4月 03, 2011

統制、コントロールすることについて

と、ここまで来たところで
3月11日をまたいだわけなんですが、それを機に
私も少しコミュニケーションというものに対し
考え方、見方が変わって来そうな部分があります。
ある意味、ヴィジュアルやメッセージを含む”情報”を
どうコントロールするか?についていつも考えていたわけですが、

その前提となる時代や状況の変化が、自分が思っていた以上に、
いろいろな面でコントロールに大きな影響を及ぼしているのでは?と
実感することがあったってわけなんですが。

ま、もしかしたら、ちょっと混乱しているだけなのかもしれませんけど。

いずれにしても、今、感じている疑問に対しては
自分なりに答えをだして、ここに書こうと思います。

どんな答えがでることやらですが。。

3月 08, 2011

質実剛健の壁 3

前回のエントリーでは、
”自分たちは中身で勝負する企業であり続ける”
という発信者側の想いがそのゴールとして提示されていました。
それは、簡単に言ってしまうと、受け手からどう思われたいか?
自分たちは、どうなりたいか?がちゃんと有るということです。
仮に、それが無かったり、曖昧だったり、
あるいはぐらぐらと揺らいでいたら?

本当はあるんだけど上手く意識として顕在化出来てなかったらどうでしょう?
前回、前々回、企業を個人に置き換えて考えてみたように今回も個人に置き換えてみると、
ただ何となく見た目だけをオシャレな感じにするってことになりますよね。
その時の気分や、なんとなくの好き嫌いで。

まぁ、それがたまたまぴったりと合えば問題は無いんでしょうけど、
それはやはりまれですよね。

自分がどう見られたいのか?ということを、
普段から、ちゃんと意識し、よく研究している人でも、
発信する本人と受け取る側のギャップになかなか
気付けない場合さえありますしね。

まして他人からどう見えるのか?なんて
今までぜんぜん考えてもいなかった質実剛健な方に
「さあ貴方らしいのはどんな格好でしょう?
まぁ、分らないでしょうから私どもがお勧めをお持ちしました。
さあ、この3着の中から選んでください!」
なんて言われても選び様が無いのが実情じゃないでしょうかね。

ちゃんと、その前に”自分がどう見られたいか?どうなりたいか?”という
ヴィジョン、ゴールの部分について考え、その方向性に納得した上で、
「そのためには・・・」という話じゃないと判断出来ないですよね。

そのことが、前々回4番目にあげた、

”それはゴール(目標)が無いと設定出来ない”

という部分です。
こうやって書くと当たり前に見えることでも意外となかなか出来ない部分なんですよね。

まずは、じっくりゴールを考えることこそ本当の近道であり、

無駄なことをして浪費しないという意味でも、

なによりもコストの削減

になるんじゃないでしょうか。


1月 30, 2011

質実剛健の壁 2

前回に続いて、表現(ヴィジュアルやメッセージ)の必然性、つまり、
その表現が、そうでなければならない根拠となると私が考える、
”ブランディング”について、その重要性をどう説明すれば、
お客さんにしっかりと理解してもらうことが出来るのかのヒントを探し続けます。

前回、項目として出したものの中で、1、2、3番目に上げた、

”人はどうしても”見た目”でかなりの部分を判断しちゃう”

ということと、

”どんなオシャレな服でも、着ている人に似合ってなければ逆効果”

というもの。そして、

”どんな風に見えるのが好ましいのか?どんな風に話すのが好ましいのか?”

に関連して、注意しなければならないと思った部分を書きましたが、
今回も続けけて、その部分で気になっていることを、ちょっと。

”オシャレ=チャラチャラしてたり派手だったりということではない”

というのは、もちろん、そうなのですが

「じゃあ、どのようなものが適切なの?」

というところです。

発信者である企業が、”自分たちは中身で勝負している”、
”製品やサービスに対する自信がある”と思っていて、
その顧客やユーザーにも同様にそう思われたいと考えているのであれば、
それは、まさしくそのように

相手に伝わらないと意味がないですよね。

つまり、何が言いたいかと言うと、
例えば、発信者側の考える質実剛健なイメージが、
受け手の考える質実剛健のイメージと本当に合致しているのだろうか?

その受け手になる人たちは、発信者である自分たちと同じような感性・感覚・考え方を
持っていて、そのイメージを共有出来る人たちなのか?

ということなんです。

発信する側に、そういう問いが無いとスタートしないということなんですね。
だから、発信側である企業が、自分たちの好き嫌いで表現を決めることは、
正しくないと考えるわけなんです。

だって、同じ服を着て、同じ内容のことを、同じ話し方でしても、
会う人によって受け取られ方は、ちょっとずつ変わってきますよね?

まぁ、個人レベルではよくある、
「自分はこうでしかない」「私は私だ、私らしく」っていうのも、
企業レベルでも、場合によっては有りなのかもしれませんが。
でもその場合、個人レベルでの考え方と同様に、企業としても、
”自分”を好意的に受け入れてくれる人、理解してくれる人たちのみに
つきあってもらえればよい”と、宣言しているということも、
発信する側としては、きちんと認識していないといけませんよね。