特に、最近のWeb周辺の例をあげて 「これからの時代は〜」とか、
「デジタル・ネイティブの世代は〜」とかね?ま、TVやラジオのコンテンツも
エンドユーザーにとっては昔からタダなんですけどね。
ま、とにかく、様々な分析や未来の予測が行われているようで、
デジタルの世界の話ではありますが、極端なものだと、
「今、安売り・値下げ合戦をやっているもの(商品やサービス)は、
いずれ”タダ“になるだろう」みたいなものまで? 基本はデジタルではないのですが、
私たちも何となくその影響を受けている様な。
お金を払ってもらいづらい、ソフトの部分、つまりアイデアやデザイン、
クリエイティブなんかの料金を、別なもの、あるいは別な手法で支払ってもらわないと
生きて行けなくなる?って不安も。
だって、私たちの仕事に対する世間の?(少なくても私の周りの人の)見方って、
”いちユーザー”が、利用するWebサービスに対して持っている感覚に近い感じかな?
って思っちゃうこと多いんだもん。
「え?それってお金かかるの?」
的な?で、もし本当に、そういうソフトの部分を無料で提供しなくちゃならない時代が
来るとすると、メディアや印刷の旗色が良くない今、私たちは代わりになる何か、
お金を稼ぐための何か別のものを考えなきゃいけない!ってことになるんですかね?
でも、”価値”っていうことでいうと、はたして人間が、空気や水とは違って、
同じ人類の作り出したものに対して、そういう風に「タダだけど価値がある」なんて
考えることができるのかなぁ?とも思っちゃいます。
例えばツイッターにしても、確かにユーザーは、お金は払っていないけど、
それに価値を感じている人は、実は
料金を払うのと同等、あるいはそれ以上の“何か”を
ちゃんと支払っているんじゃないの?
ってことです。
それは、自分の持っている”情報”だったり”ノウハウ”だったり、 それを得るための、
あるいは単純にソーシャルメデイアに向かっている ”時間”だったりなんですが。
要は単純に”タダ”と言うわけじゃないのでは?とね。
人間は価値のあると思うものに対してお金を払うのではなく、お金を払う からこそ、
それに価値があるんだと思うものだって話もあるし、お金じゃなくても
自分が対価として支払うものがあるからこそ、
それに価値を認めるんじゃないですかね?
つまり、逆に、何かそのものに価値を認めさせたいと思ったら、
"その周辺や、代わりをタダにする"というのは、あったとしても、
そのものをタダで提供するなんてあり得ないってことじゃないかとね。
直接、それに見合った料金を払ってもらわず、別な何かで儲けるシステムを
採用するのであれば、そのサービス自体には、お金以外のもので、ちゃんと対価を
支払ってもらうようにしないと、それに対する価値なんて いつまでたっても認めて
もらえない。ってことですよね? それは、何かの労力かもしれないですし、
時間かもしれないですし、 まぁ、別な何かかもしれませんけど。
選んでもらう様にしないとダメなわけです。
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