「すでに多くの人が、ある特定の意味で使っている言葉を、
へそ曲がりみたいにグチグチ言ってもしょうがない」
というのはわかってるんですが、
そこに自分の"もの"の見方って出るもんですよね。
で、何についてかというと、
"クリエイティブ"
私が会社で所属しているのも"クリエイティブ"部ですし、
肩書き自体も"クリエイティブ"・ディレクター。これは制作部、そして制作の監督の意味。
あと"表現されたもの"、いわゆるデザインやコピーなどのことも指して使われてます。
でも、"クリエイティブ"の本来の意味って"創造"ですよね?
そういう意味では、デザインやコピーライティングだけじゃなく、
例えば企画だって"創造"力は必要だし、いわゆる
"アイデア"を必要とするものは、すべて "クリエイティブ"なものでは?
って思うんですけどね。 で、考えたんですけど、
「表現には、ジャンプが必要!」
っていう、まあ、よく言われる言葉があるんですが、その
"ジャンプ"のイメージから、 "表現"を"クリエイティブ"って言うようになったのか?
と思ったり。 ジャンプって言うのは・・・
まぁ、簡単に言っちゃうと、"月並みで普通なもので終わらすのではなく、
いわゆる、ひねりの効いた面白いものにする"ってこと。
でも、この"ジャンプ"、私の考えているものと周りで話されているものが、
なんとなく違う様な気がして、もやもやとしていた部分だったんです。
私が違和感を感じる"ジャンプ"の使われ方から受ける印象は、 なんというか
"マジック"みたいなもの?
想像の翼を羽ばたかせて、突拍子もない何かが加わってできる、
入れ物がぶちこわされちゃってるイメージなんですけど、 僕が考えてる"ジャンプ"は、
ちょっと違う感じがしてたんです。 で、その答えのヒントを、
前回書いたムナーリのデザインとヴィジュアル・コミュニケーション
※2006年12月 みすず書房 に見つけたと。 それは、
"デザイナーは、予期企画設計をするにあたり、アーティスティックで、 リリック(感情表現された)で、ファンタスティックなクリエイティビティ は無益と知っている。 なぜならそんなことをすれば、先に検証した限界すべてにぶつかるからだ、 デザイナーは丹念に収集したデータが生み出しつつあるものを はみ出す様なことを考えるべきではない。 彼が想像力を働かせるのは、集められた要素の統合においてである。 この統合体は、すべての構成要素がもっともうまく融合したものへと 到達せねばならないだろう・・・"
という、その本の中でも一番最後にある箇所。
この文から、自分の考えている"ジャンプ"というものが、
それまでに集められた多くの要素(情報)の 組み立て方の"差"
だと思っていたんだってことを認識できたわけです。どうりで話が合わないわけですね。
だって、そうだとすると、そもそもジャンプ"自体が 表現活動に特有の
ものではないってことですもんね。
だから、表現という意味での"クリエイティブ"が、例え "ジャンプ"から連想された
使い方だとしても、やっぱりおかしいと。どっちにしても、それは
"表現"の周辺だけに使われるべきものじゃない
ってわけですよね。
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