6月 12, 2011

発信者と制作者で対象の研究の仕方は違う?

では、私たち制作者の立場から、
メッセージの発信者(メーカー)にとっての対象である
受信者(顧客/ターゲット)を理解しようとする
場合はどうでしょう?前回書いた、私たちが発信者を理解する
場合と、あるいは発信者がその受信者を理解しようとする場合と
何か違いがあるのでしょうか?

制作者は、あくまでもメッセージの受信者、つまり顧客/ターゲットの立場から、
客観的な考察と助言を発信者に対してするべきであるという考え方があります。
このことは会議中などに「それはメッセージを発信する側の都合であって、
受け取る側には何の価値も無い情報だ」という様な言葉で現れたりしますよね。

その中には、もちろん本当に蛇足だったり無価値だったりする場合もあります。
また一方で、受信者が現在はその価値に、ただ気付いていないだけ、そして
発信者もそこまで重要な情報であるとは気づいてないという場合もあるんですよね。
その場合は、発信者にも受信者にもその正しい価値に気付いてもらうことで
新しい市場を作り出せる可能性もあるということですよね。

要は、受信者の立場だけに立って考えるのではなく、発信者も含め、
両者をしっかり理解していないと、そんなチャンスも見逃してしまう可能性が
あるというわけです。

それは分ったけど、制作者と発信者では、まったく同じように受信者の研究を
してるってこと?ってなりますが、肝心なこれを忘れてはいけません。

私たち制作者は、メッセージの受信者も発信者のことも、
それらを包む ”空気” を含めてしっかりと掴み理解するようにしながら業務を進行する
必要はありますが、それは完全にその立場の思考をするという事ではありませんよね。
前にも "それは提案の際に共通言語を話すため" だと書きました。

そうです、私たちが発信者と違うところは、本人で無い故に、
発信者を客観的に見る事が出来るというところです。

出来る限り対象を理解した上で客観的にそれらを眺める。

発信者自身より私たちは当然それをしやすいはずですもんね。

そして "受信者(顧客/ターゲット)の研究" においても、
その目線を持っていることが "発信者の都合" と "見えていない価値" を
見分けさせてくれるはずだと思うのです。


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