9月 25, 2012

正確な検証って?


私の会社でもSNSを利用したPRの1つとしてフェイスブックページを利用しているのですが、それぞれのコンテンツに対する反応の違いを検証するのってやはりすごく難しいなと感じています。

単純に内容の問題なのか、はたまたそのコンテンツを投下した時間帯の問題なのか、最初に内輪でシェアし拡散をはかった人や数の違いなのかなど、色々な項目が上げられます。

更に内容の問題とひとくちに言っても、そのコンテンツがユーザーにどうとられたのか?というレベルで考えると、単に面白くなかったという話なのか、面白いと思ってもいいね!やシェアをしづらい内容だったのか、反感を買う内容だったのか、あるいは、写真やイラストのちょっとしたタッチの差、文章の差だったのかなど、まだまだ細かく分けられます。

そしてこれら1つ1つテストマーケティング的に全て検証したとしても実際はそれらの組合せが結果として表れているわけですから、簡単にこれが問題だったと決めつけてしまう事は間違った結果を導き出し、もっと重要な何かに気付く妨げになる可能性があります。

たまたま反応が悪かったとき、影響力のあるユーザーが見ていなかっただけというような問題もあるかもしれません。

これはSNSやインターネットだけのことではないと思います。
実行した広告やプロモーションの検証は、規模の大小はありますが上記の様に要素を色々な項目に分解してそれぞれを調査し、またその組合せを可能な限り検証し結果を導き出していくということをするのですが、そこから導き出された結果だけを見ると「ん?」って疑問に感じることや経験的に「間違っている」と感じることがよくあります。
酷い時には明らかな原因を認めたくないために、ある要素をスケープゴートに仕立てるべく恣意的に操作している?って思っちゃう様なものもあり、そういうやり方にも使えそうなくらい元々微妙で判断の難しいものだと思います。

とかく数字になっていると信憑性が高く感じられたりレポートするのが楽だったりするので、その結果をするっと受け取り事実としてしまうことが多いと思うのですが、そこは簡単に決めつけてしまうのではなく、いったん注釈付にするなどし少し長い時間をかけ粘り強く検証し続ける事が必要なのではないかと感じています。

9月 20, 2012

プレゼンテーション


暗記して、ほぼそらで話せないような内容のプレゼンを、聴く方は果たして本当に正しく理解することが出来るのでしょうか?

私は理解出来るとは思えません。正しくとなると尚更ではないでしょうか。

プレゼンテーションの資料が分厚くないとお金が取れないと思ってしまうのか(笑)。
提案の規模が大きくなればなるほど企画書の厚みは増しがちです。
まぁ規模が大きくなればなるほど説明しなければならない項目も増えるのが普通ですから、企画書も厚さを増して当然という部分もあります。
だけど、それにしても。。と思うことは希ではありません。

細かい文字で言いたいことを全部詰め込んだ大量のページ数に及ぶ企画書やプレゼンテーションの資料など細かく隅々まで丁寧に見る気になりませんよね。
「取り合えずかいつまんでポイントだけを説明して」と言いたくなります。実際そういう人もいるでしょう。

実際この、かいつまんだポイントだけがプレゼンテーションで必要なすべてなんです。
そして、プレゼンテーションなのですから当然、聴く人に興味を持たせ、引き込みそして飽きさせず、納得させやる気にさせるといった力が必要であり、それには演出が必要になるわけです。

実生活において、少なくない数の人がプレゼンテーションの上手い人を敬遠しがちだと私は感じます。
「騙されそう」とか「口ばかり」「上辺ばかり」と思ってしまうのでしょうか?誠実な感じがしないのかもしれません。
でも、もう一歩踏み込んで、実際は誠実であるにもかかわらず、それが伝わらず逆の印象が伝わってしまっていたのだとしたら、そのプレゼンテーションは失敗だったということになります。

なぜこんなことを書くのかというと、私たちは広告を職業にしていますので、そう考えたらプレゼンテーションが上手い人や会社の方が仕事も出来るということになると思うからなんです。

もちろんプレゼンテーターは、全員が全員それ(自分が表に立って人前で話すこと)が本業というわけではないですから、それがさほど上手くない人もいます。
しかしプレゼンテーションは、全体の流れや構成自体がその印象を決定づけますので、スピーカーの上手い下手に差があったとしても、それがよっぽどじゃない限りさほど影響はしないと考えてます。

逆にどんなに話し方が上手くても胡散臭いネガティブな印象を与えたとしたらそのプレゼンテーションは失敗であり、実際の広告の実施に際してもその部分の不安が残るのではないでしょうか。

そしてこれは、こういうことを本業にしない業界でも同じです。
プレゼンテーションを演出したことで胡散臭さがでてしまったとしたら、それは演出したことが失敗なのではなく、誠実さを伝えられなかった演出の仕方が失敗なのです。

さて、長々と書きましたが、 誠実さを伝える演出、伝えられない演出の話はさておき、 最後にプレゼンテーション自体の基本だと私が考えていることを再度書かせてもらいます。
一番最初に書いた“内容の量”です。

その目安は、プレゼンテーターが、メモに目を走らす程度で、ほぼそらで説明出来る量だと思っています。
それ以上の量だと聴く方は覚えきれず、また、そらで突っ掛かるような流れでは、聴く方にも当然スムーズには入っていかないでしょう。

それをクリアした上で、次にそれがちゃんと自分たちの誠実さを伝えているかどうか吟味してみてください。
きっと本当に伝わるプレゼンテーションになるのではないでしょうか。

9月 15, 2012

広告とブランド


私は広告を通じて、人の暮らし方や物に対する価値観を変えようとか、見る人に感動を与えたいとか、そんなおこがましいことを考えながら仕事をしたことは一回もありません。
広告ですから(笑)。

広告は企業や商品、そしてサービスなどと生活者を出会わせ結びつけるきっかけだと思っています。

そして、だからこそその広告に表れる、メッセージされるもののブランドがとても大切になると考えています。

最終的に売れなければ意味がないというのは十分承知の上であえて書くのですが、売れれば何でも良いというのだけは、どうしても個人的に抵抗があります。

もちろん商品やサービスによっては何でも良いから売れれば良いというものも無いわけではないでしょうし、そうであれば分からないでもないのですが、たぶんその場合に必要とされる手法は広告ではないのではないかと思っちゃうんですけどね。

このことは、じゃあ広告の定義は?という話になるのですが、取り合えずここでは私の考える広告以外とは、店頭などでの販促プロモーションやイベントなどであるとだけいっておきます。

話がちょっとそれましたが、なぜ広告にブランドが大切だと考えるのかということに話を戻したいと思います。

先ほど広告は企業や商品、そしてサービスなどと生活者を出会わせ結びつけるきっかけだと思っていると書きましたが、正にそれが理由になります。
たかが広告で人の意識や生活を変えられるとも、感動を与えることができるとも思っていないということも書きましたが、企業や商品、そしてサービスなどには、それらをなすポテンシャルが含まれていると思っています。
つまり、それらを生活者がなんなりかの形で経験することによってなしえるのです。

そして、広告がそれを起こすきっかけであるならば、そのことをメッセージに触れる生活者に予感してもらうことが出来るよう伝えることが広告の役目なのだと考えるのです。

正にその伝えなければならない部分こそ、ブランドなのではないでしょうか。