5月 12, 2012

誰が言っているのか?について


メッセージの発信者に付随するイメージの重要性について、ふと、思い付いたことがあるので書こうと思います。

私は子供の頃、大人になって働かなければならなくなるのを凄く嫌ってました。
理由は思い出せないのですが、確かにそう思ってたのです。

それを思い出したのは「仕事って何だろう?」という、なんとなく定期的に思う事を漠然と考えてた時でした。

誤解の無いように一応書いておきますが、現在は自分の選んだ(たまたま続けている?)職業には全く不満は持ってません。
仕事に関する話題はSNSなどでもよく目にします。業界内の事、やってる事が上手くいった話、悩みや不満。自己宣伝、そこから始まる他人との陣取り合戦みたいなやりとりまで。
ネットでも、そういう事を目にするのが増えたからなのか、「仕事って、いったい何だろう?」といった事をぼんやり考える機会も、確かに以前より増えています。
それでも、同じような事を考えていて、それまで全く思い出されなかった記憶が、それも理由も分からないただの感情に近い記憶が、突然、唐突に蘇った時は、かなりの衝撃でした。

私はすぐに、子供の頃そう思うに至った原因を考えてみました。

当然、仕事なんてした事もなく、どんなものかも分かってない子供が、そう思っていたという事は、たぶん誰か身近な大人が、私にその様な気持ちを抱かせるような事を言ったのだろう。というのが一番可能性としては高そうです。 そして、その人に対する信頼が高ければ高いほど(ここでは、単にその人が大人だったからと言うのが理由?)、その言葉から形づくられる印象も強くなったはずです。

つまりこの時、「仕事なんてつまらない」という情報に対し、発信者自体が大人である事が私にとって信頼性の裏づけとなり、心にそれを強く植え付けたと考えたのです。

何が言われているのか?は、当然大切なのですが、それがどの様な人によって言われたかという事も聞き手に対し、少なからず影響を及ぼすという事ですね。

ちなみに、「仕事なんてつまんないよ」という事を、実際には、一体誰が私に言ったのかは、未だ謎に包まれたままです。

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