見せたい姿と、あるべき姿のギャップ。
自分自身に関して、あるいは周りにいる人に対してこの様なものを感じた事は有りませんか。
私はしょっちゅう考えます。要は客観性の問題でもあるんですよね。
「自分の事はよく見えない」というあれです。
たまに「俺はメチャメチャ自分が客観的に見えている」って言う人に会ったりするんですけど、そういう人は他人の意見は求めてないでしょうし、敢えてこちらから何か言う事は特にないのですが、本当に稀に突っ込みを入れた時に、そういう人たちが揃って口にするのが「わざとやってる」「計算している」、つまり「あんたみたいな凡人にはわからないよ(俺は特別鋭いんだから)」ってやつです。
でも、大多数を占める凡人に伝わらないのですから、私が「相手にはあなたが希望している様な姿に映らないのでは?」と突っ込みを入れるのは、当然のことながら、ほぼ正しいわけです(笑)
そして次にくるのは「別に全員に分ってもらおうとなんてしていない」「分って欲しい人にだけ、分ってもらえればいいんだ」ですかね。本当にそう思っているんですかね?ちょっと疑問です。
それにこの少数の “分ってくれる”人たちは、そういう人の表に現れている姿を「?」と思いながらも、他の部分をもって帳消しにしてくれているだけかもしれません。
つまり “分って” くれている訳ではなく、ただ調子を合わせているだけという可能性がかなりあるんじゃないかなぁと思うんです。
なので、これって自分自身の事を考える時が一番難しいですよね。
さっきも書いたように、いわゆる仲の良い人は、本当に相手のことを思ってくれる親友レベルの人でもないと、なかなか自分が思っていることを率直に伝えてくれたりはしません。ただ仲良く?付合ってくれているだけなので調子だけ合わせたりするんです。
かたや、仲の良くない人やライバル視している人、どちらかと言えば自分の苦手な人の言葉は、意外と本当のことを言っていることが多いのですが、どうしても素直に受け取りずらいものです。どうしても好意的には考えられなくなりますからね。
しかし、見せたい姿と、あるべき姿のギャップを埋めるためには、それらの様な一見批判的、非好意的な意見からも、冷静に、自分の印象のデータを収集し、修正していけるかどうかというのが非常に大切になるのです。
それって企業に置き換えても同じですよね。
ファンじゃない人たちのネガティブな意見を含めた反応から、ただの罵倒や中傷を区別し選り分けながらも、大切な意見(反応)を見逃さないようにする。でないと裸の王様になってしまいますもんね。