前回"クリエイティブ"っていう言葉に関して 私の思っていることを書いたんですが、
"創造"という意味での"クリエイティビティ"は 職種に関係無く、
すべての人が持っているものだし、それは色々な場面で発揮するべきものですよね?
それは皆さんも同じように思ってることだと思います。
ですが、誰が使い始めたのやら、"クリエイティブ"という言葉には、
広告制作に関する、その制作部門や表現のことを指す意味もあります。
そのせいか「誰もがクリエイティブ!」ってことを、
「デザインやコピーなんて誰にでもできる」みたいに思っちゃってる人も
いるのかなぁ?って感じなんですよね・・・。
もちろん作るのは構わないし、表現に関するアイデアだって、
どんどん出してもらってOKです。
当然、それが良ければ採用されるべきですし。
ただ、それを採用するのか却下するのか?は、ディレクターが決めることです。
それは好き嫌いや、個人の勝手な思い込みで決めるわけにいきません。
ましてやプロが作ったのか素人が作ったのかで 判断しているわけでもありません。
表現っていうのは、単なるヴィジュアルのアイデアやデザイン、奇麗な、あるいは
気の利いた言葉を作ることを指すわけじゃなく、細部のディテールや質感、色、
配置された要素のバランス、ちょっとしたニュアンスの全体への影響など、それらが、
伝えたいと考えている"メッセージ"を、どのようにコミュニケーションするのか?
と、いうことを計算しながら作っているわけです。
「そんな細かい部分なんて、見る人には関係無いよ」
「そんなの誰もわからない、制作者の自己満足」なんて言う人もいます。
しかし、即効性のあるタイプ後からじんわり伝わるタイプと、
種類はいろいろあるにしても、その考え方の基本は、
正しく計算された表現は、正しく受け手に伝わる
というところにあります。だからこそ私たち制作者は、受け手に正しく伝わるよう、
いつも研究・努力しているわけです。
誰よりも多く、そのことに時間を費やして過ごしているんです。
ま、そういうわけで、その最終的な判断に責任をもつディレクターが、
デザイナーやコピーライターなど制作者出身者が多いんですね。
コミュニケーションの"専門家"として判断に関わっている
ってわけです。
それは古くさい縦割りの体制なんかではないし、別に誰かのクリエイティビティ、
つまりは創造性や、 発言の自由を妨害しているわけでもありません。
そして部外者に対して排他的に接しているわけでもないんです。
それから得られるであろう効果を 最大限コントロールすべく、
できる限り適切な表現を作り出す
ということを、しようとしているだけの話なんですね。
7月 14, 2010
7月 11, 2010
クリエイティブって?
「すでに多くの人が、ある特定の意味で使っている言葉を、
へそ曲がりみたいにグチグチ言ってもしょうがない」
というのはわかってるんですが、
そこに自分の"もの"の見方って出るもんですよね。
で、何についてかというと、
"クリエイティブ"
私が会社で所属しているのも"クリエイティブ"部ですし、
肩書き自体も"クリエイティブ"・ディレクター。これは制作部、そして制作の監督の意味。
あと"表現されたもの"、いわゆるデザインやコピーなどのことも指して使われてます。
でも、"クリエイティブ"の本来の意味って"創造"ですよね?
そういう意味では、デザインやコピーライティングだけじゃなく、
例えば企画だって"創造"力は必要だし、いわゆる
"アイデア"を必要とするものは、すべて "クリエイティブ"なものでは?
って思うんですけどね。 で、考えたんですけど、
「表現には、ジャンプが必要!」
っていう、まあ、よく言われる言葉があるんですが、その
"ジャンプ"のイメージから、 "表現"を"クリエイティブ"って言うようになったのか?
と思ったり。 ジャンプって言うのは・・・
まぁ、簡単に言っちゃうと、"月並みで普通なもので終わらすのではなく、
いわゆる、ひねりの効いた面白いものにする"ってこと。
でも、この"ジャンプ"、私の考えているものと周りで話されているものが、
なんとなく違う様な気がして、もやもやとしていた部分だったんです。
私が違和感を感じる"ジャンプ"の使われ方から受ける印象は、 なんというか
"マジック"みたいなもの?
想像の翼を羽ばたかせて、突拍子もない何かが加わってできる、
入れ物がぶちこわされちゃってるイメージなんですけど、 僕が考えてる"ジャンプ"は、
ちょっと違う感じがしてたんです。 で、その答えのヒントを、
前回書いたムナーリのデザインとヴィジュアル・コミュニケーション
※2006年12月 みすず書房 に見つけたと。 それは、
"デザイナーは、予期企画設計をするにあたり、アーティスティックで、 リリック(感情表現された)で、ファンタスティックなクリエイティビティ は無益と知っている。 なぜならそんなことをすれば、先に検証した限界すべてにぶつかるからだ、 デザイナーは丹念に収集したデータが生み出しつつあるものを はみ出す様なことを考えるべきではない。 彼が想像力を働かせるのは、集められた要素の統合においてである。 この統合体は、すべての構成要素がもっともうまく融合したものへと 到達せねばならないだろう・・・"
という、その本の中でも一番最後にある箇所。
この文から、自分の考えている"ジャンプ"というものが、
それまでに集められた多くの要素(情報)の 組み立て方の"差"
だと思っていたんだってことを認識できたわけです。どうりで話が合わないわけですね。
だって、そうだとすると、そもそもジャンプ"自体が 表現活動に特有の
ものではないってことですもんね。
だから、表現という意味での"クリエイティブ"が、例え "ジャンプ"から連想された
使い方だとしても、やっぱりおかしいと。どっちにしても、それは
"表現"の周辺だけに使われるべきものじゃない
ってわけですよね。
へそ曲がりみたいにグチグチ言ってもしょうがない」
というのはわかってるんですが、
そこに自分の"もの"の見方って出るもんですよね。
で、何についてかというと、
"クリエイティブ"
私が会社で所属しているのも"クリエイティブ"部ですし、
肩書き自体も"クリエイティブ"・ディレクター。これは制作部、そして制作の監督の意味。
あと"表現されたもの"、いわゆるデザインやコピーなどのことも指して使われてます。
でも、"クリエイティブ"の本来の意味って"創造"ですよね?
そういう意味では、デザインやコピーライティングだけじゃなく、
例えば企画だって"創造"力は必要だし、いわゆる
"アイデア"を必要とするものは、すべて "クリエイティブ"なものでは?
って思うんですけどね。 で、考えたんですけど、
「表現には、ジャンプが必要!」
っていう、まあ、よく言われる言葉があるんですが、その
"ジャンプ"のイメージから、 "表現"を"クリエイティブ"って言うようになったのか?
と思ったり。 ジャンプって言うのは・・・
まぁ、簡単に言っちゃうと、"月並みで普通なもので終わらすのではなく、
いわゆる、ひねりの効いた面白いものにする"ってこと。
でも、この"ジャンプ"、私の考えているものと周りで話されているものが、
なんとなく違う様な気がして、もやもやとしていた部分だったんです。
私が違和感を感じる"ジャンプ"の使われ方から受ける印象は、 なんというか
"マジック"みたいなもの?
想像の翼を羽ばたかせて、突拍子もない何かが加わってできる、
入れ物がぶちこわされちゃってるイメージなんですけど、 僕が考えてる"ジャンプ"は、
ちょっと違う感じがしてたんです。 で、その答えのヒントを、
前回書いたムナーリのデザインとヴィジュアル・コミュニケーション
※2006年12月 みすず書房 に見つけたと。 それは、
"デザイナーは、予期企画設計をするにあたり、アーティスティックで、 リリック(感情表現された)で、ファンタスティックなクリエイティビティ は無益と知っている。 なぜならそんなことをすれば、先に検証した限界すべてにぶつかるからだ、 デザイナーは丹念に収集したデータが生み出しつつあるものを はみ出す様なことを考えるべきではない。 彼が想像力を働かせるのは、集められた要素の統合においてである。 この統合体は、すべての構成要素がもっともうまく融合したものへと 到達せねばならないだろう・・・"
という、その本の中でも一番最後にある箇所。
この文から、自分の考えている"ジャンプ"というものが、
それまでに集められた多くの要素(情報)の 組み立て方の"差"
だと思っていたんだってことを認識できたわけです。どうりで話が合わないわけですね。
だって、そうだとすると、そもそもジャンプ"自体が 表現活動に特有の
ものではないってことですもんね。
だから、表現という意味での"クリエイティブ"が、例え "ジャンプ"から連想された
使い方だとしても、やっぱりおかしいと。どっちにしても、それは
"表現"の周辺だけに使われるべきものじゃない
ってわけですよね。
7月 09, 2010
伝えるということ
“日々、ぼんやりと考えていることを 整理し直すことで、
自分にとっての 課題を少しでも明確にし、
解決に向けた思考ができるように“そんな気持ちで、これを書いてます。
まさに自分自身の勉強のため。
でも、ここに書くことで読んでくださる方にとっても、
「それぞれの課題の解決に繋がるヒントになったり、はっきりしていなかった問題を
顕在化させるぐらいの 役には立てたらいいな」とは、いつも思っています。
なかなか、そこまでのものになりませんけどね。
ま、そんななので、「教壇などに立ち、生徒に向かって何かを教えたり、
伝えたりという仕事をしている人は、ホント凄いな」と、常に思って いるのですが、
先日たまたま、グラフィック・デザイナーである ブルーノ・ムナーリ氏が、
米ハーバード大学において、 芸術選考ではない学生に対し行なった授業の講義録である、
デザインとヴィジュアル・コミュニケーション
※2006年12月 みすず書房 という本を
読む機会がありました。
その中では、ヴィジュアル・コミュニケーションを、一旦バラバラに分解し、
その形成の原理を解明しているわけなんですが、同時にムナーリ氏の考える
デザインと芸術の違い、デザイナーとアーティストの視点や考え方の違い
が、ぽつぽつと現れていて、それもまた面白かったです。
特にその中の1つに、私の中で今まで
モヤモヤし、しっくり来ていなかったことに対し
答を出すためのヒントと思える所をみつけたり
して、いろんな意味で参考になる本でした。
ま、その“自分のもやもやに対する答え”については、次回改めて。
自分にとっての 課題を少しでも明確にし、
解決に向けた思考ができるように“そんな気持ちで、これを書いてます。
まさに自分自身の勉強のため。
でも、ここに書くことで読んでくださる方にとっても、
「それぞれの課題の解決に繋がるヒントになったり、はっきりしていなかった問題を
顕在化させるぐらいの 役には立てたらいいな」とは、いつも思っています。
なかなか、そこまでのものになりませんけどね。
ま、そんななので、「教壇などに立ち、生徒に向かって何かを教えたり、
伝えたりという仕事をしている人は、ホント凄いな」と、常に思って いるのですが、
先日たまたま、グラフィック・デザイナーである ブルーノ・ムナーリ氏が、
米ハーバード大学において、 芸術選考ではない学生に対し行なった授業の講義録である、
デザインとヴィジュアル・コミュニケーション
読む機会がありました。
その中では、ヴィジュアル・コミュニケーションを、一旦バラバラに分解し、
その形成の原理を解明しているわけなんですが、同時にムナーリ氏の考える
デザインと芸術の違い、デザイナーとアーティストの視点や考え方の違い
が、ぽつぽつと現れていて、それもまた面白かったです。
特にその中の1つに、私の中で今まで
モヤモヤし、しっくり来ていなかったことに対し
答を出すためのヒントと思える所をみつけたり
して、いろんな意味で参考になる本でした。
ま、その“自分のもやもやに対する答え”については、次回改めて。
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