6月 29, 2010

最終的にどこに行きたいのか?

広告など、企業が何らかのメッセージを 発信する場合、
受け取って欲しい人が誰で、どんな人かというのはもちろんですが、

何のために発信されるのか? 誰のために発信されるのか?

といった、ゴール、つまり“目的”や“目標”も同じように大切です。

「そんなの当たり前じゃない」

って思うかもしれません。
でも、一見当たり前のこのことが、 普段意外と見失われがちだったりするんです。

例えば、既に日常の仕事としてルーティン化されてしまっているもの。
人って、そういうものには、あまり疑問を抱かなくなりますよね。
定期的に繰り返してやっているうちに、いつの間にか元々あった、
そのメッセージを発信する本来の目的が忘れられちゃったり? 冷静に考えてみると、

「なんで私たちは“今”この媒体を使って、このメッセージを発信しているんだろう?」

てことも有るかもしれませんよね。
そういう意味でも、当たり前になっていること、普通だと思っていることは、
もう一度、見直した方がいいのかもしれませんね。

ちなみに、ここで言っている”ゴール“っていうのは、
単に発信するものの(そのコミュニケーションにおける) “ゴール”(期待する結果)
じゃなくて、お客さんの

ビジネスにおける“ゴール”(目標・目標)

って意味です。 私たちは、お客さんの設定する、その“ゴール”にたどり着くための
方法を、 戦略・デザイン・コピー、そして媒体で提案しなければなりません。

それって、お客さんが設定しようとしている(希望している)“ゴール”が、
ちゃんと見えていて、その意図をちゃんと理解出来ていて初めてできる話ですよね?

さて、みなさんは、その目的、誰のために、何のために発信するのかを、

本当にたどり着きたい“ゴール”

を、ちゃんと把握できていますか? 見失わないようにできていますか?

6月 22, 2010

ということで、反省

とにかく、すごくカンタンに。誰にでもわかるように!
と思いながら、 このブログを書いていた つもりだったんですが、
4ヵ月たって冷静に見直すと 「ぜんぜんダメ」って感じですね。

内輪でしかわからない言葉を使っていたり、
内輪でさえわからない自分だけの思いを前提にしていたり・・・。

いや、ていうか、そもそも話しが抽象的過ぎ?とかね。
ま、いっぺんに上手くなるとも思えないけど、もっと努力しないとですねぇ。

同意してはもらえなくてもね、せめて ”何が言いたかったのか”ぐらいは 伝わらないと、
まったく意味ないですもんね。


6月 13, 2010

"主役"は誰?それは何故?

企業が発信するメッセージの場合、その本質的な語り手は
たいてい、発信者である企業自身となります。ですが、

「そのメッセージの“主役”は?」

となるとどうでしょう?ここで言う“主役”とは、

メッセージが誰(何)を中心にして語られてるか?

と言うことですが、それは必ずしも発信者に限ぎられたことではありませんよね。
”主役”が誰か?が、"なんで"大切なのか? 前回紹介させてもらった、
ネオ・デジタルネイティブの誕生(※2010年3月 ダイヤモンド社 )という本では、

”急激な社会環境の変化は、その中で育った各世代の考え方や態度を大きく
違うものにしている”という見方をしています。例えばその中で、

今の若い世代は、“暑苦しく自分たちの世界観や価値観を押し付ける
コミュニケーション"に否定的

になりつつあり、今後は更にその傾向が強くなるのでは?という
推測がされている箇所があります。また、彼らがツイッターを受け入れたのは、
その“弛い繋がり”を許容する文化に対する 心地良さもあるのでは?とも。

そのことを前提とすると当然、そのような世代をターゲットに、何かをメッセージする
場合、発信者側が世界観や価値観を一方的に押し付けて来るように感じられがちな、

企業や商品など、発信者自身が“主役”となる
コミュニケーションのスタイルには注意が必要

ということになります。

また、それは特定の世代だけがということではなく、時代の変化や生活環境は、
すべての生活者に多少なりともなんらかの影響を与えているはずですよね。

特定の世代の存在は、その時代のムードの極端な表れ、
象徴されたもの だとも言えるかも知れません。 そのせいか最近では
「メッセージを受け取る人が”主役”となるような」コミュニケーションも
増えて来ているように思います。

上記のことからいえば、それは正しい考え方ですよね。
しかし、カタチ上はメッセージを受け取る人が"主役"になっていても、
メッセージの中身自体はどうでしょう?

”主役"を受け取る側にするだけでは問題は解決しません。
”主役”が誰か?が大切なのは、ターゲットや時代背景を考慮して、

どういうタイプのコミュニケーションをするか?

ですよね? 本当にあなたのメッセージは、
届けたい人にちゃんと受け入れられているでしょうか?



6月 09, 2010

伝わらなければ意味が無い

社会環境の変化、特に

インターネットによる生活環境の変化

が、急速に進んだことにより、
変化の中で育ってきた各世代の間に、

従来のギャップよりも更に大きな、いろいろな種類の“差”を生み出している

と、想像することは特に難くないですよね。育った環境が違えば、それは
ライフスタイルだけではなく、物事に対する考え方やスタンス、好むことの傾向
みたいなものにも当然影響があっておかしくないですもんね。

まぁ、細かいことを言ってしまうと“それは一人ひとり皆違う”ということになりますし、
それも忘れてはいけないことなんですが、それぞれの世代での、

いわゆるムードみたいなもの

からくるそれらの違いは、それでもやはり感じられます。

そのことは、企業のコミュニケーション戦略にとっても、前提としてしっかり
捉えておかなければいけない要素の1つということは言うまでもありません。

前にも“適切なタッチポイント、メディア、表現で、一貫したメッセージで”などと
書きましたが、利用するツールやメディア、そして企業側における
ブランド・プロミス (つまりそのブランドが顧客に対して約束すること)などが
大切であるのと同様に、ブランド・イメージを有する顧客側のそういう特性、つまり

受け取る側の"取りかた""感じかた"の傾向を、きちっと分析し、
把握しておかなければ、“適切”なコミュニケーションなんてとれない

ですもんね。 PCとインターネットの普及の時期に始まり、携帯電話が
無くてはならないアイテムにまでなってしまった現在の日本人を、
76、86、96という世代にわけて考察した
ネオ・デジタルネイティブの誕生―日本独自の進化を遂げるネット世代

※2010年3月 ダイヤモンド社 )は、
これからの企業コミュニケーションを考えるのには勿論ですが、
個人の日常においてのコミュニケーション方法や態度についても、
再度考え直させられる

そういう貴重な機会を与えてくれた本でした。




6月 06, 2010

耳を傾けてもらう

私たちは、お客さんの課題に応えようと「媒体はこうなのでは?」
「思い切ってここまでやらないと意味が無い」
「むしろ発信しなければならないのはこっちの方」等など、
常に様々な提案をしています。 が、

提案が、手放し状態で採用されるなんてことは、まず、ほとんどありません。
逆に大きなお世話と思われたりする場合も?
ましてや今まで、おつきあいの無かったところへ新規で飛び込む場合などは顕著。

当然、提案内容自体が"お客さんの課題や予算にマッチしている" というのは
大前提なのですが、同じ様な提案をしているにも関わらず、提案者の違いだけで、
その受け取られ方がまったく変わるというような場合も多々あります。それには、

”関係”や“信頼感”

も、大きく影響しているからですよね。

同じ様に、企業が何かメッセージを発信したり提案したりするときには、
それを受けとる側の顧客も似た様なプロセスで判断をしようとするんじゃ
ないでしょうか。であれば、それも当然、
両者の“関係”や“信頼”によって大きく変わってしまいますよね?
そこで、自分が業者や協力会社に対するとき、

どういう面からそのような判断を下しているか

を考えてみてください。それは会社や人の“名前”ですか?
担当者の“話し方”“服装や雰囲気”提案された“場所”“タイミング”“接触頻度”それとも、
それまでの“実積”単に見積りの“金額”? これらの何に対して、どんなところに
信頼感を持ち耳を傾ける気に成るのでしょう? もちろん”すべて”じゃないでしょうか。

それら”すべて”から伝わって来るもの、あきらかになるもの

じゃないですか? ブランディングは簡単に言ってしまえば、
その基調となるものをきちんと明文化した上で、
それを各活動によって実現し構築しようというものですよね。

そして企業の全ての活動が、その指針に基づいて行われることで、
その価値を高めようと、信頼してもらいメッセージに耳を傾けてもらえるように
なろうとしているわけです。 ○○でブランディングしましょう!と言う場合、その前に

そのブランドが約束することやポジショニングが、きちっと決まっている

のでなければ、何をやったところで一貫した活動にはならないですもんね?



6月 04, 2010

ケース・スタディ

世の中には広告や販促など、企業コミュニケーション活動に関する

”ケース・スタディ”

が溢れてますよね。でも、それって

本当に正しく利用されてるのかな?」

って思ってしまう事が。なんか最後に形となった

”表現”や“企画”ばかりに 目が向けられている?

って感じで・・・。 私たちは日々、お客さんの抱える“課題”に対して、
コミュニケーション活動によって解決出来る部分を模索しています。

それはもちろん、コミュニケーション分野以外の活動とリンクしていなければならず、
それらの活動すべての相乗効果によって課題そのものの解決へと向かうというわけ
なんですけどね。

でも、突然お客さんのところへ行って、
「御社のコミュニケーション活動上の課題をお聞かせ下さいますか?」
なんて上っ面なことを聞いても、大概答なんて返ってこないですよね。
「それがわかってたら、とっくに何かやってるよ!」って 言われちゃっても
しょうがない感じですかね。

やっぱりプロだと自称する以上、私たちがお客さんである企業の
コミュニケーション活動の中で、機能していない部分や非効率的になっていると
思われる部分を探しだし、提示しなければならないですからね。

実は、ケース・スタディこそ、そういう

課題”そのものを探し出すための一手段

として、とても有効なものだ、ということなのです。

そういう視点でケース・スタディを研究することで、お客さんの
”コミュニケーション上の課題”を見つけることが出来るようになると。
そして、だからこそ

単なる二番煎じなんかではない、本当のソリューション、
適切なコミュニケーション活動の提案が出来る

のではと、思うわけです。


6月 02, 2010

横文字

私たちのビジネスにおいても”横文字”は、次から次へと入ってきます。
そしてそれらは、早い者勝ちと言わんばかりに?すぐにビジネスで使われ始めます。

でも、お客さんを含め他の業界の人たちには
「よくわからない」とか、「専門用語ばっかり」とか?
言われてしまったりすることもしばしば。

”横文字"ってことでいうと、そもそも私たちの仕事自体が欧米から入って来たものだし、
多いのもしょうがないといえばしょうがないと言うか・・・。
まぁ、言葉というより、新しい考え方とか概念みたいなもんですし、
ぴったりの日本語に置き換えるのも、まぁ大変ですよね? 今更“デザイン”を
“意匠”や“設計”などと呼び直したところで、新たな誤解を生むのが関の山?
わかりやすくなるわけでもなさそうです。 問題は

”横文字だから”わかりづらいんじゃなく
概念とか意味がよく理解されずに使われちゃってるから”

ってことですよね。
それは単に言葉ってだけじゃなく、例えばデザインのスタイルみたいなものでも

”その理由が置き去りにされて、上辺のスタイルだけが採用されちゃってる”

って場合もあるように思っちゃいます。
確かにスタイル的には流行のものではあるのですが、そのスタイルの本来の
“考え方”(なぜ、それが生まれたのか?)とか、そのスタイルから得られるであろうと
期待される“効果”をちゃんと考えた上で採り入れられてるのかなあ?って
思ってしまうものがあるということなんですがね。で、結局このデザインで

何か伝えたかったの?

みたいな。 どんなスタイルを用いるにしても、理由があるはずですし、
期待される効果も想定されてるはずですよね。
そして、それらはクライアントの課題に対しての"解決策"になってないと。

話を戻して、"横文字"についてなんですけど、その"横文字"、
つまりは新しい考え方・スタイル・手法などが、

”何のために生まれたのか?""どんな効果が期待されているのか?”

ということを意識して、使ったり採り入れなければ、
それはまったく相手に伝わらない意味の無い、
使い捨ての流行のものみたいになっちゃいますよね?