5月 16, 2012

デザインという言葉について



デザイン経営(思考)については、既に多くの本で見られるようになりましたが、まだ一般的に理解されるのは遠い先なんだろうなぁと思っています。

ただ、最近洋書の翻訳本を読んでいてよく感じるのは、そこに出てくる障害の例が、そのまま自分が直面した経験のあるものが多いという事です。
そういう意味では、日本の社会や日本人が特に意識が低かったり遅れているというケースは意外と少なく(もちろん無いわけではないですが)、海外においても似たような問題で躓いているんだなと認識を改め直したりもしています。
そもそも、そのような事を説く本が出版されているくらいですもんね。

さて日本においてですが、事例としてよく出てくるサムソンやアップルの話などは、特別な1成功事例としてだけ見られるケースが多いのではと想像します。

確かに事例は ”個別のケース” である。という側面がありますし、中小の企業ですと特に、その規模を、業態を、または海外の事例だという事を理由に「自分たちとは関係無い(違う)」という一 言で片付けてしまいがちなのではないでしょうか。

普段は事例事例とやたらデータを欲しがるのに、そういう時には一歩引いた “感じ” の反応をしているように見えます。

このデザイン思考という考え方は、規模や業態・地域などはあまり関係無いものであり、上記の理由での捉え方は間違っていると思っています。
それこそ内容の検証からではなく、出てくる事例で判断しているという事ではないでしょうか。

どうしたら出来るだけ多くの企業に、デザイン思考のような考え方を取り入れ活かしてもらう事が出来るのでしょう。
もしかしてデザイン経営やデザイン思考などというように名前に ”デザイン“ なんてついているからでしょうかね?

私にとっては、デザインと付くのが一番単純で分かりやすいと思うのですが、それは私がデザインそのものに慣れ親しみ、長期間の制作の体験を通じて、一定の理解を持っているからなのでしょう。
そうではない人が、いきなりこの言葉を聞いてもちんぷんかんぷんでしょうし、人によっては内容の説明をされる前に、訳の分らない自分に関係の無いものとして頭の中でカテゴリー分けされてしまってる可能性もありますよね。

そもそもデザインが、一般的な経営やマネジメントの対局にある、とまではいかないかもしれませんが、かなり遠い位置にあるものだという観念が既にあり、その事が意識的・無意識的に関わりなく、この考え方を最初から検討の対象から除外してしまっているのかもしれません。

そして、デザインに対してそのようなイメージを付けてしまった要因の一つに、自分たちデザイナー自身がそう見えるように振る舞ってきてしまった。という事もあるのかもしれないと考えたりします。

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