前回"クリエイティブ"っていう言葉に関して 私の思っていることを書いたんですが、
"創造"という意味での"クリエイティビティ"は 職種に関係無く、
すべての人が持っているものだし、それは色々な場面で発揮するべきものですよね?
それは皆さんも同じように思ってることだと思います。
ですが、誰が使い始めたのやら、"クリエイティブ"という言葉には、
広告制作に関する、その制作部門や表現のことを指す意味もあります。
そのせいか「誰もがクリエイティブ!」ってことを、
「デザインやコピーなんて誰にでもできる」みたいに思っちゃってる人も
いるのかなぁ?って感じなんですよね・・・。
もちろん作るのは構わないし、表現に関するアイデアだって、
どんどん出してもらってOKです。
当然、それが良ければ採用されるべきですし。
ただ、それを採用するのか却下するのか?は、ディレクターが決めることです。
それは好き嫌いや、個人の勝手な思い込みで決めるわけにいきません。
ましてやプロが作ったのか素人が作ったのかで 判断しているわけでもありません。
表現っていうのは、単なるヴィジュアルのアイデアやデザイン、奇麗な、あるいは
気の利いた言葉を作ることを指すわけじゃなく、細部のディテールや質感、色、
配置された要素のバランス、ちょっとしたニュアンスの全体への影響など、それらが、
伝えたいと考えている"メッセージ"を、どのようにコミュニケーションするのか?
と、いうことを計算しながら作っているわけです。
「そんな細かい部分なんて、見る人には関係無いよ」
「そんなの誰もわからない、制作者の自己満足」なんて言う人もいます。
しかし、即効性のあるタイプ後からじんわり伝わるタイプと、
種類はいろいろあるにしても、その考え方の基本は、
正しく計算された表現は、正しく受け手に伝わる
というところにあります。だからこそ私たち制作者は、受け手に正しく伝わるよう、
いつも研究・努力しているわけです。
誰よりも多く、そのことに時間を費やして過ごしているんです。
ま、そういうわけで、その最終的な判断に責任をもつディレクターが、
デザイナーやコピーライターなど制作者出身者が多いんですね。
コミュニケーションの"専門家"として判断に関わっている
ってわけです。
それは古くさい縦割りの体制なんかではないし、別に誰かのクリエイティビティ、
つまりは創造性や、 発言の自由を妨害しているわけでもありません。
そして部外者に対して排他的に接しているわけでもないんです。
それから得られるであろう効果を 最大限コントロールすべく、
できる限り適切な表現を作り出す
ということを、しようとしているだけの話なんですね。
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