3月 12, 2010

仕事としてのクリエイティブ?

広告や販促などの商業活動の中でクリエイテイブに関わっていると、
いつも考えさせられるのが“お金”の話。
「カネくい虫だ」とか、「ビジネス感覚がない」だとか、まぁ、
クリエーターは普段から、いろいろ言われるわけなんだけど、
無意味に「金かけりゃいい」なんて思っているクリエーターって
そんないないよって思いたいんですけどね。

ま、半分正しいし、半分誤解されてるのかな?って感じですかね。
単に、お客さんの要望に対する、そのままの結果って感じで、要望されている内容と
提示されてる予算との間に、そもそも開きがあったってパターンはあるんですよね。

その場合は、テキトーにというか、考えなしに?「わかりました!」とか言って
安請け合いするのが悪いんだけど、誠意を持ってやるんならさ、初めからある程度
ちゃんと説明するべきでしょ?それこそビジネスの基本としてね。

実際「え?」って感じのオーダーは、有りますしね、残念ながら。
それこそ“表現とかクリエイテイブとかを単なる装飾にしか考えてない”って感じのやつ
なんですけどね。

もう一方で、例えば「予算とか制限がちらつくとアイデアを出すのに障壁になる」って
いうのはあって、だから、あえて最初は予算とか度外視で考え始めたりするんですよね。
それを最終的に現実的なスケールのものに落としこむ作業が
出来ず(技術の問題とか、そのアイデアに固執しちゃって?また、
細部のディテールを譲ることができず。などなど)
予算を大幅にオーバーしたままのものが出て来ちゃうってパターンもありますかね。

基本的に、初めに予算を提示されていて「その内でやってくれ」と
言われているんであれば、“アイデアをその予算のスケールに収める”というのは
当然必要なものですよね。

でも、一度出たアイデアをその予算に合わせて落とし込むって場合、そのアイデアの
本質の部分だけ?を残し、表現的な部分は殆ど考え直さないといけないってことが
多いんですよね。そりゃ、まぁ、作る方にとっては切り替えも大変になるわけですが。

いくら“お客さんの事を考えた上で”「このアイデアが最適だ」と信じていたとしても、
予算をオーバーしすぎていたら、それはあくまでオプションでの提案ってことに
なりますよね。
その限られた予算の中で効果が出るアイデアを出すのもクリエイテイブだし。

50万しか予算が無い時に、普通にやったら150万かかるアイデアを、単に質を落として
作ったら、そりゃ安っぽい二流のものになるだろうし、効果も期待出来ないですよね。
50万なら50万のクラスで最高のものを作った方が、あきらかに良いものが出来るし、
結果に繋がるはずだと思うんですけどね。

ま、そこら辺は、本当は発注者側にも分ってもらいたいところではあるんですが。
こんな経済状況だからね、黙って「はいはい」聞くところは多いと思うんですけど、
それは本来あんまり誠意のある対応とは思えませんよね。 実際は、

無闇にあれもこれもと欲を出すことで、その分どんどん質が落ちている

はずなんですからね。


3月 08, 2010

ぞれぞれの立ち位置からの“全体像”

前回の最後に書いた

その“専門家”が、どういう視点から全体を捉えているか?」

が、大切だということについて補足します。

ものは、それを観察する人が“どの位置から見ているか?”によって
大きく違って見えることがあります。同様に何かについて語られるとき、
それは、語っている人間の“立ち位置“によって、少しずつ違っていても当然ですよね。

例えば、同じ広告のことについて話しあっていても、人によって見方や考え方が変わる
わけですが、それは、その人の“立ち位置”というのが関係しているということです。

デザイナーと、コピーライターと、マーケティングのプランナーとで当然違ってくる
ようにですね。 今回は、わかり易くするため、この“立ち位置”を、
今、例として出したように“職種”に置き換えて説明しようと思います。

例えば、今、誰かが“ブランディング”のことについて話しているとします。
それを話している人はどういう職種(立ち位置)にいる人でしょう?
ブランド・コンサルタント?どういう? どういう立ち位置にいる
ブランド・コンサルタントですか? プランナーでしょうか?マーケッターでしょうか?
グラフィックやパッケージ、インテリア等のデザイン系の人でしょうか?それとも
建築設計?インターネットやインタラクティブ系? それとも経営コンサルタント?
“ブランディング”という一つのものも、それぞれの立ち位置から、それぞれ
違った視点で見ているということです。

まぁ、ある程度の規模の会社の場合は、それぞれに専門のスタッフがいて
チームを組んでやっており、細かい話しになると、そのつど担当の人間が出て来るし、
個人あるいは小規模の会社での場合には、社外のスタッフとチームを組み
どうように担当の人間がいるわけです。

つまり、あなたの前にいる“ブランディング全体”について話している
(全体をまとめている)人は、かならず何処に立って全体を見渡した上で話している
というわけですね。で、同じ“ブランディング”という範囲の話だからと言って、

インテリア系の人が語ったWebの話

は“専門家”による話になるんでしょうかね?

プランナー系の人が語ったヴィジュアルやデザインの話

は“専門家”の話になりますかね?
もちろん「まったく参考にならない、いい加減な嘘っぱちだ」などとは言ってませんし、
逆に参考になる事も多くあると思います。ですが、あくまで

”その人の立ち位置から見て”の話

だということを、聞く側は頭の片隅においておく方がいいと思いますよ。
騙されたり、偏った意見を信じ込んで失敗しないためにも。
それは“ブランディング”だけの話じゃなくて、いろんなことについて言えること
なんですけどね。


3月 06, 2010

Who are you?

前のポストで、自分たちが何のプロフェッショナル(“専門家”)かが
大切じゃないか?と書いたんだけど、普段、私の周りでは
“専門性”のウケは、あまり良くないって感じですかね。融通が利かないのだそうで。

「ある専門性に特化すると、幅が狭くなるためニーズが少なくなり、
仕事の受注に障害がある」

と。 その思考の結果、何となくおおざっぱで曖昧に

「何でも出来ます」

と、なるべく競合と差別化しないようにして自分あるいは、自分たちを売る事に
なるんですが、それが正しいとすると、実際に自分あるいは自分たちの専門性を、
本当の意味で拡げないといけないと言うことになりますよね?
ま、本当にそうするのであれば何も問題ないんですけど。

選ぶ方だって、パートナーとしてプロフェッショナル、つまり“専門家”を求めて
いるのだったら、実際に違ったら気付きますよね? でも、
「また新しい人や会社を探したり、仕事の流れを説明し直すのが面倒だから」
「本当に専門性を持った人や会社は高そうだから」「融通が利かなそうだから」
 などなど、そんな理由から惰性でつきあっているってことも有るかもしれません。

でもそれって、もともと

専門家なんか求めていなかったって事?

なんでしょうかね?

ところで、皆さんが仕事でつきあっているパートナーは、みんな“専門家”ですか?
というか、あなたは“専門家”が必要だと思っていますか?
自分が出来ないから「ただそれが“できる人”であれば“専門家”じゃなくても
いいんだけど」って感じ?
でも、自分に無い専門知識や専門技術、能力をその人なり会社なりが持っているから
専門家と組みたいわけですよね?
そういう意味では、何かのオペレーターも専門家ですし、
そのことに、ただ馴れてる人も専門家?
(ま、定義としてちょっと語弊が有るかも知れませんが)

ということで“専門家”にはいろんなレベルの“専門家”がいるって事で考えてみてください。“専門家”じゃない人や会社とつきあうメリットなんて、よっぽどじゃなきゃ無い
って事になりますね。
だってものを買うのに、わざわざ役に立たないもの買わないですよね。

でも、単なる何かのオペレーションの“専門家”が、企画や設計が出来ますかね?
無理矢理やらせたって、時間はかかるし、出来は全然だしで、
まぁ、あまり良い結果は出ないですよね、大概の場合。

代用にも限界があるというわけですよね? 企画や設計を頼むなら企画や
設計の“専門家”を探さなくちゃなりません。当たり前のことなんですけど。

殆どのことに関して同じことが言えるんじゃないですかね? で、もしかしたら、
本当に新しく“専門家”を探す必要が有るのか?から検討しなきゃならないかも
しれませんよね。 今つきあっているパートナーが、本来どんな専門性を持っているのか、
それをちゃんと認識してるかどうかですけど。”専門家”を選ぶ側が、その専門性を
しっかりと把握し、そのつきあい方を、それに適したものに変えるだけで、
仕事は効率も結果も全然変わってくことになりますよね。

いずれにしても「何でも出来る」には気をつけた方がいいかと。
そのパートナーの本来持っている専門性を見えなくしてしまっている可能性も
高いですし“代用”させるために?わざと見えなくしている可能性も有りますからね。

それと、もう一つ。

もし「本当に何でも出来そうだ」と見えたとしても、そのパートナーが、

どういう視点から、“なんでも”(全体)を捉え、どう実行しているのか?

ってことで、“出来る”という言葉の意味も変わって来ると思いますしね。


3月 04, 2010

魔法のキーワード

最近“コミュニケーション・デザイン”という言葉があちらこちらで聞かれます。
なんか、この言葉に対する周囲の反応が、以前の“ブランディング”に対するものと
似ているように感じるんですよね。

どういうことかって言うと、“ブランディング”という言葉が聞かれ始めて
しばらくすると、各広告会社ともいっせいに
“ブランド”“ブランド”と唱え始めたわけなのですが、今回はそれが
“コミュニケーション・デザイン”とに、そのまま変わったっていう感じ?

でも、その殆どは自分たちの売りものを売るためのダシとして使われているようにしか
聞こえないんですよね。ま、そこも“ブランディング”の時と一緒なんですが。

まず“ブランディング”についてですが、どんなに優秀な専門家のいる
ブランドコンサル・ファームに任せてあっても、それで全て解決出来る類のものじゃ
ありませんよね。

ブランドコンサルは、あくまでもコンサルタント。
もちろん実施の部分でも社内教育やヴィジュアル・イメージ
(ロゴやヴィジュアル・アイデンティティ、オフィスやインテリアなど)、
コミュニケーション戦略など、お手伝いをしてはいますが、基本は、
その企業自体が重要性を理解し、主体となって進めなければ意味がないものです。

で、“コミュニケーション・デザイン”なんですけど。要は“ブランディング”の中の
コミュニケーションに関する部分って感じなんですけどね。

まぁ、もともと常に耳新しいキーワードを持ち出してお客さんの興味や焦り?を喚起し、
いろいろと売り込もうとするのはどこの業界にも有るんですけど、
あまりわからないままに、こういう言葉だけを使うもんだから最終的に
自分たちが信頼を失ったりするんですよね。

大きい広告会社なんかは、
「◯◯って一口に言ってもその範囲はとてつもなく広いし、やらなきゃいけないことも
すごく沢山有るんですよ。ウチに任せていただければ、その個別の課題に対して、
もっとも適切な専門家を集め進行することが出来ますし、なによりも全体を、
お客様の手を煩わすことなく一括管理いたしますので、コンセプトからぶれる事も無く
ゴールへと向かって進めて行く事が出来ますよ」 と。ま、単に
「ウチで仕切らせてくれ」という事なんですけどね、そういう事を言い出すわけです。

となると、そこまで大きくない?力の劣る?会社も
「負けてはいられない」というわけで、

これからはコミュニケーション・デザインだ!」

と、かけ声がかかり、
「ウチも、最近は“コミュニケーション・デザイン”という考え方をとりいれ、
お客様に“総合的に”ご提案し始めているのですが〜」 とね。
ま、言うのは良いんですが、総合的になんか出来る訳も無く、
ただ上っ面をなでただけで終わってしまっていたりで、
そうなるとお客さんの方でも「?」って感じで、段々信用しなくなって来るわけですね。

本当に大切なのは「何でも出来ます!」じゃなくて、例えば
“コミュニケーション・デザイン”なら、その中のどの部分に、
自分たちがプロフェッショナルとして責任を持つのかを明確にすること。

自分たちがなんのプロフェッショナルか?

ってことじゃないですかね。


3月 02, 2010

イメージよりな・・・?

仕事上よく「今回は“イメージ”的なものではなく、もっと直接販売に繋がる〜」
という言葉を、お客さんやお客さんから聞かされたりします。

まぁ、話しの前後から、なんとなく何が言いたいのかはわかるのですが。

にしても曖昧なんですよね。

まず、お客さんが言う“イメージ”って、どういうものを指しているのか?なんですけど、
こっちが、製品なりサービスなり、あるいは企業そのもののブランド育成を意識して
企画、提案したものに対して、そう言われることは多いですよね
(まぁ、ブランディングに関しては最近でこそ少し理解してもらえるようになって来た?
感じですが)。

でも、まぁ、それならまだまし?というか、お客さんによっては、なんというか・・・、見た目がチラシ的なのもの?じゃないと、全て“イメージ”で片付けられてしまうような
(それが、いくら“販促的役割を担わせる広告”だとしてもの話しだけど)。

「奇麗なだけのデザインなんて意味がない」

といったことは、よく聞きますよね。
私は、デザインには基本的に“全て意味(機能)が有る”と思ってますし、
実際にもいつもそういう考え方で制作しています。

そういう意味でこの言葉は正しいとは思うんですど・・・、でも、それって、
どういう意味で言っているのかな?と。その後に続く言葉は?

汚かったらそれ以下じゃないの?

って思っちゃう言い方なんですよね。売る為の販促的役割の“チラシ的な広告”でも、
イメージは当然重要じゃないですか?

ただ単に「◯◯今なら50%OFF!」とか、そういう情報だけで、ブランドそのものを
反映させてない、あるいはブランドに相反するヴィジュアルやコピーで
メッセージを発信し続けていたら? いくら他方お金をかけてブランド育成広告を
うったところで、そのブランドは、そうであって欲しいと願ったようなものにはならず、
強いては、それが原因で競合との競争に負け市場からはじき出されたりということも
あり得るわけです。

つい先日、雑誌で読んだのですが、サムスングループの李健煕(イ・ゴンヒ)
二代目会長は 「機能や品質は各社いずれ横並びになる。製品のデザインこそが企業の
優位性を左右する源となる」 と、製品のデザイン性を重視し、製品の企画・設計の
段階よりマーケティング担当者とともにデザイナーを深く関わらせる体制を
構築したことで、他社と差別化をはかることに成功しブランドを育てたという話しが
出ていました。※週刊 ダイヤモンド 2010年 2/27号 [雑誌] 
ここで言われている“デザイン”は、当然“奇麗なだけのデザイン”なんてレベルの
話じゃなく、「機能や品質は各社いずれ横並びになる」つまり、そこがおさえられて
いるのは当然であり、その上で“デザイン”が差別化をはかる為の重要なものであると
言ってるわけです。

長年サムスンの製品開発プロジェクトに関わって来た関係者の一人は
「日本のメーカーは技術本意なのでそのような体制はありえない」と
言っているそうです。更に、日本は
 「とりあえず“いいもの(信頼性の高い品質の良い製品)”を作れば“売れる”」
という考え方から未だに抜けきれていないとも。
つまり“マーケティングも軽視しされている”ということになるんですかね。
(誤解の無いように言うと、これは技術などの“発見”や“発明”とかの“創造性”に関する
レベルの話しとは別の話しのつもりで言ってます。その件は、また、いつか)

マーケティング(あるいは、その感覚)を無視したデザインなんて、そもそも
あり得ないんだから、ならデザインが軽視されていても当たり前?技術思考のみで
企画された製品に、マーケティングが後付けで登場して、上からデザインの皮を
被せるって事でしょうか?
つまり、デザインは単に製品の“イメージ”の部分って訳ですね。

そうやって出来た製品などに対し、私たちは「さて、どうやって売ろうか?」と
広告などの企画を考えているってことなんです。

でも、その時点からでも、何とかブランドそのものを汲み取ってコミュニケーションに
繋げよう作りだそうと、頑張ってるんですが、決定的な差別化を探し当てるのは
凄く難しいし、なんとか絞り出したものも、お客様の方にしてみれば
ブランディングなんて、もともとが考えていなかったわけだから、
私たちの提案が単なる“イメージ”に見えても、ある意味しょうがないのか?とね、
思ったりもする訳です。

実際に、そのレベルというか、ステージ?からの

ブランド・ビルディング

っていうのも無い訳ではないし、要は意識の問題だと思うんですけどね。