ところで、
自分を客観視する
必要がある時ってどんな時なんでしょう?
自分の意向と周りの受け取り方のギャップを
出来るだけ少なくし、コミュニケーションのロスを減らしたい
そんな時に、自分が周りからどう見られているか?
自分の見た目が、言葉が、行動が、周りにどう受け取られているかを
知ることで改善しようとしますかね。
つまり、徹底的に相手のことを理解する努力をし、慎重にその思考を
想像して自己を眺めるか、あるいは直接その相手から自分が
どう思われているかを探り出すしかありませんよね。
したがって "自分を客観視する" というのは、ただひたすら自分を研究することではなく、
自分の外の基準によって自分を評価する
ということなんですね。
ですが、最近一つ気になっていることがあります。
時に自分を客観視することが行き過ぎ、
他己評価ばかり気にし、そもそもの "自分の意向" "自分の意思" が無くなってしまう
パターンです。
前回、第三者に映っている "あなた" こそ、本当の "あなた" ?でも
触れましたが、第三者、つまり相対する誰かというのは、主体に対して
相対的に存在するものでしかありません。
そこに自分がいなければ相手もいないのです。詳しく言うと、そこに
自分の意思がなければ、相手の評価もそれが "自分にとって" 良いのか悪いのかの
判断はできない。ということですよね?
相手の好みは大切かもしれませんが、いくら相手の好みに合わせて表面だけ飾っても、
中身がそれとリンクしていなければ相手も「単に上辺だけ」ととってしまいますしね。
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