5月 08, 2012
成功事例に持論を当て嵌める
かなり無理のある事例の引用を見る事があります。
みんな必死な感じがしちゃいます、持論を裏付ける事例探し。
必死すぎて明らかに「その成功って、それが理由じゃないだろ。。」というものを強引に持論の裏付けとして落とし込むもんだから、その成功を別な理由と信じ持論を補強する事例として使用したい別な立場の人との間に醜い争いが起こることもしばしば。
前にもたびたび書いてますが、結果は一つの要因から導かれたものではなくいくつもの要素が組み合わさって生まれたものだと思いますので、「俺の言っている方が正しい理由で、お前のは勘違いだ!」とか「俺の方のが正しい理由だ。お前のはこじつけだ!」などと争う事自体がどうかと思います。そんなにその成功例を独り占めしたいんでしょうか(笑)。そもそも他人の成功事例なんだから独り占めも何もないと思うのですが。
確かに裏付けとして、何かに付けて事例を要求される事も少なくありません。もちろん自分も適切なものを用意するようにしますが、「それって本質的に考える事を放棄させている様なもんだよな」と感じてしまう場合もあります。
事例はあくまで事例であって、その会社が事例にある業界や会社にいくら似ていようと完全に同じであるはずはないですし、である以上やはりあくまで参考にしかならず、それによって成功率が上がる訳でもないのですしね。それを出す事によって、こちらが提案しているものの本質や可能性を徹底的に検証する事を止めてしまい、事例ばかりを一生懸命検証してしまっているような気がするのです。
逆に言うと事例さえ有れば、人はその論説や提案をあまり検証する事無くなんとなく信じてしまうということなんでしょうかね?それなら事例の奪い合いが起きるのもしょうがないという事になりますね(苦笑)。
登録:
コメントの投稿 (Atom)
0 件のコメント:
コメントを投稿