリエイティブ・ブリーフといったものがあり、それぞれ若干内容は変りますが、要は広告などを作る際の要件、前提や条件、状況などを短くシンプルにまとめたものです。

クリエイティブ・ブリーフの内容は、”商品・サービス・企業などと、その競合との関係や状況” ”ターゲットに関する事" "最も強く伝えなければならないメッセージは何か" などで、自分では、わかっているつもりだったのに、考えに熱中している間に少しずつ目指していたはずのゴールから外れてしまったり、あるいは、一緒に仕事を進めるメンバーやお客さんとの間において、それらの前提を ”当たり前の事” としてしまったり、あるいは ”ちゃんと伝えたつもり” になってしまっていて、ちゃんと意思統一されておらず、気付いたら、それぞれが別なゴールを目指して進んでしまい、後から方向修正したり纏めたりするのが大変になってしまうのを避ける為のシートです。

でも、小さい事まで含めると、こういう勘違いって何気ない普段の会話にさえあることですよね。
実は前置き的なものがある話に、それを相手と共有しないまま話をしてしまっていると、暫く経ってから「あれ?そういう話?」ってなったり、「何で、その結論になるのか全然わからない」といった事になりがち。
そして、これは自分が普段まったく交流のない職種の人たちやグループと会話をしなければならない時に、更に際立って表れる現象かも知れません。ある業界や会社、グループにとっては当たり前、あるいは常識的な前提になっている事柄は意外に多く、そのグループ内では、いちいちその事を前置きしたり、確認したりする事なく会話をしてますので、普段そのグループにいない人が突然そこに入る事になると、その人には、そこで話されていることが、いったい何の事やらさっぱり分らず、適当に想像して聞いていると後で全く意味が違っていたことがわかったり。

広告やプロモーションにおいても、 B to B の製品やサービスを提供している企業は、そのターゲットを普段から付き合いのあるツーカーな間柄の業界に向けている事が多いので、知らず知らずの内に、ちょっと違う業界の人たちがたまたま目にしても、何を言っているのか全くわからないようなメッセージになってしまっていることも少なくありません。
しかし、恐ろしい事にそういうメッセージの仕方が ”当たり前” で ”常識” になってしまうと、いざ普段とは違うところにもアプローチしたいと思った時、そのことが特別な状況での常識だということに、なかなか気付けず失敗をしてしまう事も多いんですよね。

前半でも書きましたが、これは業界標準の話ではありません。ごく小さなグループや仲間の間においても、普通に起きている事です。
そして、これは言葉だけの話でもありません。実はビジュアルのコミュニケーションにおいても同じ事が言えるんですよね。

7月 13, 2011

表現はメッセージ

前回、発注者が自分のイメージの表現を実現するために、
"自分たちの制作物に馴れているクリエイターを使う"

ということだけで、その問題を解決しようとする場合、
結局あまり、うまくいかない事が多いということを書きました。

単純に表面上の表現のテイストだけ合わせるなら 

それこそ "馴れ" があれば、ある程度の "勘" を働かせて、
なんとか好みのものを作れるのかもしれません。

しかし、伝えるべきメッセージが見当違いの方向を向いていたら?

その場合、いくら表現のテイストが好みに合っていようと、

"ちょっと違う" "ピンと来ない" ものになるのは当然ですよね。

これは、よくあることなんですが最終的な表現部分の話と、根本的な伝えるべき
メッセージの話がごっちゃになってボンヤリと語られている状態なんです。

”誰に対して、どの部分を売りにしたいのか?" "結果としては何を得たいのか?" 

という部分は、製品やサービスによって同じではない事の方が圧倒的に多いわけで、
その "メッセージの前提" の説明が何も無く、想像でものを作るというのは、
どんなに優秀な、あるいはそのクライアントに馴れているクリエーターであっても、
ほぼ賭けのような状態で作っているというのが実情であり、たとえお客さまから
「さすが、わかってますねぇ」などと褒められたとしても、

それは単に賭けに勝った
という話でしかないですからね。

もし、時間が本当にない仕事なら、最初の打ち合わせに少し時間が多めにかかっても、
決して曖昧にせず、ハッキリとクリアにしておくことが、結果的に時間も労力も
節約出来、お客様の "イメージ" どうりのものを作ることを可能にするのです。

私たちがやっているのはビジネスであってゲーム(賭け)ではないのですから。


7月 07, 2011

伝えるために相手の価値観を理解し前提にする

価値観は人それぞれ違います。
判断基準も同様ですね。

判断基準に関しては、なにかしらを明確に示す事で
相互の認識をある位置まですり合わせる事が可能です。

ですが、価値観となるとそうはいきませんよね?自分の価値観を
相手にしゃにむに押し付けるなんて出来っこありません。

ビジネス上ではなおさらです。

デザインやコピーなどを媒介した、コミュニケーションアイデアの表現を
職業としているからか、時折見失ってる様に思える方も見受けられるのですが、
私たちの活動はあくまでビジネスです。

自分たちの価値観でもっていくら相手に説明したところで、相手が同じレベルで
それを共有あるいは理解していないかぎり、その力説は伝わりませんよね。

ビジネスなんですから、説得しようとか納得してもらおうと思ったら、
最初から相手にこちらの価値観を共有してもらうという努力を強いるのは、
基本的にあり得ません。

相手の価値観を前提にした上で自分たちのアイデアを魅力的に語れないといけません。

これは、私たち制作者がお客様に対して何かを提案する際のことを例に
書いてますが、私たちのお客様が、その顧客あるいはターゲットに対し
メッセージを発信する際も同じです。

相手の価値観を掴むという作業が、以前のエントリーで書いた、
相手の "城壁の中に入り込み、共通言語を話せるようになる" ということなんですね。


7月 05, 2011

ガイドラインとは何か?

ガイドラインは単なる守らなければならない 
"規則" として認識している人が多いと思います。

ですが片や、そのガイドラインが弊害を生んでいる
ということも事実としてあると思ってます。
つまり、

ガイドラインがあることで「これを守ればいいんでしょ?」と、
すごく短絡的に捉えられてしまい

非常にマニュアル的になり、無機的で
訴えるものの少ないメッセージになってしまう

こと
があるのです。また、実はこれも同じ様なことから発生するのですが、
「こんなガチガチのガイドラインに従っていたらまともなメッセージが
発信出来る訳が無い」と、

それらを無視し
それぞれの解釈で勝手に発信しだす

パターンもあります。
これらは両方とも

ブランド・アイデンティティの理解と、そこから発生した
 VI などイメージ戦略の意図の解釈が、ちゃんとされていない

ことから来ているんですね。


逆に言うと、ブランド・アイデンティティを、きちんと理解していれば、
わざわざ、そこから外れて発信しようとなんかしないはずですし。
ガイドラインは本来の役目である意図をヴィジュアルに変換する時の
ガイドとしてあるわけです。

利用する方はただガイドラインの上っ面だけをマニュアル的に暗記する
のではなく、

その大元のブランド・アイデンティティの徹底した理解が必要

であり、
また、

ガイドラインを作る方も、それが十分に機能する様、そして、
その意図が利用者に伝わるように制作する必要がある

というわけですね。




6月 17, 2011

城壁の中へ入るべきもう一つの理由

本当に未だこんな考え方をしてる人がいるなんて、
私にはあまりピンとこないのですが、
日本のモノづくりのマーケティング軽視を憂慮する方の発言には、
「日本の”モノづくり”の世界には、未だにそういう思考が
根深く残っていて、多くの経営者がそこから脱しきれてない」
というような事を言っているものが、ちょくちょくありますよね。

要は「(品質の)良いものだからといって、売れるとは限らない」

という、なんというか当たり前にも感じる事なのですが。。


そのことと同じかどうか分りませんが、私は、彼らが技術を優先して

デザインを軽視している様な向きは感じる事があります。
というか、モノづくりに限らずですけどね。

技術やテクニックの向上に関しては一生懸命やるのですが、

それによって表現されるもの、独自性ということになると
イマイチなものが多いのかなぁと。

いろんな例で中国のものをパクリだなんだと言うのをよく聞きますが、

日本もなんか、あんまり変わんないのかなと(笑)
まぁ、今でこそ少し違うのかもしれませんが、ベースには似た様な考え方があって、
「似た様なものでも、自分たちの方が上手く作れるんだから誇って何が悪い!」的な?
そこから、オリジナル軽視の部分だけが残ってしまっている様な?
そんな感じがしちゃうときもあります。

独自性が軽視されれば差別化も薄まりますよね?
その際は、当然デザインも犠牲となります。

そして、デザインが、ものを選ぶ際の基準の一つに入ってきている今、

「デザイン軽視は間違いなく、マーケティング軽視ではあるよな」
「あ〜、対象の居る城壁の中へ入る事をせずにやっちゃってるなぁ」と、
そんな事を思います。

良いもの”は、対象である顧客の判断が基準になるんですからね。


6月 15, 2011

対象(ターゲット)の住む世界を感じる

これまで私が、”対象(ターゲット)を理解する“から始まる
いくつかのエントリーで書いてきた”城壁のなかに入り、
中に住む人たちの世界(空気感や生活、日常など)を掴み、
共通言語で会話が出来る様にすることが大事だ”ということに
共通するエピソードを、
先日、知人のアートディレクターから聞きました。

『今までで一番やさしい経済の教科書(ダイヤモンド社)』や
『学校で教えてくれない「分りやすい説明」のルール(光分社新書)』などの
著者、木暮太一さんは、

学生向けの本を執筆する際には学食に、
主婦向けの本を書く際にはスーパーに、
サラリーマン向けの本を書く際にはマクドナルド(笑)に、
なんと、まる一日中張り込んだとか。

もちろん一日だけの話ではなく数日通ったのだと思います。
いや徹底してるというか、ほんと凄いと思います。

それも全て対象のことを出来るだけ理解し、
相手に伝わる本を執筆するためなんですよね。


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※上記の内容が掲載されている御崎栄一郎さんのポットキャストのリンクです。
他にも面白い話がたくさん掲載されていますのでぜひこちらも覗いてみてください。

6月 13, 2011

穴の開いた壁から見える場所にいるのは自分たちだけ?


メッセージの発信者が受信者(中に住む人たち)に、
売ろうとしている商品を使う生活が
素敵なことだということを納得させ(周りを囲む城壁を崩させ)、
自分たちの商品が魅力的に見える(自分たちの意図する)場所へ
受信者を連れ出せたとして、その場所で受信者が見るものは、
誘導してきた発信者の商品やサービスだけとは限りません。

商品やサービスがそれほど差別化されてない場合、
自分たちの商品が魅力的に見える、その同じ場所が、ライバルにとっても
同様に商品を引き立ててくれる場所であるのは想像するに難しくありませんよね。
ライバルも当然、お隣でお店を開くというわけです。

さあ、どうします?
ライバルのものより価格をさげますか?
品揃えを増やす?

でも、どれもライバルに真似できることですね。

なので、はじめから商品やサービス自体にオリジナリティ、
つまりライバルの物と差別化されていることが必要なんです。

そのオリジナリティを引き立てる、ごく限られた場所へ、
対象である受信者(顧客/ターゲット)を連れ出せば、自ずとライバルは
入ってこれない、入ってきたとしても不利な戦いを強いられるというわけです。

とは言っても、現実には

「そんなことは分ってるけど、実際、自分たちの商品やサービスは、
他のどこでも作っているようなものだし・・・」

という様な声も、ちょくちょく聞かれます。

でも、だからといって本質的な差別化を諦めるのは早すぎます。
どんなに平凡で、多くの類似品があったとしても、
最低限その提供者の製品は、その提供者からしか出されていないわけですよね?

提供者であるメーカーの成り立ちや歴史、あるいは理念・イデオロギー、
そして前々回触れた、そこで働く人たちの意識や物の見方の傾向から作られている
企業の空気や文化のなかには、ライバルの物と差別化するための第一歩となる
素材が隠されているのではないでしょうか。

つまり、差別化のポイントが、自分たち自身への客観視を失う事によって
ただ見逃されているだけだという可能性もありますよね。

6月 12, 2011

発信者と制作者で対象の研究の仕方は違う?

では、私たち制作者の立場から、
メッセージの発信者(メーカー)にとっての対象である
受信者(顧客/ターゲット)を理解しようとする
場合はどうでしょう?前回書いた、私たちが発信者を理解する
場合と、あるいは発信者がその受信者を理解しようとする場合と
何か違いがあるのでしょうか?

制作者は、あくまでもメッセージの受信者、つまり顧客/ターゲットの立場から、
客観的な考察と助言を発信者に対してするべきであるという考え方があります。
このことは会議中などに「それはメッセージを発信する側の都合であって、
受け取る側には何の価値も無い情報だ」という様な言葉で現れたりしますよね。

その中には、もちろん本当に蛇足だったり無価値だったりする場合もあります。
また一方で、受信者が現在はその価値に、ただ気付いていないだけ、そして
発信者もそこまで重要な情報であるとは気づいてないという場合もあるんですよね。
その場合は、発信者にも受信者にもその正しい価値に気付いてもらうことで
新しい市場を作り出せる可能性もあるということですよね。

要は、受信者の立場だけに立って考えるのではなく、発信者も含め、
両者をしっかり理解していないと、そんなチャンスも見逃してしまう可能性が
あるというわけです。

それは分ったけど、制作者と発信者では、まったく同じように受信者の研究を
してるってこと?ってなりますが、肝心なこれを忘れてはいけません。

私たち制作者は、メッセージの受信者も発信者のことも、
それらを包む ”空気” を含めてしっかりと掴み理解するようにしながら業務を進行する
必要はありますが、それは完全にその立場の思考をするという事ではありませんよね。
前にも "それは提案の際に共通言語を話すため" だと書きました。

そうです、私たちが発信者と違うところは、本人で無い故に、
発信者を客観的に見る事が出来るというところです。

出来る限り対象を理解した上で客観的にそれらを眺める。

発信者自身より私たちは当然それをしやすいはずですもんね。

そして "受信者(顧客/ターゲット)の研究" においても、
その目線を持っていることが "発信者の都合" と "見えていない価値" を
見分けさせてくれるはずだと思うのです。


6月 11, 2011

対象(ターゲット)の何を理解するのか?


何回かに分け ”ターゲットの理解” ということについて書きました。
「そんなことわかってるし、言われる前から努力してるよ!
それが、言うほど簡単に出来ないから大変なんだ!」
という声が聞こえてきそうですけど。


確かに、そんな簡単な事じゃないですよね、

ところで、私たち制作者にとっての対象の片方である、
メーカー企業を知ろうとする場合ですが、まずインターネットなどで
基本的な会社概要や提供しているサービス等を調べるところから入り、

一通り下調べをした上で、実際にその企業の中の人に、
どこに向かおうとしているか?どういう課題に向き合っているのか?
何が足りないと思っているのか?短期、長期の目標はなにか?などを
質問したりするという感じでしょうか。

これはこれで大切な情報ですが、まだ、知りたい事には辿り着けていません。
それに、これだって、もしかしたら、型通りの表向きの話を聞かされているだけかも
しれませんし(笑)

そこで、何かもっと情報が出てこないか、更に根掘り葉掘り聞く事になります。

もしかしたら、それで「あ、そうそう、今、こういう事が出来ないかなって考えてて」
なんて話も出てくるかも知れません。
それはそれでチャンスには違いないし良いことなのですが、
私が書いてきた ”理解” のための情報とは違うものです。
実際欲しいのは、その企業の価値観や物の見方なのです。

中で働く人たちそれぞれが、どんな世界観の中で暮らしているのか?
自分の会社を、自分の仕事をどう見ているのか?どう感じているのか?
というものから 影響して型造られている、その企業の空気なのです。

人それぞれ違うとはいえ、同じ文化のなかで長い時間一緒に仕事をしている集団として、
従業員の価値観や物の見方には、なんなりかの共通項や似たような傾向を示す部分が
あると思います。そして、その共通項や傾向が、企業の特に理念などとして、
明文化されていない習慣や文化みたいな部分に、大きく影響しているはずだと
思うのです。

ではなぜ、このような情報が必要なのか?というと、
彼らと同じ共通言語で会話をしたり、提案をするためです。
そうです。共通言語というのは社内用語や専門用語のことではありません。

彼らが「今っぽい」と言ったとき、どんなものを指しているのか?

「かっこいいもの!」と言ったときどういうものを指しているのか?
「若者っぽい」と言ったときどんなものを指しているのか?
をちゃんと理解する必要がある

ということなんです。

対象の考えている事や欲しいものがちゃんと理解出来て初めて
「それだったら、こっちの方が」というお勧めや、
きめの細かい提案が出来るのではないか、

と

ここまできて初めて、提案者の知識やセンスがものをいうのでは

と私は思うんですよね。

どんなに素敵でセンスがよく、クールで素晴らしいアイデアだと
制作者自身が思っていても、受け手がまったく理解出来ない別世界の話だったら、
それは当然なんの意味もないことになっちゃいますもんね、伝わらないんですから。

発信者であるメーカー企業が、その対象である受信者(顧客/ターゲット)を理解する
ということも結局はそういう対象を包む空気を掴むことですよね。

6月 09, 2011

メッセージの背景を選ぶ


さて、これまで例えに使ってきた城壁ですが、 その中に入り、
中の人と同じ言語が使えるようになったら、 次は中の人と一緒に
壁を崩す作業に入ります。

その際、壁が崩れた時に、そこに見える風景は、 発信者が
その対象に見せたいと思っている 風景じゃなければなりません。

壁が崩れた時に、そこに見える風景って? 
仮にメッセージの発信者がマリンスポーツ用品のメーカーだとします。
徹底的なプロ仕様というよりは、リゾート向けの カジュアルな商品ラインアップに
なってます。

城壁の周りには様々な環境があり、状況が起こっています。 もちろん、
発信者は自社のマリンスポーツ用品を買って欲しいわけですが、 北側は吹雪の山、
東は都会、南と西は海になっていて、南は遠浅の白い砂浜が続くビーチ、
西は少し波が高く、ちょっと沖に出ると
絶好のダイビングスポットもあるような場所です。

発信者が「◯◯社のマリンスポーツ用品で夏を遊び尽くそう!」
というメッセージを
対象に届けたい場合、どの方角の壁を崩すのが良いかは一目瞭然ですよね。
発信者は南側の壁を崩してもらわないといけません。 
なぜなら、受信者である対象に商品の利点や必要性を感じてもらう、あるいは納得して
もらうのに偉く遠回りをさせる事になるか、もしくはそこに辿り着いてもらえない
可能性さえあるからです。

そして、城壁の中に住む人たちと一緒になって壁を崩すというのは、外から勝手に
「こっちに素晴らしい風景が有るんだから黙ってここ開けてみてみ!」と攻撃同等の
手段で壁を壊すのではなく、その人たちが

見た事もなかった風景を、如何に魅力的に説明し
「自分たちにもあったら絶対楽しい!絶対必要!」という気持ちにさせることで、
あたかも自らの意思でそこに出て来る様にする

という意味です。なんとなく理解していただけましたかね?
 ターゲットの気持ちを動かすとでも言うんでしょうか?大筋はこういうことですね。



6月 08, 2011

対象(ターゲット)の理解3

前回、前々回、
「対象である受信者(顧客/ターゲット)へメッセージを伝えるためには?」
ということと、それに付随して欠かせない「対象を理解する」ということについて、
城壁の例えを使って書いてきました。

今、書いてきたものを改めて見ると、ちょっと補足したほうがいいかなぁと
思うところもあり、少しだけ追記しようと思います。

城壁の例えを思い浮かべる際、私たち(広告制作者)にとっての対象の一つである
発信者(メーカー)との関係の場合は、とくに問題ないと思いますが、
発信者にとっての対象=顧客/ターゲットの場合では、それは
発信者が新規で獲得を狙っている顧客/ターゲットと考える方が
しっくりくるかもしれません。

既存の顧客が対象になる場合、すでに発信者は受信者と共通の言語で話していたり、
彼らの住む城壁の内側に入り込んでいると考えられる場合が多いでしょうからね。

じゃあ、既存顧客の場合は違うのか?というと、実は、そんなことはないのです。

発信者は城壁の中で、受信者と共通の言語を話せているから安泰かというと、
決してそんなことはなく、発信者にとっての競合が、その城壁内に無理矢理、
あるいはこっそり門を開けてもらい、中に入り込もうとしているはずですし。

そして、それぞれ自分たちに都合の良い方角の城壁を壊させようと虎視眈々と
策略を練っているわけですもんね。

ですから、既存の顧客が対象の時は、その対象が自分たちに飽きてしまったり、
刺激を感じななったりしない様、

いつも目新しさ、斬新さを持たせた上で、
信頼感を積み上げていかなくてはなりませんよね。

また、どんなに城壁の中で一緒に暮らしていても、しょせんはよそ者です。
その街の流行やムード、世代の交代、年齢構成の変化など、常に意識し
気をつけていないと、あっと言う間に城壁の外にいる人と同じ知識や感覚になって
しまう事になります。つまり、

一度中に入れてもらえたからといって永住権を得れたわけではなく、
気がつくといつの間にか、また、城壁の外にいることの方が多い

のです。

そういう意味では新規獲得で顧客/ターゲットを得ようとする場合と、
やることはあまり変わらないですよね。

次回は、城壁の壊すべき場所、壊して欲しい場所とは?について
書こうかなあと考えてます。


6月 07, 2011

対象(ターゲット)の理解2

ということで、気が変わる前にさっさと次を書いてしまいます(笑)
基本的に私たち(広告制作者)は、当然ながら発信者の側に 属します。
ですが、たとえ発信者(メーカー)と 同じ環境に身を置き、
同じ空気を体感しているはずの、 ハウス・エージェンシーの
クリエイターでさえ、 親会社の人たちとの間には、業種や職種の違い
からくる、 認識や感覚、考え方のずれがあるはずです。

ましてや、外部の広告会社や制作会社に属するのであれば尚更 ”まったく同じ” とは
、
なりませんよね。 つまり、私たちが理解しなければいけない対象というのは、
二種類存在することになります。

メッセージの受信者である、発信者(メーカー)にとっての顧客/ターゲットと、

メッセージの発信者自体です。前回、私は、

「まず最初に発信者は、受信者(顧客/ターゲット)の住む
城壁で囲まれた街に入り込み、その生活や慣習、文化、空気などに触れ、
受信者と共通言語(受信者に理解出来る言葉)で話す(説得・説明する)ことが
出来るようにならないといけない。」

そして

「その上で受信者に発信者の意図する場所へ出てきてもらい、発信者の意図する
風景を見てもらうため、壁の決まった特定の部分を崩さなければならず、それは
受信者と一緒に壊さなければならない。」

ということを書きました。 ちょっと複雑になるのですが、前回にならい今回のものを
説明すると、私たちは発信者に 「受信者の住む城壁で囲まれた街に入り込み、
その生活や慣習、文化、空気などに触れ、 受信者と共通言語で話すことが出来るように
ならないといけない。」ということを理解してもらい、

実際に城壁の中へ導き入れる。

更には発信者が「受信者に自分たちの意図する場所へ出てきてもらい、
意図する風景を見てもらう」ため

「崩さなければならないところへ導く」お手伝いをする。

そして発信者が「受信者と一緒になって壁を壊す」ことが出来るように、

受信者にとっても、そこを壊すこと自体が ”魅力的なものに出会うため” と
思える説得を、 発信者と一緒になってやっていく役割を担っている。

ということでしょうかね。 もちろん、これはフルコースの話であり、外部から、
なんのかんの言われるまでもなく、 発信者自身で、ある程度の事をやっている
ところも多くあります。 その場合、当然、私たちが改めて一から全てをやり直す
必要はありません。

ですが私たちは、この事を知っていて初めて発信者が見落としているものや、
手が回らず後回しになっている部分に気付くことが出来るわけですし、更には、
そこを補い、一つの大きな戦略を完成させることができるのではないでしょうか。

さて、発信者に対し、上記の様なお手伝いをしていくためには、 私たちがまず初めに
しなければならないことは何でしょう? そうです、発信者がメッセージの対象である
受信者を理解しなければならないのと同様に、私たちは、発信者も理解しなければ
ならないのです。

発信者の住む城壁の中に入り、そのビジネス、文化、空気に触れ、
発信者が理解出来る言葉で話せるようにならなければならない

ってことですね。

ということで私も、もっともっと発信者であるお客様を理解し、
その顧客/ターゲットが、自ら壁を壊し、ぞろぞろ外にでてくるのが目に見えるような、
わくわくする提案(お客様が理解出来る言葉で説明できている提案)を
していかなくては!と、改めてがんばらなくてはと思っている次第です(笑)