値下げ、コストダウン、安い価格で売られる事について思っている事を書きたいと思います。
現象としての ”安くなった” とか ”安い” という事には様々なタイプが有ると思います。つまり実質的にはどうか?ということなんですが、私は価格が下がっても品質やサービスに全く損傷が無いものは、安く売られている訳ではなく正に適正な価格で売られているのだと思います。そういったものが、それまで高かったのなら、それは誰かがぼるのを止めたのか(笑)、大量生産出来る仕組みが出来たかというような理由から適正な価格に下がったという事ですね。
もちろん、その品質をどう考えるかは購買者の価値観に依存する為、売る側が何と言おうが買う側にとってどれだけ価値が有るかで判断されてしまいます。
つまり「うちの商品をあんな安物と一緒にしないでくれよ!」と考えているのであれば、”あんな安物” では良くないと思っている人をお客さんにするしかないのです。
そこで、こういった人たちを探して商品を売り込んだり、そうは思っていなかった人たちに対し、その価値に気づかせようとする販促のアプローチをするわけです。
話がそれました。
ここで書きたかったのは、適正な価格で売られているものの事ではなく、適正な価格よりも“安く売られているもの” の事です。
例えば「あんな安物と一緒にしないでくれよ!」という商品やサービスが、”あんな安物” と同じ価格で売られている場合です。
”あんな安物” が不当に高く売られているという場合はまた話は変ってきますが、”あんな安物” なりの適正な価格で売られていた場合に、”あんな安物とは一緒じゃない” 商品やサービスをその価格まで下げるとすれば当然何かを犠牲にせざるを得ません。
材料の質か、それを実際に作り出している人の労力の対価といったものです。労力の対価は、仕事に対して実際に手を動かした事に対する金額かもしれませんし、何か新しいアイデアに対する報酬かもしれません。
元々かかっていた費用が適切であるか、同じものを安く入手出来るという事になったのでない限り、材料のコストを下げれば、それはそれなりのものに変わってしまうでしょう。
また、何らかの労働への対価を削れば、それが単純労働じゃなければないほど、やはりそれなりのものになってしまうのは避けられないでしょう。同じものを安く入手するのが難しくなるからです。
例えば、アイデアを生み出す人のインプット(生み出す為に必要な知識や経験)や実際に生み出す作業には、当然それなりの費用や時間がかかっています。もしそれに対する正当な対価が得れないのであれば、そこに多くの時間を割くのは無駄であり、どこかの誰かのアイデアをそのまま拝借してコピー商品を作っていた方が効率も良いわけです。
ま、仮にそうしたいと思っていなくても、インプットの為に必要な経費が使えないのですから、自然にアウトプットもそれなりのものに成らざる得ないわけですが。。
つまり、そういった商品からは少なくとも ”オリジナリティ” といった要素は剥ぎ取られていくのです。
既に出回っているもののコピー商品にも安さといった利点があるのでしょうが、オリジナルにはオリジナルの効果や機能があります。ですがコピー商品と同じ価格でオリジナルと同様の効果や機能を求めてもそれは無理というものでは無いのでしょうか。